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人生を変える深い気づき

ふと、理解した。

そうか、そういうことか。


わたしは幼少期から「生きるとはなんなのか」「人はなぜ生きているのか」「この宇宙はなんで存在するんだろうか」と問い続けてきた。

でも、それは自分自身で答えを見つけていきたいだけなのに、別に道に迷っているわけではないのに、(いや正確には迷っていると思い込んでいたんだけれども)周囲の年上の人や権威者たちは、わたしに「そうか、お前は答えがわからないんだな。じゃあ、答えを教えてやろう」とばかりに上から色んなことを “教えて” きていた。

その裏に見え隠れする「お前は迷っているから下で、わたしはわかっているから上だ。わたしがお前を導いてやろう」みたいな雰囲気がすごく嫌いだった。

お前に、わたしのなにがわかるんだよ、と思って。


でも、問いがそもそも違っていたんだよなあ。

「生きるとは?」ではなくて。
わたしが探究し、深め続けているのは、「 “わたしにとって” 生きるとは?」ということ。

一般論や正解は求めていない。
ただ、自分にとっての自分の答え、生き様を探していただけだった。


“わたしにとって” というシンプルな言葉がつくだけで、質問の方向性というか、その質問が醸しだす雰囲気がガラリと変わる。

それは、周囲にとっても、わたし自身にとっても。


側から見たら、とても小さな気づきもしれない。
でも、わたしにとっては、とても大きな気付き。


結局いつでも、わたしは、わたしにとって心地よく、納得のできる生き様や在り方を、日々生きる中で模索し続けている。

それだけのことなんだ。

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