マガジンのカバー画像

コップからあふれた言葉たち

57
生きづらさを抱えながら生きている日々に感じたことや考えたことのエッセイをまとめています。
運営しているクリエイター

#コラム

「本当の自分」の行方

本当の自分ってどこにあるんだろう? そんなことを、漠然と考えて、久しぶりに足が宙に浮いたまま降りる場所が見定まらないような感覚に陥った。 きっかけは、多分、ふたつ。 ひとつは、ちょうど今日読み終わった、住野よるさんの『よるのばけもの』を読んでいたから。 ふたつ目は、今日先輩たちとランチを食べに行ったこと。 このふたつ目の方が、多分要素としては大きい。 特に自分の活動している界隈にいる目上の人や、年上の人といて、話をしているとき。いや、むしろさよならをした後に、その居

時代の先駆者の孤独に想いを馳せる

少し前、女性の先輩と友達の中間くらいの関係の人と仕事関連の話でランチをした。 どうでもいい話なんだけれど、そのくらいの間柄の関係って、なんで名前をつければいいんだろう?知り合いよりは近くて、でも親友って類の友達よりは距離があって。そういう関係を、一般論的に人は「友達」と呼んでるんだろうか?仲良くしてもらってる人?長いな、、、 多分だけど、わたしの中の「友達」の定義と世間一般の「友達」の定義って違うのかもしれない。わたしにとって「友達=親友」の感覚がある。(正確には=ではな

人生とは、生きるとは

武士道の言葉だ。 先も、未来も、ひとつとして確定したもののない人生の中で、たったひとつ約束されていること。 それは、すべての人は、必ず死ぬということ。 必ず死ぬと知っている。 それが50年後なのか、5分後なのかすら、わたしたちには分からない。 それでも、いや、だからこそ。 武士道とは、死ぬことを前提として、その上で "自分は" どう生きるのか、ということを問い続け、自分の中に自分だけの美しさや正解を見出していこうとすることなのかもしれない。 そんなことを、最近思う。

誰しも、ふとした瞬間、誰かにとっての天使になれる

まったく知らない他人との、ふわりと一瞬だけつながったときに紡がれる、ふとした会話が好きだ。 例えば、バスで偶然となりに座った、おばあちゃん。 例えば、偶然とおりすがった犬のお散歩中の、お姉さん。 例えば、ふと入ったコンビニでおでんのおかずを一個おまけしてくれた店長さん。 例えば、道に迷ったときに丁寧に気さくに行き先を教えてくれた、ショップの店員のお兄さん。 一瞬のことなのだ。 それは、「いってらっしゃい」という一言かもしれない。 言葉ではない、「これどうぞ」という行為や

人いちばん繊細な人の「自分らしさ」の見つけ方

「自分らしさ」ってなんだろうっていつも思っていた。 わたしは人やもののエネルギーにとても敏感だから、SNSで発信している人やnoteの記事、本や映画なんかでも、その "もの" がもっているエネルギーに知らないあいだに溶けこんじゃって一時的に「その人化」してしまうところがあるなあって、ふと気づいた。 これも、HSPだからこその共感性の高さや受容力の高さからくるものなんだろうか。 わからないけれど、自分の目に触れさせる情報には、ちゃんと注意を向けていないとなあって思った。

「やりたいけど、時間がない」の本当のところ

最近、自分を磨いていこうと鏡に映る自分を見て思った。 鏡を見たときに「今のわたしが、わたしは好き!」って思える自分でいたい。 それは、内面的な部分でもそうだし、外見的な部分でもそうだ。 シンママだからとか、子育てで大変だからとか、給料がとか、そういうのは言い訳だなって思ったの。シンママでも、子育てが大変でも、給料が安くても、なにかしら自分でやっていけることっていうのは必ずある。 自分を大切にする、自分を磨くっていうのは必ずしもお金をかけないとできないことじゃない。 例

お会計後いつも気になりすぎてしまうこと

これはわたしだけなのかもしれない。 でも、そうじゃないのかもしれない。 例えばコンビニや郵便局、薬局などでお会計をした後、わたしはいつも気になりすぎてしまうことがある。 それは、お金を財布に入れ、商品をカバンに整理する時間のことだ。 あの、お会計が終わった後の、財布にお金を入れたり、小銭をちょっと分けたり、商品をカバンなり袋なりに詰めている間のあの時間って、なんだかすごく気まずくないですか? わたしだけでしょうか? 店員さんの、無言の「終わるの待ってますよ」的な沈黙。

「書く」ことで人生は楽になる

「書く」ことで人生は楽になる。 それは、どんな人にとっても。 頭や気持ちが混乱しているとき、人生の選択に迷うとき、自分にとって大切なものがわからなくなったとき。 「書く」ということで、頭の中が整理され、こころが軽くなる。 今日は、その具体的なステップも紹介しながら、「書く」ことがどうして人生を楽にしてくれるのかについて書いていこうと思う。 昨日、「書く」ということがトラウマを癒し乗り越えるために大切な要素だなっていうつぶやきをした。 「書く」という行為は、実際にトラウ

沈まぬように。そして、急ぎ過ぎて溺れぬように。

焦る。 気持ちが、急いている。 いろんなアイデアがずっと浮かび続けている。 今の自分が経験していること、学んでいること、試行錯誤していること。 そのすべてが、誰かの役に立つのかもしれない。 うつになるまでは見えなかった、進むべき道みたいなものが見え始めてきている。 でも。 急ぐな。 わたしの心の中から声がする。 なにかを学ぶとき、人はまず知識を知識として脳みその中に格納する。 その知識を、ただの知識として脳みその中から都度ひっぱり出しているだけでは、それはただ読み漁

HSCの癇癪とパニック障害の愛し方

突然だけれど、わたしの子どもはHSCだ。 非常に繊細で、敏感。かつ、年齢+4〜5歳程度の知能をもっている。 そんな彼女の癇癪に、過去2年間悩まされていた。 ほんの些細なことや、理由のよくわからないことで怒鳴り始め、泣き叫び、抱っこも拒否するし、すべてを拒否して1時間でも2時間でも叫び続ける。叫びすぎて、涙とよだれでぐちゃぐちゃになって、吐いてしまうこともあった。 どうしていいかわからないし、こっちもずっと子どもの全力の絶叫を聞かせら続けて、精神がやられる。わたしが鬱になっ

「ケンカするほど仲が良い」の本当のところ

うつになってから、家族やパートナーと話し合いをすることが増えた。 家族とは、ケンカのようにお互い声を上げてしまうこともある。 でも、今までのケンカとは全然違うなってことを、お互いに感じていて。 ケンカには生産的なケンカと非生産的なケンカがあるんだなって最近ひしひしと感じてる。 そんな言葉があるけれど。このケンカとは、生産的なケンカのことを指す。 非生産的なケンカばかりを続けるのは、いい関係とは言えない。 じゃあ、生産的なケンカと非生産的なケンカの境界線ってどこにあるん

季節のうつろいから人生を俯瞰して今いる場所を確かめる

朝晩と、毛布をかけて眠るようになった。 昨日は秋分だったようで、気づけばもう空も雲も空気も秋模様だ。 毎日を粛々と過ごしている間に、あっという間に季節は移ろっていく。 その季節の移り変わりの早さに、ぼんやりとした焦りと哀しみを感じるのは、自分自身が変化も進歩もできていないと感じるからだろうか。 婦人科系の問題が発覚した。 正確には、まだ確定はしていない。検査結果を待っている状態。 ただ、なにかしらの肉体的な病気というわけではなさそうなので、その点はちょっとホッとしている。

僕らは、重力の忘れ方を、忘れた

わたしの周りには、うつだった / 今現在うつである。 病院に行って薬を飲んでいた / 今現在、薬を飲んでいる。 そんな人が両手にギリギリおさまらないくらいの数、いる。 別に、うつだけじゃない。PTSDとか、躁うつとか、強迫性障害とか、統合失調症とか。名前は、色々。症状や状態も、さまざま。この世界で生きていくことへの息苦しさとか、生きづらさって事実だけは、多分だけど、一緒。 それは、友達の友達とかっていう間接的な数ではなく、直接的な知人の数だ。病院に行って診断名もらった知人

躁うつやうつとの向き合い方

躁うつやうつの対処法とは、ルーティーンを作り、思考を挟まず、一定のペースで自分自身を動かし続けることなのかもしれない。 学生時代に躁うつと診断され、その後躁うつと寄り添って生きている友人を見て、そんなことを思う。 なんで生きてるのか、とか。 なんでつらいんだろう、とか。 そんなこと一切考えない。 考えても無駄だし、余計に悩むだけだから。 彼女はまさに、浅草女のような生き様だ。 生きていくにはお金がいる。 お金を作るには働かないといけない。 だから、働く。 ただ、そ