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民間病院にコロナ専門病棟を開設する!はじまりの病院【02】埼玉県A病院

この連載は、コロナ専門病棟を開設した10の民間病院の悪戦苦闘を、スタッフの声とともに紹介していくものである。(連載一覧はこちら。

私(西村)が取締役を務める株式会社ユカリアでは、全国の病院の経営サポートをしており、コロナ禍では民間病院のコロナ専門病棟開設に取り組んできた。

まずは、国内でも最も早く民間病院のコロナ専門病棟をつくった、埼玉県のA病院からはじめよう。

クラスター発生で診療業務が停止

「埼玉県のA病院で複数の職員が感染」

2020年4月17日にその一報が入って以降、職員の感染報告は増え続けた。

私は、混乱する現場への指示と、保健所への連絡。院内クラスター発生と診療業務停止に関するプレスリリースを作成し、問い合わせに関する対応指示を出した。

病院経営に与える打撃を早急に試算する。緊急事態宣言発令後、多くの人が診療を控えていたため、病院の収入は大幅に減少していた。

クラスター発生により、さらなる減収も確定している。

資金ショートの危機という課題を打破する策はあるのか。いつまでを期限として、新型コロナ対策を決めていけばいいのだろうか。

何を軸に考えるべきなのなのか。

私は大きく息を吐き、ゆっくりと、息を吸った。
「焦るな」と言い聞かせ、一つずつ状況を把握していった。

A病院の機能が停止した場合に、地域医療に与える影響は?

病床数199床のA病院の地域には、2つの基幹病院がある。

1つは、徹底的な水際作戦を大々的に打ち出し、外来診療の制限、新規入院患者の受け入れの中止を表明していた。

もう1つは、新型コロナ重症患者の専門病棟を開設していたが、すでに満床状態だった。
病院の通常診療も制限されている。

地域病院の受け入れ状況

地域医療の崩壊ー。

その言葉が頭をよぎった時に、決意した。
これから重症患者はどんどん増えていく。それがわかっている以上、経験がなくてもやるしかない。この地域の医療崩壊を防げるのは、私たちしかいない。

進むも地獄 退くも地獄

2020年4月19日。
病院の理事長室で、理事長と事務次長、ユカリアの社長と私の4名で緊急会議を開いた。

院内感染の状況の共有に続き、事務次長から「今のままでは5月中旬には資金ショートする」と報告があった。猶予はない。

私は覚悟を決めて、理事長に訴えた。

このまま何もしなくても病院はつぶれてしまう。地域医療もすでに危機的状況にある。だからこそ、コロナ専門病棟をつくりましょう

重苦しい沈黙が流れた。
それは、院内の水際作戦を進めていた理事長にとって、突拍子もない提案であった。

「うちでできるわけがない。関係者もきっと反対するはずだ!」

理事長の声は重かった。

たしかに、民間病院がコロナ専門病棟を開設した事例はなかった。
経験者もいない。リスクが高すぎる。

院内クラスターの収束を待って、従来通り業務を再開をしていく方が安全ではないか、と考えるのが当たり前だ。国内の多くの民間病院がそうした対応をしていた。それに、まだまだ感染症の全容もわからない時期に、スタッフを専門病棟で無理に働かせるわけにはいかない。

新型コロナの患者を受け入れた病院に対する公的な補助金も決まっていない。

「どうやって経営していくというのか」

そう声を荒げる理事長に、「心配ない」と返せる根拠を、私も持ち合わせていなかった。
あまりに先行きが見えない提案に、理事長は視線を合わせず、窓の外を見つめていた。

コロナ専門病棟の開設には、行政から重点医療機関の認可を受けなければならない。民間病院で認定を受けた前例もないため認可が下りない可能性もあるが、行政を動かすことができれば、大きなインパクトを生み出せる

もう、それしかない。「一度、行政のトップと話をしましょう。すぐに会談を申し込みます!」

私は有無を言わさぬ勢いでそう告げて、会議を終わらせた。

県知事に働きかけてトップ対談

あの時、なぜ「無茶だ、ありえない、前例がない!」という状況に諦めず、コロナ専門病棟を開設する道を進み続けたのか。

課題は山積みだったが、「やらなければ」という医師としての使命感が、私を突き動かしていた。

理事長との会議を終えてすぐ、コネクションをフル活用して埼玉県知事と市長へ、会談を申し入れた。

患者受け入れ先の不足という行政側の事情もあってか、会談はすぐに開催された。
会談が始まると早速、県知事、市長から県内の感染状況と患者の受け入れ先について説明を受けた。

そして、「A病院のコロナ専門病棟開設に期待したい」という強い想いが伝えられた。

理事長の背筋が伸びる。

「ですが、民間病院でコロナ病棟開設の事例がありません。当院は現在医療資材も人員も資金も不足しています。行政とのやりとりに時間をかける余裕もありません」

「行政として必要な制度設立を早急に行い、医療資材の確保や補助金の準備など、できる限りの支援を行う用意を進めます」

行政側の力強い一言一言が、理事長の迷いを晴らしていく。

「理事長、地域の医療を守るために、力を貸していただけませんか?」

県知事のその一言は、行政のトップとしてだけではなく、一人の市民の願いのようにも映った。

空気が、変わった。

「わかりました。当院にコロナ専門病棟開設の準備を早急に進めましょう」

理事長は、力強く決意を述べた。

いちかばちかのトップ会談だったが、道がひらけて弾みがついた。会談の様子は地元のTV局などでも大々的に放送された。

会談で得られたものは大きかった。コロナ専門病棟として認可されるための交渉が省略できる。不足している医療資材も、行政の支援があれば解消していくはずだ。

はっきりとした補助金の金額は約束されなかったが、反故にされることはないという確信が持てた。医療従事者への支援拡大も約束してもらった。

動き出した医療従事者たち

「やるべきだ!」
「到底受け入れがたい!」

理事長からコロナ専門病棟の開設を聞いた職員の声は、割れた。

私たちが伝えられるのは、行政が支援を表明してくれていること、地域医療の現状、コロナ専門病棟を開設する社会的意義くらいだ。強制するべきことはなにもない。

経営陣は、この決定を聞き、多くの離職者が出ることを覚悟していた。医療従事者に対する偏見も強くなっており、家族から出勤を止められたというニュースも耳にしていた。

院内での話し合いの場を経て、数名の退職願を受け取った。だが、数名だった。強く反対し続ける人もいなかった。

院内クラスターを経験し、ゾーニングなどの感染対策の下地ができていたこと。医療従事者として新しい症例を知っておきたいと考えるスタッフもいたこと。病院にとって、もはや「対策不明の未知の感染症」ではなくなっていたことが、専門病棟開設を後押ししたのだと思う。

「感染に対する不安をゼロにはすることはできない。でも、正しく身を守る方法を知った人は攻めに回ることができるのだ」

不安と混乱で満たされていた病院の空気が、あきらかに変わり始めた。コロナ専門病棟の開設が決まってから、院内担当者の動きは早かった。

担当者を振り分け、病棟を整えていく。マニュアルとオペレーションの確立、シフト調整など、5月中には39床を用意し患者の受け入れができる体制が整った。通常外来、救急外来も再開した。

「本気で取り組むと短期間で、ここまでできるものなのか」自分で様々な提案をしながらも、驚きを感じていた。

知事との会談後、5月上旬には銀行からの融資が決まった。懸念されていた資金ショートも回避したのだった。

2020年6月。
A病院はコロナ重点医療機関の認定を受け、民間病院のコロナ専門病棟が誕生した。

病院の新たな出発

コロナ専門病棟の運用が安定するまで、病院の慌ただしい日々が続いていた。(現場の詳しい様子は次回)

そうした病院の姿勢に、地域の方たちからは、励ましの言葉が寄せられた。さまざま企業から、協賛や支援をいただいた。力強い応援はうれしかった。

緊張感と慣れない作業にやや疲れを浮かべているスタッフもいたが、みな堂々としていた。力強かった。「地域医療を守っている」という自負が、病院全体にみなぎっていた。

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次回は、埼玉県A病院から3名のスタッフが登場。現場スタッフはコロナ専門病棟開設をどのように受け止め、現場を動かしていたのか。インタビューを元にしたリアルな声をお届けします。

<語り手>
西村祥一(にしむら・よしかず)
株式会社ユカリア 取締役 医師
救急科専門医、麻酔科指導医、日本DMAT隊員。千葉大学医学部附属病院医員、横浜市立大学附属病院助教を経て、株式会社キャピタルメディカ(現、ユカリア)入社。2020年3月より取締役就任。医師や看護師の医療資格保有者からなるチーム「MAT」(Medical Assistance Team)を結成し、医療従事者の視点から病院の経営改善、運用効率化に取り組む。 COVID-19の感染拡大の際には陽性患者受け入れを表明した民間10病院のコロナ病棟開設および運用のコンサルティングを指揮する。「BBB」(Build Back Better:よりよい社会の再建)をスローガンに掲げ2020年5月より開始した『新型コロナ トータルサポ―ト』サービスでは感染症対策ガイドライン監修責任者を務め、企業やスポーツ団体に向けに感染症対策に関する講習会などを通じて情報発信に力をいれている。

編集協力/コルクラボギルド(文・栗原京子、編集・頼母木俊輔)/イラスト・こしのりょう