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前例のない挑戦!民間病院にコロナ専門病棟を作った人たち【03】埼玉県A病院

この連載は、コロナ専門病棟を開設した10の民間病院の悪戦苦闘を、スタッフの声とともに紹介していくものである。(連載一覧はこちら。

株式会社ユカリアでは、全国の病院の経営サポートをしており、コロナ禍では民間病院のコロナ専門病棟開設に取り組んできた。

今回は、民間病院でもっとも早くコロナ専門病棟を開設した埼玉県A病院の現場スタッフ3名に、怒涛の日々をどう乗り越えたのか振り返ってもらった。

看護部長 I.Sさん |患者さんとスタッフが少しでも早く安心できる状態にしたい

患者さんやスタッフの感染管理の中心にいたI.Sさん。消毒や検温の院内ルールの強化や、保健所への検査申請フローチャートの作成に取り組んでいた。徐々に体制を整え始めていたが、院内クラスターの発生により状況は一変した。

クラスターが発生して、何を考えていたのか覚えていないくらい、とにかく慌ただしく追われていました。病棟一つ分の職員(70名)を休ませるとなって、看護配置をどうするか、まずそのことを考えていました。現場は「できる人が、できることをやっていくしかない」という雰囲気だったように思います。

私は保健所の連絡窓口も担当していましたが、当時は、検査のハードルがものすごく高く、とにかく時間がかかることが辛かった。

申請書を手書きでFAXしたり、患者さんの情報は別で届けを出したりと1件の検査依頼に2、30分かかっていました。早く検査を終えて感染状況を把握したいのに、思うように進まないのが、もう・・・。

I.Sさんは検査対応に追われながら、クラスターに不安を覚えるスタッフのフォローにあたる。「医療従事者がみんな感染しているわけではない」「焦らずしっかりやっていこう」と伝えた。

医療資材が不足し、スタッフも不安だったようです。
「適切な場所で適切な数を使っていきなさい」とあらためて伝えて、スタッフを落ち着かせていました。不安になっていると、当たり前の対策もおろそかになってしまう。「それじゃダメだよね」って話しながら、声をかけていました。

スタッフは徐々に落ち着きを取り戻していく。そんな中「コロナ専門病棟を開設する」という話が理事長から下りてきた。I.Sさんが真っ先に思ったことは・・・。

「これで検査ができる」。ただそれだけでした。クラスターが発生して以降、濃厚接触者とされた院内の職員40名、患者さん20名の検査が必要でしたが、この検査をしっかり終えられると思うと安心しました。本当に。やっとできるって。

専門病棟の開設を決めた時は、すでにゾーニングも完了していた。まっさらな状態から病棟を始める苦労はない。それでも、気が休まる暇はなかった。

次々と患者さんの陽性結果が出るので、今後について説明しなければならない。一方で、まだ検査を受けられず、不安なまま自宅で待っている職員もいる。患者さんのご家族からも連絡が入っている。一つひとつ対応していくしかない日々でした。

I.Sさんは当時、現場からの不安も不満も耳にしなかったという。状況が落ち着いて初めて「こんなことがあったんだよ」と、聞かされた。

周りが私に、悪い情報を一切入れないようにしてくれていたんです。「耳に入らないようにしていたんだ」なんて誰も言わないんですけど。そうやって私は支えてもらっていたから、あの期間を乗り切る事ができたんだと思っています。

専門病棟の開設で、スタッフが安心して働ける環境ができ、患者さんの受け入れもスムーズになった。だが、全てが上手くいっていたわけではない。

病院で亡くなられた方がご家族に会えないのは、いたたまれなかったです。
また、病院で亡くなられた方をお見送りする際、通常であれば所属長や看護師と医師が立ち会うのですが、病院が混乱していて、私しか立ち会えないことがありました。本当に申し訳ない気持ちしかありませんでした。
ご家族とも会えない中で病院から出ていかれる最期を、とても寂しいものにしてしまったことが忘れられません。

それ以来、どんな時でもお見送りには数名が立ち会うことを徹底している。この2年間を経て、I.Sさんは「看護師は本当に素晴らしい職業だと思います」と話す。

入院患者さんのケア、リハビリ、清拭、検査、室内の清掃もすべて看護師がやっているんです。治療にはもちろん医師も入りますが、24時間付き添ったりはしません。24時間患者さんに寄り添って対応するのは看護師なんです。
なんだかもう、すごい職業ですよね。本当に素晴らしい職業だと、改めて思いました。


看護師長 S.Hさん|「おつかれさま」の一言に救われた日々

S.Hさんが新型コロナが自分たちにも影響してくると意識したのは、2020年3月。院内スタッフの感染が確認されたときだった。感染症の実態もわかっておらず、自分も感染するのでは、と不安を感じていた。そんな中、院内で複数の感染者が確認され、クラスター認定を受ける。

4月17日に5階の病棟で陽性者が・・・と聞いたときは、不安と恐怖が大きかったです。感染エリアのゾーニングをしなければいけないけれど、経験者がおらず、マニュアルもない。N95マスクや慣れない防護服を着用しての業務はとても大変でした。

ですが、「これは手術室のあのやり方で進めてみよう」とか、工夫しながら作業を進めたら、ちゃんとやりきれた。ほっとしました。

5階病棟に勤務する看護師の感染が確認され、スタッフが不足。他の病棟から看護師が集まった。だが、お互いの経験値もわからず、人員配置やシフトを考えるにも手間取ってしまう。医療資材の不足も、スタッフの体力を奪っていった。

5階病棟スタッフの健康管理を主に担当していましたが、必要な備品が圧倒的に不足していました。防護服やN95マスクを簡単に交換できず、一度、感染エリアに入ると、なかなか出てこれないんです。トイレにも気軽に行けず、水分を控え、脱水症状を起こしてしまう状況は本当に辛かった。

病棟が変わると、文房具の場所さえ確認しないといけない。そんなちょっとしたこともストレスになってしまう日々だった。そんなとき、理事長から「コロナ専門病棟の開設」についての説明があった。

新型コロナの影響で病院の経営がだいぶまずい状況にあると感じていたので、専門病棟を開設すると聞いたときは、そうした病院の変化も理解できました。

院長(理事長)が、先頭に立ってコロナ患者さんの治療にあたる姿を見ていたこともあって、できる限り協力していきたいと思いました。

専門病棟の開設準備から関わり、病棟勤務に入ることを希望しました。

4月21日から専門病棟開設の準備が始まった。防護服を着た作業や新しい仲間との関係にも徐々に慣れてきた。だが、院内の看護師間で、専門病棟に対する意識のズレがあった。「専門病棟で働いているの?」という言葉に悔しい思いもした。専門病棟で一緒に働くスタッフが、ストレスを抱え込まないように気を配った。「私は、寝たら忘れる性格なので」と笑うS.Hさん。スタッフや家族に支えられた日々だった。

専門病棟で働き始めた時、高齢の両親に「しばらく会えない」と連絡したら「応援しているよ」と言ってくれました。深夜帰宅が続いているのを心配した両親が、自宅にお弁当を届けてくれたり、励ましの連絡をくれたり・・・すごく力をもらっていました。

病棟のスタッフには、「なんでも書いていいノート」を用意して、「日々の困りごとや悩みだけではなく、腹がたったことでもなんでもそのまま書いてね」と伝えました。そこに書かれたすべては解消できませんが、業務改善を繰り返して、働きやすい環境作りを目指しました。

感染エリアから出てきたときに「おつかれさま」と声をかけられるだけで、ほっとするんですよね。励まし、労わり合える仲間に救われる日々でした。

2020年6月の開設以降、専門病棟で働くスタッフは誰一人辞めなかった。感染症の経験がなかった看護師たちも実践を重ねていった。地域医療の中で自分たちが果たす役割を何度も感じたという。

救急の受け入れをしてもらえず、1時間、2時間たらい回しになったり、「入院できなくて不安でしかたなかったけど、ここに入院できて本当に安心した」と言ってくれた方もいました。
そうした言葉を聞くと、地域の医療を守っている病棟なんだと強く感じずにはいられませんでした。身を引き締めながら、役割を果たす喜びを感じました。

新しい病棟の開設に関われたのは、看護師としてとても貴重な経験でした。まだまだ収束していない状況ですが、引き続き仲間と一緒に、患者さんと向き合っていきたいと思います。


事務次長代行 J.Uさん|病院を守り、職員を守り、地域医療を守るために

経営改善のため銀行からA病院に出向したのは2020年1月。埼玉県にも徐々に感染の波が押し寄せてきた。新型コロナの影響を感じ始める。感染対策を強化し、乗り切ろうとしていた矢先、恐れていたことが、現実となった。診療停止。病院にとって致命的だった。

院内で数名の感染者が出たと報告を受けてから、検査結果が届くたびに陽性者の数が増えていく。「あぁ、これはもう診療を停止するしかない状況なんだ」と腹をくくりました。

それでも、診療停止の期間を1日でも短縮する方法はないか模索しました。A病院は急性期病院(急性疾患または重症患者の治療を24時間体制で行う病院)で、1日の売上が大きい。

1週間の診療停止になると相当な打撃を受けます。とはいえ、中途半端な対策では患者さんや職員の不安は拭えないので、安全の確保と診療再開をどう見極めるのか。気持ちはずっと落ち着きませんでした。

「私にできることは資金を確保して経営を守ることだけでしたから」と、J.Uさんは口にした。

診療もできないし、現場が混乱していても、中に入って手伝えることはない。私にできるのは、資金を確保し経営を守ることでした。

1、2週間診療を止めれば、資金ショートする。どうやって資金調達するのかを必死に考えていました。

このまま診療再開を待っていても、病院はつぶれてしまう。そこに「コロナ専門病棟の開設」の話が持ち上がった。ただ、地域医療を守るために、できることをやるしかない。

「専門病棟をつくる」と言われても、民間でできるの?という感覚しかなかった。でも、やるしかないっていう状況でした。座して死を待つくらいなら、やるべきだって思いました。

ただ、専門病棟開設に補助金が出るとは決まっていなかったので、診療を停止したときのインパクトの試算や、コロナ病棟で患者受け入れが始まった場合の損益を見据えながら、引き続き金融機関の交渉材料を集めていました。

確実な手を見つけるまでは、立ち止まってはいられませんでした。

5月中旬には資金ショートが確実になっていた。早急に資金調達しなければならない。J.Uさんは奔走した。そして・・・。

ゴールデンウイーク明けに、金融機関からの調達のメドがついたんです。本当に、本当に助かりました。もう、叫び出しそうでした。

院内中に「決まったよ!」「資金調達したよ!」って伝えて歩きましたね。言いふらしたっていう方が正しいかもしれませんが(笑)。

資金面の不安を早く取っ払ってあげたかったので、「ひとまず大丈夫だよ」と言えたのは、本当に嬉しかったですね。

資金調達の一報から、院内の風向きが変わった。院内にも活気が戻ってきた。「病院はつぶれない」。それが職員が前を向く力となった。J.Uさんと職員との関係も変化していった。

資金調達ができるまでは、「こいつは何ができるんだ」といった雰囲気もありましたし、ちょっと壁があったんですよ。でも、資金調達ができたことで、院内でちゃんと信頼を得られたんだと思います。いろんな面で物事がスムーズに運ぶようになりました。

コロナ専門病棟開設に関する補助金も決まった。J.Uさんは経営改善を医師と進めていった。

もともと病院の経営改善のために出向していましたから。医師と話をして、診療単価の改善を進めました。新型コロナをきっかけに、経営に対する危機感を実感された方も多かったので、すごくいい対話ができました。

コロナ専門病棟と通常診療の両軸で回る病院には、地域の方から感謝の声が寄せられた。寄付や贈答品も驚くほど届いた。苦労したことが報われた。安心と喜びでいっぱいだった。

A病院は大きな挑戦をしました。勇気を持って一歩踏み出したことで、病院を守り、職員を守り、地域医療を守りました。私たちが危機を乗り越えられたのは、挑戦を選んだからだと思っています。

私個人の観点で言えば、ここでの経験は人生で一度あるかどうかというくらい、ヒリヒリしたものでした。もう二度と経験することのない日々を無事に終えて思うのは、あの経験ができてよかったということ。経験が足りず、周りを不安にさせてしまったこともありましたが・・・。そうした経験も含めて、これからの自分の人生に生かしていけたらと思っています。

この連載では、これまで語られなかった医療現場での挑戦や、葛藤を経験した人々の生の声を紹介していきます。次回は、京都の病院についてユカリア取締役医師の西村視点のお話をお届けします。

編集協力/コルクラボギルド(文・栗原京子、編集・頼母木俊輔)/イラスト・こしのりょう