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無理なのに、働くことに執着していたこと

わたしは、2013年に精神障害者保健福祉手帳(障害者手帳)を取得した。
2013年当時の認定は等級2級だったから、当時の主治医には就労困難と見られていたのだろうが、クローズ就労(=障害を会社側に明かさずに働くこと)を続けていた。
今振り返ってみると、もっと早く働き続けることをあきらめてしまえばよかったのに、と思う。
なぜ、こんなにも執着していたのだろうか、過去の自分に言ってやりたい。
「もう、がんばらなくていいんだよ」
と。

障害をオープン(開示)にして、障害者雇用を目指したことがなかったわけではない。
オープンでの就職活動も経験したし、就労移行支援事業所にも通所した。
しかし、結局クローズ就労にこだわってしまった。
理由は

1.障害者というバイアス(偏見の目)で見られたくない
2.障害者という理由で与えられる仕事の幅を狭めたくない
3.障害オープンにすると給与が低くなる

…そんな感じだ。
結局のところ、プライドが許さなかったのだ。


そこまでこだわっていたのに、2020年3月、クローズ就労を止めて夫の扶養に入れてもらう手続きをしてもらい、4月から扶養に入った 。

それに至った心境の変化には、3つの出来事があった。

1.義母への「もう働かない」宣言
2.職歴が増えすぎてしまったこと
3.夫に「食費を出してほしい」と懇願することができた


義母への「もう働かない」宣言

過去記事に、義父から仕事を転々としていることに苦言を呈されたことを書いたと思う。
もう怒られるのは嫌だったので、
「○○株式会社を退職しました。今後はこどもたちの学業サポートに徹します」
という宣言をしていた。

職歴が増えすぎてしまったこと

最終的に、職歴は14社。
障害者雇用専門のエージェントにも見放された。

夫に「食費を出してほしい」と懇願することができた

我が家の家計はほぼ夫が管理しているのだが、夫が不在の時(それが常態なのだが)の生活費はまったく考慮してくれていなかった。
それと、躁状態の時のわたしの浪費癖を隠したくて、お金のためにクローズ就労を続けていたという実情もあった。
無職期間が長くなってはじめて「食費を出してほしい」と頼むことができた。

さらに今、障害年金の受給手続を社会保険労務士に依頼して進めているところだ。
受給できれば、さらなる精神的安定につながるだろうと思っている。


昔夫にもらったメールを最近発掘した。そこには
「働いていなくても、生きていてくれればそれでいい」
とあった。
求めてくれる人がいるから、今は、自分なりに精一杯生きていようと思う。
そして、自分の得た経験や知見をつぶやき、つづり続けたい。


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