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失われたシエスタを求めて

私の部屋にはクーラーがない。関係ないが、電子レンジを持ったこともない。大分にスーパーボランティアと呼ばれる尾畠春夫さんという方がいる。山で行方不明になった子どもを見つけ出してその名が知られるようになった。いつどこで災害が起きても出動して車で寝起きできるように、平時から布団も敷かずに硬いところで寝ている。足元にも及ばないが、クーラーがなくても生きていけるようにと若い頃から続けている。

しかし、近年の猛暑は凄まじい。ある休日、夜更かしして日中に眠たくなってきた。瞼がどろんと落ちてくる。外気温は37℃を超え、凍らせたアイスノンを枕にし、扇風機を回し、それでもとても眠れる環境にはない。

睡魔と酷暑が同時に私を襲う。外に出て眠れる場所を探さねばならない。しかも金をかけずに。私は人口3万の地方都市に住んでいた。近場で考えうるのは公衆浴場施設の休憩所だった。あそこなら座敷に座布団で2時間ぐらい眠れる。だが、感染症対策で閉鎖されていた。

図書館はクーラーが効いているが、横になって眠れる場所ではない。そう、どう考えても合法的に無料で眠れる場所など街にないのだった。学校に侵入して、保健室の前でぶっ倒れて眠らせてもらうのはどうか。スーパーで買い物しながらバックヤードに迷い込み従業員の休憩室で倒れるのはどうか。よからぬことばかり思いを巡らしながら、睡魔はますます深くなるのだった。

ずっと昔、同じ経験をシンガポールでしたことを想い出す。シンガポールは吸い殻ひとつ道に捨てれば罰せられると有名だった。熱帯のビル群でバックパッカーの私は睡魔と戦い、フードコートでもショッピングモールでもビジネスビルのホールでも、どんなに仮眠をとれる一画を探しても見つからないのである。どこに行っても警備員が立っている。私は朦朧としながらどこかに座り込んでしまった。

結局、私はアイスノンと扇風機で眠ることに挑戦し、睡魔が酷暑に勝った瞬間があった。うなされながら私は夢を見た。

携帯が鳴る。あの男だった。今からそちらに伺います。そう男は言う。いい加減にしろ、と私は叫ぶ。男は私を付け回していた。電話を切り、カーテンをすべて閉めて電気を消した。

足音がして仲居さんがふすまをすーっと開ける。お客様です。後ろには男がいた。私は逆上して怒鳴るが彫りの深い男はただ無表情に私を見ている。わかった、話し合いで決着をつけよう。そう私は言った。

そこは結婚披露宴の会場のようなホールで、白いテーブルクロスの円卓がいくつか並び、高窓からさんさんと陽が射していた。男は10人ぐらいの連れとともに座り、私も10人ぐらいの連れと別の円卓に座った。テーブルには酒と料理が供されている。

隣の円卓でドナルド・トランプが会食をしていて、振り返って私にこう言った。なにごとだ。私はトランプにことの経緯を説明した。トランプは言った。徒党を組んでどうする。俺なら1対1でやる。

私は立ち上がり、向こうの円卓の最も遠くに座る男に叫んだ。てめえ、こっちに来い!

怒り狂う私を尻目にトランプは立ち上がり、ナプキンを置いた。そしてアメリカに帰った。

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夏の思い出

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