見出し画像

雪解けの大地が映し出す「心」のほぐれ⑨

雪解けが進みはじめる、4月の北の大地。
この地に足を踏み入れるのは、前職の出張以来となる6年ぶりだった。
今年の札幌は記録的積雪で、道や線路の脇に名残と、風の冷たさが頬に触れる。
もうすぐ芽吹き始めるだろう木々たちを眺めながら、旅の目的地まで心が先へ先へと急いでいるのを感じる。

待ち受けていたのは、期待を遥かに超える、気づきと変容だった。

1話2話3話4話5話6話7話8話はリンクから

24.畏怖

3日目の最初のアクティビティ。
7人(3頭+4人)みんなで馬場に入るというもの。

昨日までは触れ合わなかった、歌舞伎も中にいる。
何が起こるのか、全く予想はつかない。
でもその時必要なメッセージが、必ず現れるから、信じて飛び込んで委ねてみよう。

心を整えて、馬場に入る。

早速、歌舞伎が4人の元へ近づいてきた。
しかも、私を目がけて真っ直ぐ来ているように見えた。そのまま、身を委ねてみよう。

カプッ

厚手の洋服の左ポケットあたりに、噛み付く。
怯まない。胸の鼓動を抑えようと、ゆっくり深呼吸する。
歌舞伎は、容赦なく甘噛みを続ける。
噛んだまま、顔を持ち上げると、身体が浮きそうになった。
その瞬間「恐れ」が出てきた。

大きな声で「NO」と叫ぶ。

一向に、歌舞伎は辞めない。
一旦逃げてみることにしたが、つい背中を向けてしまった。
そこから「恐れ」が膨らむ。

また服を噛んできた。
「NO」と叫び続ける。

すると、周りにいた仲間も「NO」「NO」と言ってくれているのが分かった。
それでも辞めない。
こちらの真剣度が伝わっていないのか・・・?

振り切って逃げた。
視野が狭くなっていて、みんなが何処にいるのか、
他の2頭が何をしているのか、
全く見えていなかったが、みんな近くにいてくれていた。

フワちゃんと、3人の人間の陰に身を隠した。

心臓がバクバクしている。
心なしか、足が震えているようだった。
「恐れ」と対峙しながらも、怯むことはなかった。
でも、どこか諦めのような感覚が出てきていたような。
逃げてみて、初めて恐かったのだと、認識した。

とにかく、存在感を消して、自分を鎮める。
その間は他の仲間が歌舞伎と向き合っていた。

意思表示として、今は来ないでというジェスチャーをする。伝わっているか、否か、分からないが。
拒絶のスタンスを初めて示した。
心のざわつきは、時間が過ぎても、鎮まることがなかった。

「一旦、止めましょう!」

Amiiさんが、声をあげる。
そして、私たちは馬場から出ていった。

「どうだった?」

と、聞かれると、涙が溢れてきた。
恐かった。その恐怖心。
自分より大きく力の強い相手への畏怖。
でも、それだけではない。

「私は、歌舞伎を受け入れよう最初から思っていました。でも予想外のこともあって、それでも、逃げませんでした。」

「なぜ、逃げなかったかと言うと・・・私がこうされていれば、みんなを守れるって思って。耐えたんです。でも、途中で、みんなも助けてくれるから逃げてもいいんだって気がついて逃げることが出来ました。」

自己犠牲

その言葉が重くのしかかった。
なぜ、自己犠牲的にするのか、自分では全く理解出来ていなかった。
昨日からずっと話のテーマになっている「自己犠牲」が、目の前に現れたのだ。

体験して、口にして、初めて分かった。
なぜ、自己犠牲するのか。
仲間を守りたかった。
そのために、自分が犠牲になることを厭わない。
でも、それは意味がある自己犠牲なのだろうか?

人が傷つくのを見たくない。
同じように心が痛むから、だから、私が引き受けるようにしてきたのかもしれない。
誰もそんなことは頼んでいない、ある意味、お節介的で自己満足なのかもしれない。

話しながら、そんな思い沸き起こってきた。

自己犠牲への否定感
拒絶する勇気
仲間に助けを求める感覚
仲間を信頼する感覚

このアクティビティに、今の私にとってとても大切なメッセージが詰め込まれていた。


25.人格否定

みんなの感想シェアも続いていた。
あきぽんが歌舞伎について話す。

「私のところに歌舞伎が来た時に、こわいと思って触れ合う前から拒絶しました。そのとき、歌舞伎は落ち込んだように見えたんです。」

Amiiさんが、すかさず言う。
「そう。みんな歌舞伎の口元ばかり見てなかった?目は?鼻は?動きは?耳は?どんな反応してたと思う?私が止めに入らなかったヒントがそこにありますよ。」

口元しか見てなかった。本当にその通り。
相手のことをしっかりと観察出来ていなかった。
パニックになっていたのもあるが、恐いところにフォーカスしたから、より恐怖心が増したのかもしれないな。

あの時、すぐに逃げなかったのは悪意を感じなかったから。
でも、やめて欲しいことを伝えても辞めなかった相手だったから、私は自分が離れていく選択をした。

伝わらない相手に、どうするのか?
そんな問いも残っている。

愛さんが口を開く

「歌舞伎の目は、怒ってる感じはなかった。辞めてって言って離れたら、悲しそうだった。」

そうか、みんなから拒絶されて悲しかったのか。
思ったことを発言してみる。

「行為は嫌だけど、そこから歌舞伎という存在まで拒絶してしまったんですね。私たち。」

だから、歌舞伎は最後はずっとAmiiさんの近くにいた。その様子を遠目から、みんなで見ていたのだ。
Amiiさんが話し出す。

「えすみんのところに、最初に歌舞伎が行った時に、行動が大きくなっても私は止めませんでした。観察していて、止める必要が無いと思ったから。その後も、彼を止めるような必要性は今回のアクティビティではありませんでした。」

ひとつの行動を見て、全体性を判断する危険性を感じる。
人間界でも、失敗するとそれがあたかも人格否定のように感じ取ってしまう。
それは本人だけではなく、周りがつくりだす空気かもしれない。

「あいつは、ああいう奴だから」

これまで、こういう前評判を鵜呑みにしないように気をつけてきた。
先入観とは上手く付き合わないと、判断を曇らす。

行為・発言=人格、としないように気をつけねば。
自分自身もその結び付きによって苦しめられる。
失敗が怖くなるのも、
主観的に話すことが怖いのも、
根本的には指摘されたときに人格否定されたと受け取ってしまうからかもしれない。

これまた、大きな気づきだった。
全員が無言でその言葉を、感覚を噛み締めている。

拒絶


26.変容の兆し

「次は、どうする?どんなアクティビティしたい?好きなこと挙げていいよ!」

私の気持ちは決まっていた。

一度拒絶した相手に、畏怖の念を持つ相手に、向き合いたいと。
傷つけられるという「恐れ」を克服して、対峙したい。そして行為と人格を分けて嫌なことには「NO」を全身で表現したい。

馬相手に出来なければ、人間界でもできない。
だから、この場でもう一度みんなと馬場に入りたい。

そう、意思表示した。
全体的にその意向が強かったので、再度7人で馬場に入ることになった。

「本当にやり残したことない?これが最後だよ。」

Amiiさんが、遠慮がちな私たちに声をかけてくれた。すると、れいちゃんが発する。

「私は、もう一度フワちゃんとお散歩したい」

正直、驚いた。それと同時にとても嬉しかった。
なぜなら、れいちゃんはこの4人の中で、最も周りの目を気にして、自分のやりたいことを言わないから。

たった一言の意思表示。
それが、れいちゃんが大変容したことを物語っている。

「じゃあ、れいちゃんはみんなでやった後に、フワちゃんと散歩しよう!それ以外はいい?」

その言葉を聞いて慌てて、れいちゃんが確認する。

「えっ私だけ二つもやって大丈夫?わがまま言ってごめんなさい。」

ごめんなさい、なんてことはない。
やっぱりそう感じてしまうのは、れいちゃんの行き過ぎた優しさかもしれない。

子どもの頃から「わがまま」とか「自己中」といった呪いの言葉をかけられたことが
誰でも一度くらいはあると思う。

周りを見て、空気を読んで言動することを求められるから。
ついつい、顔色をうかがってしまう。

大人になって、心許せる人にも。
大切に思えば思うほど・・・
本当にお互いを尊重し合う仲間であればそんなことは無いはずなのに。
癖は恐い。みんなを信じられなくなっているのかもしれない。

それでも、勇気をだして、自分がやりたいことを発言した、れいちゃんの変容は感動すら覚えた。

みんなで笑顔でその意思表示を受け入れ。
そして、いよいよリベンジのアクティビティが始まる。

次回へ続く


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?