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【映画感想】GAGARINE ガガーリン

とはいってもロシアの宇宙飛行士の話ではなくて、その名を冠したフランスの公営住宅に住む孤独な少年の話。これ、小品ですが(ていうか、こういうのを大上段に構えた社会派の話にしてなかったのが)めちゃくちゃ良かった。『GAGARINE ガガーリン』の感想です。

ひとりでガガーリン団地に住み宇宙飛行士を夢見る16歳のユーリ少年。この設定の時点でだいぶよく出来たフィクションだと思うんですけど、その主人公に現実の厳しさというかよるべなさ(母親に捨てられたとか貧困とか敵わない恋とかとか)を纏わせて、そこに生の象徴としての団地というのがあって。で、その少年の現実と夢の軋轢(つまり生きるということ)が臨界点に達したところで映画が映画として存在する為のもっとも美しい魔法(少年の夢が現実を凌駕していくの)を見せてくれるみたいな。魔法って書くと現実とは剥離したところにあるファンタジーと思うかもしれませんが、この映画はその舞台を実在する団地(ほとんど廃墟)にして、それに命を与えるのが少年の知識と経験(夢と現実を繋ぐパイプですよね。)とすることでSFになっていると思うんです。まずはこのフィクションと現実の着地のさせ方にグッと来たんです(厳しい現実と夢や希望みたいなことの軋轢を描いて、その臨界点としての映画的魔法ってことで言ったら空族の『典座』に近いと思うんですよね。あれも映画的な魔法掛かりまくりますけど圧倒的に現実というか。)。

だから、基本的にはそのユーリ少年の青春ドラマとか恋愛ドラマとして進んで行くんですけど、その裏には常になんともしがたい現実っていうのがべったりと貼りついていて。これは夢見ることを諦めない年齢の少年が主人公だから成立してるというか、たぶん、ユーリは辛い現実から逃避する為に夢を見てるんじゃないんですよね(その証拠に老朽化した団地を自ら修復するという夢を現実化する行動をしてるんです。)。この辺の描き方も凄く良くて。で、そこにもうひとりの主人公として登場するのがこのガガーリン団地なんですよ。

2024年に行われるパリ・オリンピックの再開発によって2019年に取り壊された実際の団地(2030年には新たな公営住宅として立て直されるらしいです。)なんですが、その取り壊されるタイミングでこの撮影が行われているので、実際の団地を好きな様に解体して作り変えてみたいなことが出来るんですね。つまり、現実に存在する団地をユーリの頭の中のセットに実際に作り変えることが出来るわけなんです(リアルとフィクション、つまり現実と映画が交錯するんです。)。ユーリが修復してた団地がユーリによって解体されて、そして、最後は天に召されて行く(最後のシーン、僕にはガガーリン団地が大きな棺桶に見えました。)。この映画がどういう経緯で成り立ったのかは知りませんが、解体されることを知った監督が団地に最後のたむけをしたのだとしたら凄く良いなと思いました。ユーリが手を加えることで団地がどんどん生命を帯びて行くように見えるんですけど、最後はユーリの憂鬱や絶望を引き受けて飛び立って行く。思春期の少年の青春を描きながらずーっと背後に死の匂いを感じる映画だったんですけど、それはユーリに内在していた死の匂いで。ユーリに命をもらったガガーリン団地がその死の匂いを引き受けて宇宙の彼方へ旅立つ。泣くというより震えました。震えるくらい物言わぬ団地に心動かされました(僕には途中からユーリとガガーリンが、藤子F不二雄先生の漫画に出て来るのび太とドラえもんとかキテレツとコロ助に見えてきたんですよね。そういうバディ物だったんだなと。)。

ユーリが宇宙飛行士に憧れているという設定からラストは『2001年宇宙の旅』へのオマージュだと思うんですが、宇宙飛行士に憧れるユーリがどこかで観た『2001年~』のビジュアルを頭の中で再現してるんじゃないかなと言うような描かれないバックボーンを想像してしまうくらいハマって観てました。なんというか、死生観と孤独の描き方が『ゴースト・ストーリー』(これも孤独というのを突き詰めてそれを映画的な魔法で見せる映画でしたね。)に近くて。孤独と死を描いてるのに観たあとはそこはかとなく希望みたいなものが残るんですよね。あ、あとクライマックスの映画的魔法が掛かるシーンの前にちゃんと現実の世界の美しさ(もしかしたら、クライマックスのシーンよりも美しさで言ったらこっちの方が息を飲んだかもしれません。)も描かれていて、そこもめちゃくちゃ良かったんですよね。ユーリが恋するディアナとガガーリン団地の屋上に行くシーン。


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