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マリッジ・ストーリー

久々に書き始めた映画感想ですが、相変わらずの自粛生活の上に映画館もいまだ休館中ということで、遅ればせながらNetflixへ入りました。Netflixはオリジナル作品が面白いという噂。一昨年のアカデミー賞で最多の10部門にノミネートされた『ローマ/ROMA』を始め、去年のアカデミー賞でも『アイリッシュマン』と『マリッジ・ストーリー』の2作品がNetflixオリジナル作品からノミネートされています。その中から、ある夫婦の離婚が成立するまでを描いた『マリッジ・ストーリー』の感想です。

えー、妻のニコールをスカーレット・ヨハンソンが、夫のチャーリーをアダム・ドライバーが演じているんですが、まずはこの競演ですよね。かたや『アベンジャーズ』、かたや『スター・ウォーズ』のふたりの離婚劇が一体どんなバトルになるのかという。しかし、まぁ、あっちも出来てこっちも出来るのがこのふたりの魅力なわけです(しかも、このあと出演した『デッド・ドント・ダイ』や、『ジョジョ・ラビット』では各々更に違った感じのキャラクターを演じていて凄いんですが。)。えーと、たぶん、ニコールもチャーリーも周りから見たらうらやましがられる様なカップルなんだと思うんですよ(このふたりを配役してる時点でそうですよね。で、それを逆手に取ってるのが上手いと思うんです。この映画。)。アダム・ドライバー演じる夫のチャーリーは、ニューヨークで劇団を立ち上げてそれなりに成功している演出家で、その劇団の看板女優のスカーレット・ヨハンソン演じるニコールと結婚して息子がひとりいてという。ニコールにしたって、夫の劇団で一緒に作品を作りながらその作品が評価されて女優としても認められて、家庭も平和で夫も理解ありそうだし息子はかわいいし。外から見たらそういう風に見える夫婦なんですね。でも、この映画はそのふたりが離婚しようとしているというところから始まるんです。つまり、一見して特に問題なさそうな人も羨む様な夫婦なのに離婚する理由はあるっていうのが前提なんです。というか、どんなに問題なさそうな夫婦でも夫婦であるということだけで離婚する理由は無条件にあって。では、じゃあ、なんで人は共に生きようとするのかっていうのを逆説的に描いた様な映画だと思うんですね(ほぼ結婚生活が描かれないのに『マリッジ・ストーリー』っていうタイトルなのはそういうことだと思うんです。)。

で、そういう離婚することの曖昧さを描くことがそのまま結婚生活の曖昧さをも描いてる映画ってこれまでも沢山あったと思うんですけど、この映画が新しいなと思ったのは、その理由を確固たるものにする為に登場するキャラクターっていうのがいて、それが夫婦それぞれにつく弁護士なんです(ニコール側につく弁護士を演じたローラ・ダーンがこれでアカデミー助演女優賞獲ってますね。)。ここが今っぽくて面白いんですけど、この弁護士がもの凄くテクニカルというか。ビジネスライクってわけでもなくて、凄く出来る人なんだろうなというのは分かるんですけど、ゲームを攻略するかの様に話を進めて行くので、確かに離婚する理由を突き詰めていけばそういうことになるだろうけども、そうハッキリと指摘されると自分が今感じている心情とは何か違う気がする。で、そういう事実と心のズレに、人が誰かと共に生きて行こうとする時の想いの部分が描かれてる様な気がして。例えば、結局ニコールが結婚生活において自分のしたい様に出来なくなってしまったのは(結婚したからというよりも)家庭を持ってしまったからで、チャーリーに気を使っていたからではないと思うんです。恐らく、ふたりに子供がいなかったらニコールはL.Aでの仕事を引き受けてその間夫婦が別々に暮らしていても問題なかっただろうし。チャーリーにしても、家庭を持つ良き夫、父としての自負があるから妻と子をL.Aで暮らさせて自分だけN.Yで仕事するわけにはいかなかったと思うんです。で、それはふたりが息子のヘンリーを愛していたからで。愛していればこそ(良き家庭人であろうと思えばこそ)出来なかったことが結局裁判においては子供のことを想っていないというマイナスポイントになってしまうという。そういう思いと行動にズレを生じさせることで裁判で有利に立つのと同時に別れる意思を固めさせる離婚弁護士としての手腕というか、その描き方が(正しい表現ではないかもしれませんけど)見事過ぎて。僕はこのズレが最大限に達するチャーリーとニコールのケンカのシーン(ここのアダム・ドライバーたまらなく良かったですね。)で、家族を想えばこそ家族の望まない行動に出ざるを得ない『家族を想うとき』の父親の姿を思い出しました。

だから、そうやって、チャーリーとニコールの心情に寄り添いながらも、それを俯瞰でというか、ロジカルに解明しようとしてるかの様な描き方が面白いんですけど、さっきの弁護士の描き方もそうではありますが、ふたりの息子のヘンリーのリアルな子供感とか。何て言いますか、大人が示す見返りを期待した愛情とは明らかに違う「お父さんからの愛情もお母さんからの愛情も感じてますけど、僕は、僕が愛情を示したいと思った時にしか示さないから。」的な愛に対して自由な態度ね(で、そういうヘンリーがめちゃくちゃかわいいんですよ。子供のかわいさってほんとこういうとこだよなと思います。)。ぶっちゃけ、チャーリーとニコールがお互いにこのヘンリーみたいな愛情表現を認めていれば別れる必要なんてなかったんじゃないかなと思ってしまうんですよね(もちろん、これは全ての大人に言えることなんですけど。)。

で、このチャーリーとニコールの心の旅と、それを俯瞰で見るっていう描写が平行して描かれていってそれが一体どこへ行き着くのかっていうのが見どころなんですが(つまり、こういう個人的な心の問題を哲学的に描くっていうことでやっぱりウッディ・アレンぽいんですね。この映画。)、まぁ、やっぱり最後は、それをオチに使ったかと思わないこともない演出でもあるんですが、ただ、泣きますよ。それは。なんでそういうことを感じながらも泣けたかというと、ずっと別れる為の理由を探してきたふたりの心の旅が最後で一緒にいた理由に変換されるからなんですよね。

(あ、あと、スカーレット・ヨハンソンが靴紐を結んであげると泣けるっていうのが『ジョジョ・ラビット』と併せて観る事によってより明確になりました。)

https://www.netflix.com/title/80223779

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