見出し画像

【映画感想】クルエラ

ディズニー・ヴィラン実写化シリーズの最新作です。ディズニーはコロナ禍になってから新作映画を劇場公開せずに配信に切り替えていたので(いつでも観られるということで)追って観なくなってしまっていたんですが、そろそろ大作めいたのが観たいなというくらいのテンションで行ったら、これ、傑作でした。えー、『101匹わんちゃん』のヴィランが悪に目覚めるまでを描いた誕生譚『クルエラ』の感想です。

「ディズニー史上最も悪名高いヴィラン」と言われるクルエラの誕生譚ということなんですが、あの、そういう、ディズニーとか、ヴィランとか、誕生譚とか一旦全部忘れて下さい。そういうところに引っ掛かって楽しめないのはもったいないです。70年代のロンドンを舞台に、ファッションに関して天才的な才能を持つ少女が業界のトップに上り詰めるまでを描いた成長物語であり、その少女を少女たらしめている血と才能を巡る呪いの話であり、ストリートから現れた新たな才能が古い価値観に挑む世代交代の話でもあるんですが(あ、あと疑似家族ものでもあります。)、じつは、その3つのプロットを繋げる共通した思想(つまり、それを体現するのがクルエラなんですが。)が70年代にアメリカから始まってロンドンで火がついたパンクの思想なんですよね。だから、これ個人的には、クルエラというディズニー・ヴィランの誕生譚でありながらパンクという思想の誕生譚でもあると思うんですよ(なんてことを断定的に言ってしまうとリアル・パンクスの人に怒られそうなので、あくまで個人的な見解としてということですけど、なるべく納得して頂ける様に説明していきたいと思います。)。

えー、まずストーリーなんですが、産まれながらに髪の色が白と黒のツートーンに別れてしまっている(後にクルエラとなる)エステラという女の子がいて、その髪が象徴するかの様に人に合わせて生きることが苦手な子なんですね。で、学校に上がってもクラスメイトとのいざこざが絶えない問題児で、とうとう退学になってしまうんです(正しくはすんでのところで母親の判断により自主退学になるんですが。)。それでロンドンに行くことになるんですけど(この、ロンドンに行くことになるっていうところで、「退学ではあるけど、ファッション関係の仕事に就くなら都会の方が良い。」みたいな思考の転換を母親がしていて、こういうセリフひとつで母娘ふたり暮らしの中で母親が娘に対してどう接して来たかが分かったりするのが上手いなと思うんですよね。)、その道中に母親が亡くなってしまうんです。天涯孤独となったエステラはジャスパーとホーレスという少年窃盗団と出会い大人になるまで泥棒として生計を立てるんですが、ある時、子供の頃からの夢だったファッションに関わる仕事に就く為にロンドンで最もイケてるデパートに就職するんです。そこでエステラに目を付けたのがファッションブランド界のトップデザイナーのバロネスで、エステラはバロネスの元で働くことになるんですけど、じつはこのバロネスが母親の死に関わっていたってことが分かって、エステラはデザイナーとしては尊敬するバロネスに復讐を誓うことになるわけなんです。はい、というわけで、こうやって物語の流れだけ書いてみると、母の死によって天涯孤独になってしまった少女が恩師に復讐しなければいけないという、古くからあるお涙頂戴系の物語に見えるんですが、これをですね、少女の自立と権威に対するカウンターの話に読み換えているのが面白いんですよ。

で、僕はこのユーモア(世間からはふざけてるのかと思われそうなやり方)を持った個人の考え(センス)で権威に対して反抗していくというのがパンク的だと思うんです(ちなみに僕のパンク観は『パンク侍、斬られて候』の感想で詳しく書いてるので良かったらそちらもご一読ください。)。しかも、その反抗の根幹に"真実を知りたい"というのがあるのも。で、これは観終わってから気づいたんですけど、監督が『アイ、トーニャ』のクレイグ・ギレスピー監督なんですよね(『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』の感想はこちらです。)。『アイ、トーニャ』は、世界的に有名なフィギュアスケート選手のトーニャ・ハーディングがライバル選手のナンシー・ケリガンへの暴行事件に関わっていたんじゃないかという事件をミステリー風に描いた作品で(めちゃくちゃ面白い映画なんですが)、この作品が正しくフィギュアスケートに関しては天才なんだけど人間性に問題ありのトーニャ・ハーディングを、横暴な怪物ではなく小心者で不器用な人間(それがトーニャよりもよっぽど横暴な周りの人達によって振り回される話)として描かれているのが面白かったんですが、じつは『クルエラ』はこの『アイ、トーニャ』とネガポジになる様な映画なんです(母親との複雑な関係性とか。)。なので(まず、この話にクレイグ・ギレスピーを起用したディズニー偉いなと思うんですが。)、『クルエラ』は、イカれた天才(最近だとNetflixの『クイーンズ・ギャンビット』もそうで。僕はこの手の話が大好きなんです。)をパンクという社会現象と共に描いている(つまり、イカれた天才が社会の規範みたいなものを才能とセンスと行動で変えて行くという)話なんですね(だから、こういう話をディズニー・コンプライアンスの中で頑張って攻めた描き方してるなと思いますよ。そこをやってくれそうな人ということでクレイグ・ギレスピー監督の起用だと思うので、やはり、ディズニー偉いなと。ディズニー・ヴィランのサイコなところはちゃんと残しつつ多面性のあるリアルな人間像にしてますからね。)。で、のわりには劇中にロンドン・パンクが全然流れないじゃねぇかという意見もあると思いますが。たぶん、使われてるのってクラッシュの『ステイ・オブ・ゴー』くらいなんですね。これはなぜかというと、個人的にはロンドン・パンクの中で最もコマーシャルなバンドがクラッシュだったからだと思うんです(しかも、82年に出た『コンバット・ロック』というアルバムの曲なので、もう、クラッシュが初期の頃の様なパンクな曲をやらなくなってからの曲なんですよ。)。要するに、(セックス・ピストルズの様な)殺伐とした曲を使っちゃうとその頃のロンドンの雰囲気に合わなくなっちゃうんだと思うんです。だから、他の曲も割と70年代に流行ってた誰もが知ってる様な曲が使われていて。つまり、描かれているのはまだパンクが生まれてなかった時代なんだと思うんです。というか、クルエラ自身がパンク(という思想)そのものとして描かれていて、登場する衣装とそのショーの鮮鋭さを見れば一目瞭然なんですが、クルエラのモデルって(セックス・ピストルズのプロデューサーでありファッション・デザイナーの)ビビアン・ウェストウッド(であり、マルコム・マクラーレンであり、ジョン・ライドン)なんですよね。つまり、彼女が現れることでパンクという概念が生まれるって話なので、劇中にセックス・ピストルズが流れていてはおかしいんです(個人的にはヴィヴィアンが『SEX』というパンクファッションのお店を出す前、73年くらいの話だと思ってます。)。だから、その上での、劇中で実際に演奏されるのがストゥージズの『アイ・ワナ・ビー・ユア・ドッグ』(69年リリース)なんだと思うんですよ。ロンドン・パンクの連中がお手本にしていて、ピストルズも『NO FAN』をカバーしていたバンドで(つまり、パンク前夜を思わせる選曲なんです。)。しかも犬繋がり。ちゃんと選曲に思想があると思います。そして、その劇中のバンドのボーカルをとるのが、ストゥージズ解散後のイギー・ポップを公私共に救ったと言われるデヴィッド・ボウイ風のキャラのアーティっていうのも憎いですよね。

イカれた天才を魅力的に撮るクレイグ・ギレスピー監督と、『女王陛下のお気に入り』(この映画も、女王陛下に気に入られるふたりの女性の覇権争いというか成り上がりの話を、ヨルゴス・ランティモス監督がパンクな肌触りのある映画にしてますよね。そして、ここでもエマ・ストーンがとても良い役で出てます。)のトニー・マクナマラの脚本なので、こういう話になるのは必然というか、そりゃ面白くなるよなと思うんですが、もうひとつ、クルエラが天才だというのを一目で納得させてしまうのがその衣装で。『マッドマックス 怒りのデスロード』の衣装のジェニー・ビーヴァンが担当していて、デザインそのものの凄さもそうなんですが、そのひとつひとつに思想があるんです。例えば、バロネスの白黒のみというドレスコードのあるパーティーに、白いフード付きのコートで現れたクルエラがコートに火をつけると中から真っ赤なドレスが現れるのは、アンチバロネスというのを衣装のみで語っているし、ゴミ収集車から大量のゴミが出て来るとその中からゴミ袋のドレスのクルエラが現れて、そのままゴミ収集車と共に去って行くのは、清掃員だったエステラがクルエラとなることでその過去も含めて芸術へと昇華しているということだし(同時にストリートから出て来た新しいセンスがバロネスの持つ古い価値観を超えるって意味でもあると思います。)、その後にバロネスのショーにバイクで現れたクルエラが(パンクファッションでよくある)目の周りを黒くするメイクをして、そのメイクに白文字で"THE FUTURE"と書いてあるのは、ファッション界の未来を担うのは自分だというメッセージであり、ストーリー外のことで言えば、明らかにセックス・ピストルズの"NO FUTURE"への目配せでもあるわけです。つまり、パンクの代名詞的なセリフに対してもアンチを唱えるというメッセージになっているんですよね(そして、それがディズニー的なポジティブなメッセージになっているのは監督のシニカルさの表れかなと思いますね。)。つまり、衣装もパンク的思想で作られているんです。

はい、ということで、以上の理由で僕はこのディズニー映画を紛れもないパンク・ムービーだと思うわけですが、やっぱり、なんと言っても凄いのは、こういうもろもろを一身に受けたキャラクターであるクルエラをエマ・ストーンがほんとに魅力的に演じていて、映画のアウトプットがめちゃくちゃキャッチーなことと(そもそもパンクというのもキャッチーな音楽なんですけどね。)、こういう話をディズニーの資金力で超豪華絢爛なエンタメに出来ていることだと思いました。



この記事が参加している募集

映画感想文

サポート頂けますと誰かの為に書いているという意識が芽生えますので、よりおもしろ度が増すかと。