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Traveler's Voice #17|田中愛生

Traveler's Voice について

Traveler's Voice は特別招待ゲストの方からエスパシオに泊まった感想をインタビューし、読者のもとへ届ける連載記事です。この企画の目的は”自分ではない誰か”の体験を通して、エスパシオを多角的に知っていただくことと、ゲストが日頃行っている活動を合わせて紹介するふたつの側面を持っています。ご存じの方も多いと思いますが、エスパシオは「いつか立派な観光ホテルになる」と心に誓った山口市にあるラブホテルです。この先どんなホテルに育っていくのか、まだ出発地点に立ったばかりですが、この企画を通してゲストの過ごし方や価値観を知り、計画にフィードバックしたいと考えています。インタビュアー、執筆、カメラマンを務めるのは「エスパシオ観光ホテル化計画・OVEL」を進めているプロデューサーの荒木です。それではインタビューをお楽しみください。


ゲスト紹介

Travelers Voice 第17回目のゲストは田中愛生たなかあいきさんです。東京都あきる野市出身、2008年、日本の高校を卒業後スペイン料理を学ぶためスペインへ留学。帰国後2010-2011年、服部栄養専門学校に通い調理師免許を取得。2011-2013年、銀座の懐石料理店で日本料理を学ぶ。2016年、生物学を学ぶためにフランスへ留学。2019年、日本に帰国し山口県へ移住。山口では地域おこし協力隊として3年間活動し、2022年、湯田温泉街に「田中ゲイ企画」というバーを開業。同年、国内唯一のゲイのコンテストであるミスターゲイジャパンでグランプリを受賞。バーの運営をしながら山口レインボープライドの実行委員会の委員長を務めています。


愛生さんが泊まったお部屋紹介

愛生さんに宿泊していただいたお部屋は401号室です。西のバルコニーからはテニスコートに置かれたアートを見ることができ、北の窓からはすっきりトリミングされた裏山の自然を感じることができる、スタンダードダブルの部屋です。


インタビュー

Araki:こんばんは、今回はワインを飲みながらリラックスした中でインタビューを受けたいという希望に応えて、久しぶりのナイトインタビューです。愛生さんはピアノ演奏が得意ということもあって、やっぱり部屋で流す音楽もクラシックなんですね、なんだかエスパシオがハイカルチャーなホテルになった気がします 笑。16時にチェックインして数時間お部屋で過ごしてみていかがでしたか。

Aiki:バーではポップスを流してるけど、普段はクラシックばかり聴いています。部屋では2時間くらい頼まれていた原稿執筆作業をして、その後はこの日のために準備していた本を読んでいました。今回はせっかく招待していただいたので、ワイン、本、映画、あれもしたいこれもしたいと普段は見送ってしまうような事をホテルに持ち込んでみました。ここへ訪れる機会を与えられたことでぼくの中に眠っていた”自由な時間を楽しもう”とする欲望が目を覚ましたような実感があります。ホテルってその場に留まらせようとする力がありますよね、それがかえって便利な一面もあることに気がつきました。ぼくが地域おこし協力隊をはじめた1年目、山口市内を徹底的に調べるためにすべての道路を走った経験があるんですけど、その影響でエスパシオの存在は知っていました。中に入ったのは今回がはじめてで、まずエントランスロビーで度肝を抜かれました 笑。そこから部屋に案内していただき、想像以上にラグジュアリー空間になっていることにも驚きました。特に窓から見える景色が素敵です。山口に住んでいると街を見下ろす経験ってなかなかありませんよね、はじめは友人の高層マンションから、次は県庁の展望室から、古熊神社から、そしてエスパシオから 笑。街を高みから眺めたのは今日で4度目 笑、どれもとても素敵な景色体験でした。

Araki:高みから見ると言っても、都市とは違って地方の風景は癒されますよね。愛生さんは年末にタイへ遊びに行っていましたが、よく旅行はされるんですか。

Aiki:イベントに招待されて行くことはよくあります。自発的には今年久しぶりにスペインへ訪れる予定を立てています。若いころしていた旅行と違って、はじめてホテルにも拘ってみようと思っていて、スペインにはパラドールという歴史的に価値の高い建造物を改築した国営ホテルがあるんですけど、ちょっと背伸びしてそこに滞在するつもりです。ホテルとお金は相関関係にあるから、自分もようやくそういう贅沢ができるようになってきたんだなと年を重ねることの価値について考えています。普段は家とバーを往復する毎日で、接客業ということもあって知らないうちにストレスが蓄積されます。だから時々ゾンビのように1人になりたいときがあるんですよね。そういうときに家ではないエスケープできる場所はとても貴重だから、ホテルは自分へのご褒美としてペイする価値がとても高い施設だと思っています。

Araki:スペインいいですね、留学していた先ですよね。

Aiki:そうです。19歳のときに留学した先がスペインでした。高校卒業まで国際政治学に関心があっていろいろ大学受験したんですけど失敗しちゃって 笑、気を取り直してもともと興味のあったスペイン料理を学ぶために留学しました。スペイン語は半年でB2レベル(中上級)に到達できて、そこからはひとりで自由に街を探索することができるようになりました。その旅の道中、バレンシアで偶然立ち寄った日本料理店があるんですけど、料理の質の低さに眩暈がするほどショックを受けてしまって 笑、せっかく日本人なんだからスペイン料理ではなく日本料理を学ぶべきだと思い直して慌てて帰国しました 笑。そこから1年間料理学校に通うことになります。卒業後、銀座の懐石料理店で修行をはじめるんですけど、当時の日本料理業界はバイオレンスが蔓延していて、2年で逃げるように退社しました 笑。その時の料理長がぼくを呼び戻すために何度も電話をかけてきて、その時つい口を衝いて出た「フランスに留学するんです」という言い訳を、なぜか実行することになります。

Araki:スペインで日本料理を極めると決意し、懐石料理店でバイオレンスに耐えきれず逃走、そこまでは分かるけどフランス留学は突拍子もない選択に聞こえます 笑。

Aiki:そう聞こえますよね 笑。でも、もともと生物学をどこかで学びたいと考えてはいたんです。日本では文理が分断しているから文系だったぼくのできる選択は国際政治学しかなかったんですけど、でもよくよく調べてみればフランスは文理融合されていて、文系のぼくでも生物学の道を選ぶことができることに気がついたんです。そこで言い訳で思いついたフランス留学を実行することになりました 笑。フランス語はスペイン語のように上手くいかずB2レベルに到達するまで1年半かかりました。大学入学後は生物・地質・環境などの生物学全般を学びながら、最終的に食に関係の深い微生物学を専攻することになります。

Araki:なんだかふらふら生きているようにも聞こえるけど、いろんな事を非常に高いレベルで学んできたんですね、すごい。フランスで微生物を学んで、なにか課題のようなものを見つけることはできましたか。卒論のテーマとか教えて下さい。

Aiki:ぼくの専攻していた学部では卒論がありませんでした。その代わりにSynthèse(サンテーズ)というのがあって、複数の論文をリファレンスしてひとつの資料にまとめる作文方法です。ぼくは長期記憶に関わる論文を集めました。習慣・語学・お箸の持ち方など、長期記憶のメカニズムは当時まだ解明されていなかったんですけど、ウイルス学と組み合わせることで長期記憶を解明しようとする仮説を見つけて、集めてきた論文を読みながら興奮したのを今でも覚えています。

Araki:長期記憶とウイルスって関係しているんですか

Aiki:長期記憶とウイルスは密接に関係しています。ぼくたちの身体は複合的な細胞でできているけど、原初的には核が中心にある小さな単細胞でした。単細胞はエネルギーを作り出すためにDNAの異なるミトコンドリアという別の生き物と共生をはじめます。なぜ単細胞にミトコンドリアが入ったかというと、異なる生き物を取り込むことで大きなエネルギーを生み出し、より活発に動けることをあみ出したからです。それと似た現象として、エンベロープ(膜)を持ったウイルスがいます。あるとき膜をもったウイルスが細胞に寄生し、膜がバリアとなって細胞との共生がはじまります。哺乳類は父と母の遺伝子を半分ずつもらってお腹の中で育ちますが、なぜ父の遺伝子が半分入っている、母の体からすると「異物」である胎児が免疫に殺されないで居られるかというと、ウイルスから学んだ膜のアイデアを再現できているからです。それが胎盤です。胎盤はウイルス由来なんです。ここからさっきの長期記憶と結びつくんですけど、長期記憶はRNAをエンベロープ(膜)に包むことで、情報を失うことなく保存できるという仮説がありました。当時はただの仮説だったんですけど、今では生体内で証明ができていて、微生物にも長期記憶があることが分かってきています。人間や動物の証明はこれからですが、もし証明されると長期記憶をコントロールする技術も出てくるだろうから、デザイナーベイビーやクローンのように生命倫理について議論しなければいけない日がくるんでしょうね。

Araki:なるほど、記憶が商品化されるかもしれませんね。記憶とお金の相関関係、、、こわっ。それにしてもフランスで5年も過ごしていたわけだから、学業以外にもいろいろ経験されたんじゃないですか。

Aiki:そうですね、フランスに限らず留学すると移住者コミュニティがあって、年齢や目的など分け隔てなくいろんな人と交流できたことが貴重な経験となっています。その中でも日本とカナダにルーツを持つ友人海渡かいととは今でも深い親交があります。彼はぼくと一緒に語学学校でフランス語を学んでいたコロンビア出身の女性に一目惚れして 笑、よく3人で遊んでいました。今はめでたく彼女と結婚して山口に住んでいます。実はフランスから山口に移住したきっかけは彼の影響が大きくて、彼はフランスの大学院で都市開発を学んでいました。なかでもフランスの人口過疎が専門で、当時から過疎の問題についてよく話し合っていました。彼と話しているなかで、ぼく達のルーツである日本で何か取り組んでみないかということになって、一緒に帰国することになったんです。山口を選んだ理由は、ぼくたちの住んでいた地中海に面した南フランス・モンペリエと似た気候を探した結果です。最初は候補として岡山、広島、山口の3県があったんですけど、3県をいろいろリサーチした結果、歴史的な背景にもっとも関心のある山口県を選びました。

Araki:スペインで日本料理に関心をもち、フランスで山口に関心をもった、、、料理と生物学そして旅の記憶が愛生さんの中に長期保存されたまま、地域おこし協力隊の活動がはじまるんですね。なんだろう、いい感じに破天荒な生き方ですね 笑。では、山口での活動についても教えてくだい。

Aiki:地域おこし協力隊ではニューツーリズムを山口市南部地域に定着させることをミッションにしていたのに、ちょうどコロナが来たんです。活動をはじめた途端に外から人を呼べなくなってしまって、悩みに悩んだ結果、子供が外で遊べないストレスを緩和するために、海辺を活用した遊び場を作るアイデアを思いつきました。友人海渡かいとが興味を持っていたタイニーハウスをモデルに「Tiny bar:タイーニーバー」という小さな移動式レストランを秋穂二島あいおふたじまに作りました。タイニーバーはかなり成功したと思っていて、コロナ禍なのに海辺の利用率が10倍になったんです。でもそれなりに弱点もあって、それは夏しかできないこと 笑。そうこうしているうちに、副業として萩の笠山展望台でカフェを始めることになります。これは萩市のプロポーザルだったので、プレゼンを得意とする友人海渡かいとと、また別の一緒に活動していた防府の一級建築士さんの活躍のおかげで勝ち取ったプロジェクトです。カフェ兀兀(こつこつ)という名前で2年半ほど営業しました。でもタイニーバーのように人間関係をうまく作れなくてとても苦戦したんですよね。場所によってコミュニケーションの感覚が違ってくるから応用が効かない部分もあるし、それに加え社会のうねりのようなものもあるじゃないですか、いかにそのうねりに乗ればよいのか、萩ではそんなことをいろいろ勉強させていただきました。それからぼくは萩のカフェを途中離脱し、2022年3月に湯田温泉街でバーを開業することになります。それが田中ゲイ企画です。

Araki:タイニーバーと兀兀(こつこつ)行ってみたかったなあ。今でも違う形で地域貢献活動されているんですか。

Aiki:年が上がるにつれライフステージに変化がでてきて、地域貢献したいという意識がどんどん大きくなってきています。フランスにいたとき日本人の自殺者数をニュースで見て衝撃を受けたことがあるんですけど、当時のフランスでは5分に1人が失業しているのに対し日本では15分に1人が自殺していました。原因はさまざまだけど、制度を変えることで問題を解決できるのではないかと考えはじめたことが社会貢献の芽生えだったと思います。ぼくにとっては地域活性化は活動範囲が大きすぎるので、いまはジェンダー問題に絞って活動しています。自殺願望を持っている人が、LGBTQなどのセクシュアル・マイノリティはそうで無い人の6倍と言われていて、そのもどかしさを解消したくてバーの経営や山口レインボープライドの活動をしています。権利獲得だけを目的化するのではなく、マイノリティでも心地よく暮らすことのできる「お互いを認め合える街」にしたいんですよね。

Araki:たしかに様々な制度の問題もあるけど、それ以前に個々に課せられた”認め合おう”とする倫理観は無くてはならないものだと思います。ではでは、旅の話にシフトしますが、愛生さんは様々な国や街に移住した経験を持っていますが、それは旅と言ってもよいのでしょうか。

Aiki:散財の旅とは違っていますが、新しいものを得るための時間軸の長い旅だと思っています。その先々でちゃんと成果物を得ている実感もあります。母にはよく「あなたは糸の切れたタコのようにふらふらしているね」と言われてるけど 笑。ぼくには長期的な目標がなくて感覚だけで生きてるんですよね。例えるなら、人生はカタログだと思っています。自分の力でできることは限られているから、その都度カタログから最善の選択をしているつもりで、今はまだ旅の途中なのかもしれません。

Araki:糸の切れたタコ 笑、そうかもしれないけど、ずいぶん素敵なふらふらですね。場所や仕事を変える時の決断はどのようにされていますか。

Aiki:ワクワクしすぎて涙が出たら実行すると決めています。やりたいことが出てきたときはいつもお酒を飲んで自分を問い詰めるんですけど 笑、そこで涙がでるかどうかで判断してきました。でも最近はずいぶん交流関係も変わってきてカタログのページが増えてきている実感もあります。この先もし「涙が出るカタログ」に出会えればまた動くのかもしれませんね。

Araki:なんだろう、理性と感情のバランスがとてもいいですね。では、ホテルに少し話を戻しますが、今まで泊まってみて印象に残っているホテルはありますか。

Aiki:スペインのコルドバで泊まったホテルが忘れられないんですよね。アラビアンな内装、色彩はモロッコのような原色、素敵なパティオがあって、そこにはオレンジ色の花が咲き誇っていて、今でもその情景が頭に焼き付いています。なぜこんなに鮮明な記憶として残っているんだろうと考えたことがあるんですけど、おそらくそれはその場を共にしたパートナーの存在が大きいと思っています。食の体験もそれと同じで、大切な時間は長期記憶として丁寧に織り込まれていくのかもしれません。結局ひとなんですよね。そうそう、接客業をしていても同じことを感じます。あの人と来たときの彼はとても素敵だったのに、相手が変わるとその人の輝きが変化してしまうことってありますよね。誰かが輝いて見えるとき、それは本人にとっても大切な時間となって長く記憶に留まることができるのだと思っています。

Araki:長期記憶として残るか否かを判断する方法は、もしかすると余韻の有無にあるのかもしれませんね。記憶や経験についていろいろ聞けて楽しかったです。話が深くなってくると方向転換が難しいんですけど 笑、強引にハンドルを切って、もう少し旅について教えてください。ぼくは旅って曖昧な概念だと思っていて、ぼくにとっての旅は自分から少し離れて他者の世界に触れることができるような読書や映画鑑賞も含まれているのですが、愛生さんにとっての旅はどんな感じですか。

Aiki:自分からエスケープ、それって大麻の発想じゃないかなあ 笑。ぼくにとっての旅は物理的な移動が伴うものです。自分の身体をその場所へ連れていくことが大前提にあって、いくらピーター・メイルの「南仏プロヴァンスの12カ月」を読んでも旅に思いを馳せることはあっても”行きたい”という好奇心を満足させることはできません。とにかく肌で感じたいタイプなんでしょうね。それともうひとつ、ぼくにとっての旅は快楽享楽のためのグルメのようなものでもなく、新たな場所に立っていろんなものを吸収し生きるための肥やしにしたいという思いが強くあります。つまり、パッシブではなくアクティブに生きたいんですよね。

Araki:なるほど、愛生さんにとっての旅は、今まで自分になかったものを吸収することであり、そのために物理移動を選んでいるんですね。そう言われるとたしかに思いを馳せるだけの行為は大麻っぽいのかも 笑。

Aiki:旅好き旅嫌い、いろんな人がいるとは思うけど、旅に夢中になる人は皆その魅力を知ってしまったカルマによって突き動かされているような気がします。始めてしまったらもうやめられない、それが旅の魔力かもしれませんね。でもそうなると、生物学的な旅って何だろうと考えてしまいます。化学反応と同じように旅も時間という重要なファククターから切り離して語ることができないのかもしれませんね。

Araki:そうかもしれませんね、旅に限らず、特定の物事に興味を持たない人の多くは、その人の中にまだその物事が強く経験化されていない表れなんでしょうね。切り離すことのできない経験と時間によって、、、なんだろうナイトインタビューだからなのか話がどんどん抽象化され深くなっていきますね 笑。では最後に軽い質問をしたいのですが 笑、今この部屋ではエリック・サティが流れているんですけど、サティは「家具の音楽」というアイデアを提唱することで音楽の在り方を変えた人で、現在親しまれているアンビエントはサティの影響下によるものだと思っています。サティのようにと言ったら少し大袈裟だけど、愛生さんが変えたいルールってありますか。あっ、ぜんぜん軽い質問じゃなかった 笑。

Aiki:エリック・サティは、ぼくが小学生の頃から大好きな作曲家の1人です。ジュ・トゥ・ヴとか、干からびた胎児とか、弾いてました。確か「家具の音楽」は、そこにある家具のような、誰からも気にされない音楽を作りたかったんですよね。でも、さすがサティさん。作った音楽は素晴らしかったみたいで結局みんなの注目を集めてしまったというエピソードをどこかで読んだ気がします。ぼくが仕事や色んな活動を通して実現したいことは、マイノリティとかそうじゃ無いとか、そんなことは気にしないで、全ての人が当たり前に幸せを享受できる社会になって欲しいと思っています。ただ、今はそれが目新しいからか注目されてしまっています。サティの曲が今の環境音楽やBGMの走りだとしたら、ぼくのやっていることもまさしく同じで、いつかは誰にも気にされない、どんな人でもそこにいるのが当たり前で、存在は認知されているけど気にされず、みんな等しく人生を楽しめる世の中になってほしいと思います。だって、どんな人でも人生は一度きりですからね。そのためにルールを変える必要があるのであれば、頑張って変えないといけないな、と思います。ルールがあるか無いかだけで人生の幸せを享受できるかできないかが決まってしまうのは、本来はおかしいと思います。海外では同性でも公的にパートナーを持てた、でも日本は最近までそれができなかった。人生一度きりなので、やらなくちゃいけないことはやらないといけないと思っています。

Araki:素晴らしい回答ありがとうございます。もうこの最後の質問だけでいいんじゃないかと思うくらいに感動しました。サティはルールを変えたゲームチェンジャーというより、ルールに縛られないで表現することの価値を、自身の音楽を通して訴えかけた作曲家なのかもしれませんね。なんだろう、新しい気付きにたどり着けたような気がします。それでは、長くなってしまいましたが、インタビューにお付き合いいただきありがとうございました。気付けばもう眠る時間ですね 笑、インタビューで沢山時間を奪ってしまいましたが、この後はゆっくり寛いでください。またバーに遊びにいきますね。


day of stay:April 15, 2024


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