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【コラム】人を見る目はセンスや才能ではない #039


■サッカーゲームからプロの監督に


サッカーは国際的なスポーツで世界中でプレーヤーがいる。最高峰のプロリーグのひとつでサッカーゲームやり込んだ30歳が監督になったケースがある。プロサッカーの監督になるにはライセンスが必要なんだがそれも持っていない(毎試合300万円相当の罰金を払っているらしい)。コーチの経験はあるが監督の経験はない。で就任した→成績が非常に好調で結果を出している。

「自分が監督になってチームを育てる」系のサッカーゲームはいくつかある。どの会社もサッカー選手の技能なりフィジカルやセンスを数値化する。するのは数字だけではなく、適応できるポジションの設定や得意な技術も組み込まれている。しかも世界中のほぼ全てのリーグの、ほぼ全てのチームに【ゲームが進行できるように全て厳密に数値化】する。
あくまでゲーム上で、誰がどのように使えるか、使えないか、はっきりと出るし、現実よりもはるかに数量的なシミュレーションができる。

でこれは、果たして選手を的確に判断していると言えるだろうか?
「いやそうは言えない」という理由は思いつくだけでもかなりの数があるけども、俺は「的確な判断」だと言えると思ってる。


■いい人材を判断する目


よく中小企業の経営者が「いい人材がいない」と耳にする。仕事の関係なら「あいつ使えない」という声も聞く。俺も会社をしていた時、採用を部下に任せたら「なんでこいつを採用した?」と思うことが何度かあった。
人事のエキスパートだろうが、人と直面する仕事をしている人たとえばカウンセラーだろうが、相手のことを見極めることができる人はいない

理由を書こう。

もしあなたが本当にプロサッカーチームの監督に就任したとしよう。
サッカーのことは知らない。サッカーゲームをしたことがない。しかしもう監督になってしまった。人事マネジメントもする必要があるし、リーグで上位または優勝させる必要がある。
今更ながら、しかし今からやること、できることは何だろう?曲がりなりものこう考えるのが真っ当だと思う。

サッカーのルールやあり方を除いて考えるなら、各プレーヤーの特徴、性質をつかもうとする。具体的には過去の試合を全て見て、一人一人に注目したり、本人からヒアリングをしたり、ネットで評価や解説動画を探すかもしれない。それこそサッカーゲームのデータを把握してシミュレーションをなん度も繰り返してもいいだろう。
先入観がない分、ある選手が有名だとか有名じゃないとか、いくら稼いでいるとか稼いでいないとかを気にせず、本当に使えるのは誰か?という目で見ることができるかもしれない。
コーチやトレーナーに聞けば、その選手の得意とするプレースタイルを活かす戦術が何かも把握できるだろう。

そして試す。試合は待ってくれないからともかくもやる。すると何かの結果が出る。その結果をチーム全体、各個々人それぞれでよく見て、今回は何が良かったのか何がダメだったか、誰がどのように機能して機能しなかったか、その理由や原因は何か?を知ろうとする。
分析官がそれをするかもしれないけども、結論だけレポートをもらうことはしない。プロチームの監督なんだから、とにかく要所を押さえ、しかし他の監督と同じことをしても及ばないので常識にとらわれずに把握できることを把握しようとする。

つまりこれが人を見る目を養う、鍛えるということだ。


■必要な誰かのことを知りもしないし知ろうともしない→人を見る目がない


一流の調香師になろうと試みているとしよう。今は素人だ。これからなる。
なのであれば、香水に関係する香りと知識の充足だけではなく、普段の意識から香りについて考え、訓練して、香水以外の香りに対しても敏感に反応して自分を鍛えていくだろう。
普通にやることだ。

人を見極めようとするなら、今から調香師になる人が香りのプロになるようなことを人に対してすればいい。これは基礎の話だが、実のところ誰もこの基礎すらしていない。
初見であれば、相手が誰であっても「よく知らない人」なのだから、相手のことを調べ尽くし、SNSや動画があれば全て眼を通す。読んで、観る。ただの情報集めではなく、何を考えているからこの発言になるのか、どう感じているとか価値観は何か?を読み取ろうとする。何ができるのか、何が不得意か。人格は優れているのかそうでないのか。読み込む、観まくるだけでわかることはいくらでもある。

だからどうする、ではない。ただそうする。
そうする習慣を日頃えるのと同じだ。
人を見る目というのは養われるものであって、センスや才能ではない。他のプロと同じように適切な方法と訓練、かける時間の長さと意識にかかっている。その過程の中で方法論や理論を身につける。その頭脳で実際に試し、そうであることやそうでないことを比較検証したり、イレギュラーのことがわかったり、自分なりの理論が組み立てられる。だから人のことを見極められるところまで見極められるようになる。香りもプロサッカーチームも同じだ。


■他人に興味があるという「レア」な人


他人に興味を持つ人は限りなく少ない。他人に興味を持つ人と持たない人は性質上は半々だが、ほとんどの人は「自分の都合のために」人に興味を持つ。相手そのものに興味を持つ人はほぼいない
相手に興味を持っているように見えて、実は仕事の内容に興味があるとか、自分が楽しめるメンバーとして適切かどうかとか、会話で意気投合しやすいから話の中で相手を知っていく、ということがほとんどだ。
こういうのは相手に興味があるのではなく、自分にしか興味がない。自己中心的なスタンスの中で、都合のいい相手の自己開示があれば受け入れているに過ぎない。

他人への興味というのは、個々別々に人のことを知ろうとすることに他ならない。サッカーゲームを制作する人たちは、各選手をデータ化するために間違いがあってはいけないから適切に数字化する。これはコミュニケーションを重視する人からすれば、人を数字として扱い、人と扱っていないように思える。しかし実態は各選手をデータ化する人の方が、その相手のことに没頭し正確に把握している。少なくとも把握しようとしている。共感ベースのコミュニケーションを取る人にこの態度はない。主観的を満たすため、自己中心的に相手と関わり利用する。実のところ、前提心理でいうなら「コミュニケーションを重視する人は自己中な人」だ。(反論山積みになりそうな結論だが話題が逸れるのでここで止める)
どちらが人のことを見極められるか?は自ずと決まっている。そして人のことが大事と言いながら、実は自分中心である人を人のことを、『人を見極める習慣がある人』は嫌う。嫌う根拠は相手をしっかり観た結果なので覆らない。

人を見極めるためのテクニックや技術はある。それは知識としてインプットすれば誰でも自分のものにできる。
だが人をいち個人をいち個人として知ろうとしない態度は、どれほど技術を身につけても覆らない。人を人として見る日は来ない。



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