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■書くときの心持ちは

先日、TwitterのTLをぼんやり眺めていたら
こんなtweetに出合いました。

読んだ瞬間、スンっと刺さってきました。
あ~そうだよねって。
ど真ん中に一本、芯が通されたような
そんな気持ちにもなったのです。

・ ・ ・

書いているときはそうでもないのですが
記事を更新したあとは
やはり「数字」が気になります。

note界の路地裏住みを
自覚しているくせに
全体ビューとか、「スキ」の数とか
気になって、気にして、気が散って
胸がざわざわしてしまう。

でも、それって
時間の無駄だし
情緒の浪費でしかないんですよね。
すんごい痛いほど分かってるんです。

でも、やめられない自分もいて。

そんな自分に嫌気がさしていたときに
このtweetを見たのです。
で、見た瞬間「うわぁぁああ!!」ってなり
ものっそい勢いで反省を促されたのでした。

しかも。

このtweetって
「良い作品を作ろう、などと考えず」と
自分視点のモノも含めて、
評価そのものを
ぶった斬ろうとしてて。
「創作」という鋭意の凄まじさが
直に響いてくるんですよね。

しかも。それって、難易度MAX。

だって。
数字を気にしないでいるのは
該当ページに行かずにおくという
物理攻撃が可能なので
わりと容易に達成できるのですが。

「良い作品を作ろう」って考えないのって
相当すさまじい集中力とか
ブレない激強な精神力とか
目の前のものへダイレクトに迸る思いとかが
ふつふつ滾っていないとできないし。
突き詰めていったら、おそらく
禅問答みたいな境地に至ってしまうし。

そういう「雑念を捨てる」って
メンタルの部分がほとんどを占めてるから
達成困難にも程があると思うんです。

また、これを言っているのが
西田シャトナーさんという
稀代の劇作家、演出家さんというのが
説得力爆盛りで。

こんなすごい人でも
tweetでこう自戒されるんだなと。
あるいは、
常々こう自戒されてるから
ずっと第一線の活躍をされてるんだなと。
そんなことを身につまさたです。

そして、同時に。

己の執筆の心構えを叩き直し
その背中をぎゅぎゅっと押してくれる感覚を
いただいたのです。

・ ・ ・

人生の残り時間を考えたとき
あとどれだけの本を読めるだろう、
どれだけの記事が書けるだろう、と
時折せつなさが浮かびます。

そう考えれば。

評価とか、数字とか
考えている時間はないわけで。
そんなヒマがあるなら
1冊でも読んで
1つでも記事を書いて。

読んで書くことが
今の自分にとって最大の幸せなのだから。

だったら、没頭して享受…というだけでなく
寧ろ、自らその幸せを奪取しに行くのが
筋であろうと。

そんな決意を抱き
ぴりり、背筋を伸ばすのでした。

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