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AMARO
螳螂生
6月某日。都内の美術館はところどころ再開。私の胃の調子もちょっとずつ良くなっている。
最近は少し早めに帰宅できるようになってきたけれど、蔓延防止対策の為に飲食店は20時になると閉まってしまって(スターバックスさえも!)、あてもないひとりの夜は長いなと思いながらの帰路は憂鬱。
とはいえ帰ってみれば実は洗濯や掃除や植物の世話、保存食作り(食欲がないから瓶詰めが増えていくばかり)をやっていると意外と23時を回っていたりするのでした。
あー、和食とかフレンチとか、ワンナイトの美味しい時間に5万円くらい支払いたい気分。お店が安全に再開するまで、もう少し体調を整えておこう。
飲みきれなかったらどうしようと思いつつ、先日買ったワインを1本開けました。こんな気分の生ぬるい夜に食べたいチョコレートがあって。
ワイン醸造家としての一面もつMarco Colzani(マルコ コルツァーニ)さんが手がけるAMARO。イタリアのbean to barです。今年のバレンタインの時にオンラインで取り寄せていました。
「アマーロ」とは苦味を意味するそうです。
農業とワイン醸造を学んだ知識を生かし、カカオが持つ独自の風味、背景、芳醇なアロマを引き出したチョコレート作りを行っています。材料はカカオ豆ときび砂糖のみ。
ヨーグルトっぽい発酵感と、ほのかにタンニンのような渋みと、甘い苦味。
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FILM
ふと、半年前に受け取っていた哲学の先生の論文に着手しました。愛と美とアートをめぐってずっと平行線のままの議論をしています。反論するのに適切な言葉が見つからなくて返事ができていなかったのでした。
論文を一読した時はスルーしてしまったのですが、与える/貰うの言葉にひっかかり、ふと近内悠太さんの「贈与」と小倉ヒラクさんの「発酵」をめぐる経済デザインの文脈から、説明できる言葉が拾えるかもしれない、とピピっとつながったのでした。
こちら、近内悠太さんの「世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学 」( NewsPicksパブリッシング) からの引用です。
贈与者は名乗ってはなりません。名乗ってしまったら、お返しがきてしまいます。
贈与はそれが贈与だと知られない場合に限り、正しく贈与となります。
しかし、ずっと気づかれることのない贈与はそもそも贈与として存在しません。
だから、贈与はいつかどこかで「気づいてもらう」必要があります。
あれは贈与だったと過去時制によって把握される贈与こそ、贈与の名にふさわしい。
だから、僕らは受取人としての想像力を発揮するしかない。
特にこの部分。「贈与」を「美」にそのまま置き換えられるな、と。「お返し」や「余剰」という言葉も同じように使っている。ふむふむ。
CHOCOLATLE
INFORMATION
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◆クラフトチョコレート取扱場所◆
中之条ガーデンズ
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SO.ラボ
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木下商店
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