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私たちは機械じゃない。生き物だ。

多趣味で多岐にわたる興味を多数持つわたしにはその道一本のプロになることが向いていないということが分かった。

物事の60%から70%を知った時点で飽きてしまう。新しいものをすぐに学びたくなる。自分の学業、趣味、仕事が自分のパートナーだとしたら私は浮気癖があるといわれるかもしれない。

なんで社会はこんな多数のものに興味を持ち、多趣味な私たちを嫌うのだろうか。

恐らく人材として、その人の持つスキルや経験を最大限に活かせるように、多数の人々に教育を通してその知恵を広めるほうが効率的、且つ効果的だからなのだと思う。一般教養を持つ、さらにある分野における専門性に長けている人材を会社や社会は間違いなく重宝する。

もちろん、長時間労働で有名な日本はそんな一人一人の放課後や仕事の後の時間も余暇に使う余裕もなくひたすら塾に通わせるだろうし、教育プログラムという名の技術者生産工場に無意識に行かされているに違いない。残業という名の奴隷制度で体を痛め、最悪の場合、自殺や死に至ってしまう会社員たちの事実を目の当たりにする。

そんな社会のからくりを知ってしまった瞬間、私は絶望した。

大学卒業したら、好きなダンスも辞めるだろうし、本を執筆するのも退職後になるだろうし、本当の意味で自分の余暇を楽しめるのも先の話だろうと…私は人間失格なのかもしれないと落ち込んでいたある日、こんな自分を救ってくれた言葉に巡り合えた。

世界的にも知られているTED動画で、その当時初めて知った「マルチ・ポテンシャライト」。

『天職が見つからない人がいるのはどうしてでしょう?』を初めて見たときの安心感。実に快感だった。「マルチ・ポテンシャライト」の定義はちゃんとググればすぐにみつかるかと思うが、私なりの解釈で説明すると『自分の可能性を複数の分野に興味を持ち、活用し、適用する人』という風に捉えた。一つの道を専門とするプロでも納得のいく説明であるに違いない。

自分は単に社会の経済を回す歯車であることは十分理解している。だからこそ、人間的な生活を疎かにしてはいけないのだと思った。

社会人7年目の今でも、ストレス発散として踊りたいと思えば踊ってるし、書きたい思えば書いてるし、水彩画やスケッチ、イラストレーションも見て真似て学んでいるし、自分の業界や職種に絞らず学びたいと思ったスキルや知識があれば率先的に学んでいる。それがすぐに今の仕事に直結していなくてもいいと思ったし、興味本位で学び続けるだけでも本当に自分のためになると思う。

仕事に関しても、迷惑かけていなければそれでいい。やばいことやらかしてなければ大丈夫。やるべきたこと『のみ』こなす…それでいいと思う。

燃え尽き症候群を経て、自分がどん底にまで落ちて気づいたことは、時は金以上の価値があるのだと思ったこと。やりたくない/やらないこと定めて消去法という形でキャリアを決めてきたし、世間一般がいうキラキラした肩書という箱に自分を閉じ込めないことにした。結論、自分の最期の日がいつ来るのかもわからないのだから、いつ死んでも後悔のないように毎日丁寧に生きていきたいと心から思った。

機械でもたまに故障する。人間である自分が壊れてしまっても仕方ないと思わないか。

我慢が美徳なんて本当に馬鹿げた話だと思う。いい加減卒業しませんか。



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