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1stステージと2ndステージの間で気丈に悶々と過ごしていた2019年の中身

書き物をしてそれを公表する以上、誰かにとっての価値を出さなければいけないという観念のようなものを感じていますが、この記事は(も)趣味のようなものです。
左ききのエレンに出てくる台詞だけど、どうやら私は私のことで随分忙しいみたいです。スクロールすると私の悶々として過ごしてきた1年が現れますのでご注意ください。
でもどなたかが目にしてくれた時に、あぁわかるなぁ、と思ってくれたら幸いだなと思っています。なぜなら私自身が昔、誰かの言葉に共感することで救われる部分があったから。

2018年からすでに仕事で悩み始めたわけだけど、そこから考えれば2年以上は何か一つにがむしゃらに突っ切る訳でもなく悶々と悩み続ける日々だったように思う。そう、私は、自分が熱中する何かを見つけたいし、ずっとそこに集中していたいし、食うも寝るも忘れて取り組んでいたい。現実がそうじゃない。

2019年序盤、落合陽一塾に入る。落合さんの書籍を読んで衝撃を受けてワクワクしながら入った。コミュニティメンバーは高尚で学び好きな人が多く、取り上げられる話題はどれも新鮮であまり考えたことがない事が多い。自分が書いた事が落合さんに声を出して読まれることもかなりドキドキしていた。(ミーハー?)今も所属していて、居心地が良くて、これからも続ける。

仕事はやるべきことはやるように頑張っていたと思う。職場が変わって新鮮でもあった。しかしこのままで良いのかという疑問は拭えない。
転職活動について考え始めていた。起業という二文字にもキラキラしたものを感じ始めていた。でも、当たり前だけど、起業したいから起業しました!というのは周囲にとってスーパー迷惑な存在なのではないかと思う。目指したい世界もやりたい内容もないのに不思議な事をしてはいけない。
やりたい事業内容が何かということは分からないまま、組織の小さいベンチャー企業への転職はもしかすると自分の性分に合っているのではないかと転職エージェントに相談もした。自分でもwantedlyやyentaなどに登録して調べるようになった。でも、見えてきたことはなかった。エージェントから、とりあえず話を聞きに行くだけでもとエントリーを勧められても、興味のない業界の話を聞きにいくのはとても躊躇したし、エージェントの会社も話だけでも聞きにきたら面白いですよと言ってくれたのに、人材紹介か、と踏みとどまり結局行かなかった。
この頃の手帳に書き込みがあった。

”何に瞳孔が開くか”

”強烈な課題感を感じないこと、面白いという感性がはたらかないこと以外は、しない”

”人は何に洗脳され、何を信じて生きていくかだ”

”何でもできそうな高揚感”

しかし、うーんうーんといつまでも何にもピンとこないまま思い時間は過ぎていった。

3月に東京に行き(当時大阪で働いていた)キャリアについてのセミナーに参加する。参加者の方々はとても良い人たちで、皆これからのことを悩んでいた。おそらく、自分のもっと輝けるところで打ち込みたい、熱中したいと思っている意識の高い方々だったのではないかと思う。おそらく。
だから今でも関係は続いているし、今でも参加者のみんなのことを応援している。歩むべき方向が見つかり前進しているという話も既にいくつか聞いている。

意識の高い人に囲まれた私は、帰阪して、いてもたってもいられなくなる。
次に行きたくなってしまっていた。もう転職先の目星などついていなくても、いいと思った。何か拓けるように感じていたし、突き動かされていた。

上司もその上司も、よく話を聞いてくれた。28歳からもう一度人生がスタートしたんやな。と言われた。
それまでに自己分析を多少した。そこで気づいたが、なぜ医療をやりたいと思ったのか、よくわからなかった。やりたいと思っていたのは、別の事だった。家族は反対した。結局学部を選択するとき最後までどこに行きたいかわからなかったし、勉強のしがいがありそうだという事と、資格を取れという親の意見と総合して薬学部に決めた。その頃から薬剤師になりたいと思っていたわけではないし、薬剤師が何をするのかもよくわかっていなかった。

本当に、何者でもないフツーの高校生、大学生だったのだとよく理解できる。おまけに、もっと見えてきたこともある。私はあまり自分自身のことを自分で決めてこなかったようだ。習い事も、部活も、受験も、家族の意見が大きかった。多分、家族は家族で、言うことを聞かない自分勝手なやつだと思っている。私が自分で決めたことは自分勝手ということになる。(と推測している)

転ばぬ先の杖と失敗しないように困難が降りかからないようにとしてくれていたことは感じている。まぁもうそれは、私の家族が過ごしてきた経験があって、私が生まれて、その経験を生かそうとしているんだ、いつまでも過去を振り返る必要はない。

28歳から人生がまた始まった、とにかくその言葉がしっくりきた。

4月からHIUに入った。ノリが良く前向きな行動集団。HIUのおかげで何かを発信して行く事の怖さが減ったし、まずはやってみる事が重要なんだなという事が肌感でわかった。あとは助け合うこと。在籍中は何もしていない。ふわふわした感覚のまま熱中できる何かに飛び込めずに終わってしまったもののここで得たものがこれ以降の、ハードルを下げることや行動意識に反映されている事が実感としてある。

5月末で退職する。社会に出た初めての会社として、ホワイトで社員思いの会社であることは間違いなかった。医師の先生たちとの出会いはかけがえなく、社内の方もいつも話をしてくれて有り難かった。

さて念願のルワンダマラウイ渡航。新しい感性や価値観との遭遇を期待して。やりたかった事の確認として。

たかだか5週間でも、現地の人々のおおらかさ、親近感、明るさというのはよく分かったし、日本の都会っぽいツンケンしている感じは、ヤな感じだなと今も感じている。おまけにこう言っちゃ失礼だがアフリカだけでなくアジア諸国にも共通する事であるが、この人は平日の真昼間から何をしているんだろうと思う人が多い。ゆるい。その様子を見ると、人間というのは進化してきたものの、動物なのであって、人間以外の動物と人間という謎の線を引くことは出来ないと感じたし、そんな感性はもっと持っていても良いのではないだろうかとも思っている。皆がその感性になったら、人類は滅びるんだろうか。

それに、国の歴史を知って、ヨーロッパの宗主国が非人道的であった事を嫌でも痛感し、嫌いになりかけた。今や最も人道的でそれらしい事を垂れる先駆けのようになっているが、何を言うか人の顔をしたケダモノ、という思いもある。しかしながら、別にヨーロッパだけのことではない。日本だって散々野蛮に人も自然もぶっ殺してきた。人はみんなケダモノでゴミのような存在なんだ。ようやく近年になって平和的になってきた、さぁ、果たしてそう言えるだろうか。

宗教についても考えた。皆が熱心にそして楽しそうに足しげく教会に行く。なぜ無宗教なのかという質問も散々された。
宗教ってこわ〜いものなのだろうか?本当に?宗教に騙されるぞ!そんな一辺倒で搾取により成り立っている世界なのだろうか。
私は何なのだろうか。墓前では南無阿弥陀仏と唱えるし、南無妙法蓮華経だったかもしれないし、新年になったら神社に行くし、日本神話もよく知らないけど、天照大御神と書かれたお札があったりする。京都や鎌倉では無性に寺に行きたくなる。物には魂が宿っているような気がして、千と千尋の神隠し的な世界観も共鳴している。

何も知らないじゃないか。仏教ってなんだ、何が真実で、いつの間に信じているこれらのことは何なのか。神様ってなんだ。
とこのように興味を持ち始めて、知っておきたいと思った。
帰国して寺に法話を聞きに言ったり(高台寺のアンドロイド観音も見に行った)仏教についての勉強会に参加したりした。一切皆苦、この世に生きることは一切が苦なのであると言われて妙な納得感もあるし、現代が苦なのではなく、普遍的にずっと苦だったんだという気づきもある。仏教が日本に伝来して1500年ほど経って、ブッダが今の世を見渡したらなんと思うのだろうと思ったりする。多分、何も変わっていない!と思いそうだ。苦の普遍性。
諸行無常、全ての物事は移ろいゆく、何も自分の思い通りに進むことはない、あるがままを受け入れようと…。世の中を計算や損得で生きられる人はそれはそれで凄いと思う。衝動的で思いつきばかりで軸もない自分、でもそれもいまとして受け入れていくしかない。

また帰国後はアフリカの雑貨店を回って話を聞きに行ったし、アフリカ開発会議に行ってビジネスをされている方々の話も聞いた。
マーケティングは避けて通れないかもしれない。ただ競合が多かったとしても、アフリカは54か国、意志があるならたくさんあったっていいじゃないかと思い小さいことから手探りでやってみようという結論に至る。
これはMOTHER HOUSEさんの講演を聞いて結論に至ったし、キャリアセミナーで知り合った知人に講演を紹介してもらったので、感謝しています。

アフリカのためになんて言葉はおこがましいし自己満足であってさらにそれをしたからと言ってゲームチェンジになる訳ではない。
でもこの世の中ほとんどが自己満足ではないのかとも帰国してから考えるようになった。
そんな小さなことしても仕方がないと思う人もいれば、一歩踏み出してすごいという人もいるし、何年もアフリカで仕事をしている人が自分はまだまだだとどんなに言っても凄いと感じる人はいる。全部どこの人がどう見るかであって相対的な物である。自己満足でやってみたいことをやってみたいようにやればよいしもう相対的な事を気にしても仕方がないようだが、仕事は相手ありきなので、ちょっとしたパラドックスを感じていたりする。

山火事でハチドリが一滴一滴水をかけていく様にも感じる。
畑のスイカに水をまく事しか出来ない様にも感じる。
その様に生きていき道が拓けて行ったら万々歳である。

幸いにも理解あるルワンダ人の方が協力してくれると言ってくれたので微々たるところから始めたいと思っている。
アフリカの布と、扇子や和傘とのコラボが出来ないかと現地に赴いたりもした。信楽の窯元をいくつも探訪したりもした。これも一つの出会いであって、悩んでたどり着いた人生を教えてもらったり工芸の新しさというものも見せてもらった。旅をして、出会う。出会いというのはこういう事なのではないかと思う、これまでになかった経験で、感謝している。色とりどりの世界を知って行く実感がある。

さて突飛だが10月ごろから占いの事も勉強を始めたし、(大抵すぐに胡散臭いなという顔になるのでほとんど話をする機会がない)薬剤師の道を考える上で漢方の相談薬局でも飛び込みで2日間もお世話になった。薬剤師の先生にも感謝している。飛び込みの私を受け入れてくれ、共感して頂き、目の前でその凄さを見せてもらった。

GOの三浦崇宏さんの言葉で、BtoBなど、自分が何のために仕事をしているかわかりづらい事より、目の前の人にありがとうと言ってもらえる職業も選択肢の一つだ、というものがあった。まさしく患者を診てその患者の調子が上がっていき、治り、ありがとうと言うそのありさまは、大学生の時代には見なかった新しい薬剤師の形だ。

伊藤羊一さんの言葉でも印象的なものがある。すげー、やべー、と物事に感動すること。理性的にではなく、そういった心の動きに対して自分自身に敏感になるという言葉として私は受け取っている。
世の中、すげーやべーと思う事が自分の興味だしすげーもやべーもわからないのは個人的にいやだ。
そう思って色々と興味のあるものが出てきて、やっとやりたい事がなかった自分から脱却できた様に思ったのもつかの間、まだ芋虫の様な蠢きをやめない。

転職エージェントを新たに紹介してもらって、就職活動もしている。でもありのままの自分を面白いと思ってくれるところが良いと思っているし、それなのに自分の手元には自分にはこれができるという切り札もない。確固たる作りたい世の中像の様なものも具体的に思い描けない。どんな風に社会に貢献したいか聞かれてもうまく答えられない。ましてや自分自身の10年後20年後のキャリアをどう描いているかと聞かれても、そんなもの作りたくないのが本心である。

妥協しないと、うまく生きていかないと。
そう言われる。もちろんそうだろう、上手い生き方というのはなんとなくわかる。昔会社の人から、多分うまくやっていく方法を知っていて、それでいてなぜそうしないの?と聞かれた事がある。言い得て妙である。
そうじゃない境地に行きたいと思っている自分がいる。なんでもトレードオフだからそれはわがままなのであって無理かもしれないというのもわかっている。

牛歩の様な遅さでどの様に生きようか日々感情を大切にしながら生きている。

最近SPUR(ファッション雑誌)を読み、岡本太郎の書籍も読んだ。戦国時代の武将に関する書籍も読んだ。学問のすすめも読んだ。ナウシカも全巻読んだ。
そして自身の生活から思う事がある。それは人間の歩みと進化である。
自分自身この1年間で随分変わった。1stステージから2ndステージに移行途中であるという事が実感としてある。そのくらいガラリと変わった。
多分そういうことは、人類全員に起こらなかったとしても、年齢はいつ訪れるか分からないがひっそり存在する出来事なのではないかと推測する。
よりよく、という方向に歩もうとする場合、どの時代(古代の日本から今まで)で切っても、ステージが代わり歩もうとするタイミングがあるのではないかと思っている。歴史上ずっと同じ様な悩みを持ち続け、繰り返し、それでもよりよくと願い社会を切り開こうとし、苦を受け入れながら苦を乗り越えようとする。どの時代にも、紋切り型の人間になるまいともがく人間が必ずいて、新しく創造したいと願っている。そしてそれはループではなく少しずつの前進となっているのだ。(これは私の個人的な希望である)これぞ人間の進化だ。

あくまで気丈に堂々と、余裕を持って振舞っているが、実に悶々と、様々な出会いと経験と思考があった1年間だった。ゲームもするしテレビも垂れ流すし昼まで寝て食事を貪る。しかしながら昨年の年末が非常に、非常に昔のことに感じ、思えば遠くへ来たもんだと思える。

2020年になりまた新しい気が世の中に舞い込んでくる。
歩みを止めずに、ああでもない、こうでもないと追いかけていきたい。

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