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ずっと少数民族に憧れている

昔ヤンキーやギャルになりたかった、と書いた。

最近、自分には少数民族への憧れがずっとあって、それが強まっていることに気づいた。一つには、ある程度社会の全体像を感じ取れたからかもしれない。ここ数年、自分の目で都市というものを見て、そこで働いている人たちを観察し、そこに労働に来た他の場所出身の人に出会い、さらには放浪してる人間たちと世界の見方の話をして、ある結論に至った。「え?発展した都市ってどこもおんなじで思想も似たり寄ったりでつまんなくない?」って。むかしは「世界各地旅行したい!」とか思っても有名で綺麗なリゾート地にだけ憧れていたわたしだったんだけれど、ただきれいなもの、便利なものだけへの興味が完全に失われてしまった。degrowth、脱成長思考。グローバル化とかけっこう前から叫ばれてるけど、わたしは世界画一化計画だと捉えるようになった。若干、ネガティブな感じが伝われば。(わたしの見解です) 昔から少数言語の寂しさはめちゃくちゃあって、マイナーな言語を習いたい、とは思っていたんだけれど、それが民族や世界に及んだって感覚。だって、どこへ行ってももう都市はさほど変わらない。若干違うけれど、それは旅行で数週間いればもうお腹いっぱいになるくらいの差異しかない(それはわたしの視点の数が乏しいことの証明でもあるが)。わたしはたぶん、おそらく、ぼんやりとグローバル人材として雇ってもらえる人間を目指してきた。特にあてもなく。なんかカッケーじゃん。ミーハーだからね。それである程度、最低限使ってもらえる能力は付いたと思う。でも、そのやっと使えるレベルにまで来て、「え?なんか違くない?」となってしまったのだ。そこで何に興味が移ったかというと、ヤバそうな少数民族。彼らはめちゃくちゃ面白い。ヤンキーにしかり。アボリジニにしかり。アーミッシュにしかり。マタギにしかり。IoTと真逆の世界線で生きている。なにか(わたしからすると)よく分からない信念を強く掲げて、いわゆる一般社会に背を向けて(あるいは反抗心もなくただ一線を画して)、生きている。彼らの文明は往々にして科学文明が栄え始めるよりはるか昔から継承されてきて、その守られてきた伝統儀式や慣習には一種の神秘性すら感じる。お金と数字が全てな資本主義とは相反する、完全に異なる軸で行動が決定されている感覚がそこにはあるのだ。

その魅力に惹かれるって、わたしは資本主義から逃げているのかな、って疑問に思った。うーん。なんだろう。うまく言えないけれど、自分の感覚としては「飽きた」というのが一番正しい。自分の中で争い事をするのが、面倒くさくなった。誰かのほうに味方として付く、とかあいつらが手を組んだから、こっちも手を組もう!とかそういうの。ゴタゴタ、きらい。スイスの永世中立国の考え方に近いかも。ちゃんと理解できているのか定かでないけれど、「将来的に他国間で戦争が起こっても自国は中立の立場を取って、どこの軍団にも加勢しませんよ」っていうやつ。その代わり自国が攻められたら死んじゃうから「自国のための強力な武力を自分で用意する」というね。わたしは自分の中の平和が一番なの。自分の意識だったり、自国の内政だったり。そこが穏やかで争いがないのがファーストプライオリティなんだ。だから内紛を解決する武力があったらそれを全部外側に回したい。なるべく行使したくないけどね。備えあれば憂いなしくらいの出番で。で、そのシステムを実現するにはどうしたらいいのか、って考えたら、少数民族結成すればいいんじゃない?って。笑 お金とか数字って絶対に優劣を決めるものだけれど、神の前に人間は平等じゃないですか。そうすれば内紛は治まるじゃん、ていう。まあ、前回の記事で「高校生のときに自由と平等が耐えられなかった」って話したんだけどね。笑

そこから何年か経っていろいろあって、だいぶその耐性が付いたらしい。ということで、たしかに究極的に自分の中のpeaceful state of mindを目指すとしたならば、それはひとりで完全な状態の「悟り」の境地に至るしかないんですが、それはまあ至りたい人間が各自がんばってもらうとして、現実的に考えるならば擬似的な「少数民族」を結成するのがいいのではないかと。セミナーやらオンラインサロンってのはそういうことだとは思うんだけれど若干抵抗があるわたしみたいな人間はけっこういると思うから、やっぱり何かのコンテンツを神と崇めてオタ活するのがいいんじゃないかな!ん〜!そこ?って感じですが。人間は変わる生き物なので、真ん中に据える神は架空のものが良さそう。あれ?わたしなんの話したいんだろう?わかんなくなってきちゃった、ニュアンスだけ伝わってくれ。笑 各々の民族がそれぞれ神話を持ってるのって、オタクが推しについて語ってるのと同じなんだよっていう。内的動機によって神に宣誓をする集団がピースフルで最強✌︎('ω'✌︎ )って話でした。


いろいろ頭良さそうぶって調子のって書いちゃうんですが、実はほんとうにお勉強ができなくて意見を言えない劣等感がすごくて必死に覚えたての単語を使う小学生みたいな気持ちでずっと主張してます。ただ言いたいことがあるのは間違いなくてその気持ちになるべく忠実には書いてるんですが。言えるのは楽しいから続くんですけどね。なんかもう、「わたし的には正解」をとりあえず言う、っていう。誰かに向けて言えるほど強くないんでブログで叫んでるんですね。高校の国語の先生に「内柔外剛」って言われたの、けっこう恥ずかしかったしショックでした。めちゃんこネガティヴな意味やん。カッコつけるだけつけて、内側はヤワってことでしょ?まあ、だからヤンキーカッケーってなるんですけど。


さて。

以上、お母さんがPCR検査陰性で安心したと思ったら、弟が38度の熱を出し始めたえりんでした。

ぴぃ〜〜〜〜〜〜!!!!!


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