記事一覧
尊厳を大切にしてほしい。わたしの人生をかけてあなたに伝えられること、すべて。直接何か携わる余裕は今はないけれど、大切にすべきものをちゃんと持って。奪われたのなら命をかけて徹底的に奪い返せ。いつだって今しかないから。この意味が、重さが、他の何より尊いこと。伝わると信じて。
薬というのは、身体のどこかの設定をいじって外側を先に上手く回すことで、内側が回るようにするのを助けるものであって、何かを根本から「治す」とか「解決する」とかいうものではない。良くも悪くも、大人騙し。治すのはいつだって自分の心持ちと選択。賢く使うのが吉。
精神世界の旅をやめてphysicalな次元にチューニングしていきます おわり
いつかの自分を支えてくれた絶望は、これからの自分を縛る腐った希望になってはいやしまいか。
宇宙の果てに何があるか?「騙し」だと思う。もう少し俗っぽい言い方をするなら「呪い」。protection. Security. それを数式や法則で表したら、それこそが騙しなので表せないはず。みんなその神秘に触れたくてお金やものが動くんだよ。
世界の真ん中が見たいと思っていたけれど、そのためには末端になった方がいい、と分かってから、本格的にギャルを踏襲している。ギャルは末端意識。何もかもが最先端で末端にある。グルーヴ感よ。
教義や物語は、完全な現実を映し出すことは難しい。けれど、それらを通じて真実の一端を感じたり理解したりすることはできる。その感覚がこれからを歩む道を指し示してくれるかもしれない。その頼りになる度合いが、完成度なんだと思う。
あらゆる信仰や経典、教義は、自分を心地良くするための手段だと思っているから、その内容が現実的に正しいかは気にしていないんだけど、その感覚を説明するのならば、「アニメや映画が現実的にあり得るかどうかはどれほど重要ですか」という提議と似ていると思う。物語が入らないから教義に走っただけ
距離の重さが確実に失われている だからこそ我々は歩かなくてはいけない 本来あった重さを思い出すために
重要な局面で大切な関係に筋を通せるようにするために、他全部の筋道を瞬時に捨て去る想定をしておくということ。来るかも知れぬその時に備えながらも、しないでいられるような、友好関係を築いておくということ。
ゆるさとは。
自分の中に体験から生じた疑問があるところにしか、答えはハマらない。なんかもう、これがすべてじゃないですか?答えを闇雲に入れても仕方がないのよ。ほんとうに。
人とは、一つの事象に対し複雑な感想を持つのが一般的で、それの発散の仕方にその人間の本質が現れる。持てる友人の種類の多さが、交友関係の恒常性を保つのに一役買ってくれることが多い。同じ価値観の人間が集うところで何かを吐くと、その反対の側面を発散する場所がなくなるから。
全部がゆるく繋がっている中で、その起点と終点をどこに見出して、どこを目的にしどこを手段にするのか、みたいな話で、個人的にはそれを自分で切り替えられるような器用さを身につけたいと思っている。(これは全パターン見るプレースタイルを好むわたしの、完全なる趣味)