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再訪

自分が一度偶発的に到達してしまった場所に、もう一度現在地から現実的な手法で辿り着くことにとてつもない快感を覚える。これは幼少期から変わらない。「ああ、思い出の場所にまた行けた。また来れた。よかった。失わない、大丈夫だ。」という気持ち。再現性を感じるからだろう。そして、その場所だけが神秘的に輝いているのではなくて、その光が現実と地続きなことに安堵して、今いる場所が照らされていくのも良い。これをやり続けるために、無意味で無目的に新しく出会い続けていると言っても過言でない。

移動することには意味がある。特に動く乗り物においては。外界と断絶しながら場所を変えることで、ひとつの記憶と感情をその他大勢から分けて保存することができるからだ。けれど、一度その閉ざされた思い出の箱を、懐かしいからといって簡単に開けてしまえば、現実と混ざって上手く思い出せなくなる。そこには、何か大切に握りしめていたものを無くしてしまうような怖さすらある。ひょっとするとこれは、“子どもの頃奇跡に感じられたことは、ただの当たり前であった” と、残酷にも、思い知らせる行為であるからかもしれない。毎回一回きりの勝負。二人が一緒に楽しめるかは、すべて大人のわたしの力量にかかっているのだ。

どうも〜