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結果を放棄すること
「結果ってなんだろう?」
ある日、そんな疑問がわいた。
テレビのニュースで13年前の事件をしていた。
当時の状況がふわっと脳裏に浮かび上がる。
13年前、看護専門学生のときに起きた事件は、学校からまあまあ近くて、事件現場の地域に住んでいた友人もいたため、なんとも身近に感じていた。
そのときの記憶とともに、懐かしき思い出が自分の中から出てくる。
「〇〇ちゃんっていたなあー、元気かな。みんな今は何をしているんだろう。
あのとき、あんな遊びしたなあ。あんなことして爆笑してたな。」
自分の頬が緩んでいるのがわかる。
あのとき、私は小学生からの夢であった看護師を叶えるために、専門学校に通っていた。
看護師になることがすべてだった。
一心不乱に、仲間と共に、看護師までの道のりを、泣いて笑って、駆け抜けていた。
私は看護師として生きていくのだと思い込んでいた。
まさか、13年後には看護師をしていないなんてあのときは思いも寄らなかった。
今の私は、どんな思いか?
あのとき、看護専門学校に通って良かったし、看護師になって良かった。
ただ、今は私は看護師をしない、という選択をしているだけだ。
ただそれだけ。
じゃあ結果ってなんだろう?
看護師になったことが結果?それとも今看護師をしていないことが結果?
結果っていつのことを言うんだろう?
もはやこの世に結果なんて存在しないんじゃないか。
せっかちな私は、結果を早くに求めたがるし、グレーは嫌いで白黒をはっきりしないと気が済まない。
でも、結果ってわかんないもんじゃんか。
上手くいかない!と思っていたことが、数年後に上手くいってることもある。
成功した!と思ったら、下り坂になっていくこともある。
成功だ、失敗だ、意味なかった、なんて、結果というものは自分の捉え方次第で、同じ状況でも十人十色の結果の捉え方になる。
そう思うと、結果なんて存在しないんじゃないか、幻想じゃないか、なんて思ってしまった。
最近読んだバガヴァッドギーターに書いてあったことが胸に響いた。
行いの際に、何か喜びや安全を得ようという結果への期待を手放すこと。
行いを利己的な理由でしないこと。
すべきことを行い、結果のすべてを全体世界からの贈り物として受け止めること。
自分自身のすべきことが必ずしも好きなこと、心地よいこと、望むことでなくても、それが上手くできなかったとしても、自分のすべきことを果たすことが大事である。
他人のすべきことを上手にこなすよりも、うまくできなくても自分のすべきことをすること。自分の性質によって与えられたことを果たすことが、人を守り、大きく成長させる。
つまり、行いの結果への執着を放棄すること。
結果は贈り物で、良し悪しもない。
自分のために、すべき行いを積み重ねていくこと。
うまく言葉でまとめられないけれど、そんな気がした。
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