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幸せと生きる意味を探し続けたその先に

生きている意味も幸せもわからなくなって
幸せになりたくて、生きている意味を見つけたくて
25歳わたしは旅に出た。

「生きるってなに?」「幸せってなに?」
そんな問いの答えを見つけたくて必死だった。


そして30歳、ついに答えを見つけた。


それは、探し求めて世界各地を巡った先にあったのではなく
自分の内側にあった。

生きる意味も幸せも外側にはなく、すべて内側にあった。


そうやって探している間は
「やりたいことをやろう」
「すごい奴になろう」と燃えるように生きていたが

見つけると、わたしは燃え尽きてしまった。


やりたいこともなくなり、なんのために生きるのか
わからなくなった。


それは底の見えない真っ暗闇の絶望の中だった。


その中で、もがき続けているとふわっと浮上した。


それから周りに押されるように「食」の活動を始めた。

「食」はわたしの好きなことでも、やりたいことでもない。
それでも今わたしに与えられたことであり
今わたしがすべきことだと感じてやっている。


プレートに盛り付けた料理は
「わたしが作ったの!?」と自分でも驚くほど美しいときがある。

なんたって料理は未経験だ。


握りしめていた経験も個性も手放した先に、料理があった。


「なんのために食をしているのか?」
と聞かれることが多いけれど
「今やるべきことだから」という理由だ。

「食で世界を変えたい」という熱い思いもない。

食を通して、出会う出来事や人々から己を磨いている。

個人の願望でなく、調和の世界の中でこれが今のわたしの役割
なのかもしれない。


過去のわたしのように苦しんでいる人を助けられたら、、、
と思うときもあったけど

他人を助けることも救うことも出来ないのだと気づいた。

でも気づきのきっかけを与えることはできる。

わたしの行いが、その人の気づきのきっかけになれば、と。


今朝久しぶりにジャーナリングをしようとノートを開いた。

最後に書いたのは2週間以上前だった。

感情にのまれることも、怒りに気が狂うことも
ほとんどなくなった。


今朝ノートに書いたのは
「どう在るか?」「今与えられていることは?」
「わたしとは誰か?」「大切なことは何か?」

答えは知っている。


でも流れゆく日々の中で
落ち着いて自分に問うことはとても大切だ。


その答えを腑に落としていくために
今日もまたわたしは「食」の活動をやっていくのです。


幸せと生きる意味を探し続けたその先に
わたしは調和の世界で生きる
自分に与えられた役割を見つけた。

自らの欲望でも願いでもないやるべきことに出会った。


それは生きる意味であり幸せでもあった。

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