あやかんは自尊心がないからおっさんの弾き語りを聴いて泣くはめになった【あいの里2】
もし「あなたは、おっさんの弾き語りを一対一で聴きたいですか?」というアンケートがあったなら、NOと答える人の数が圧倒的に多いはず。なのに、さらにそれで泣かなきゃいけないなんてまじで可哀想!!!!何やってんの????
シーズン1で毎週ぼろぼろに泣いて心打たれていた『あいの里』の続編が始まると聞きつけて、最初は楽しみにしていました。そりゃあもう。
だけど、あいの里2がスタートした時に最初に浮かんだ不安は「この女、世に出して大丈夫なんかな…」というものだった。お前のことだよ、あやかんよ。
私は知っている。あやかん系女子はもうこの時点で何も聞き入れてくれやしない。「何やら酷いこと言われてる!こんなに頑張ってるのに!」と、その場しのぎで慰めてくれる人を上手いこと見つけてすり寄っていく。
じゃないと、パチゆみがタナさん宣言した後にタナさんの前で号泣したりせんやろ。そういうとこだぞ!!!
だから、あやかんと腹を割って話すことなんてできない。少しでもダメ出ししようもんなら、たとえそれがこちらの愛情ゆえであっても、あやかんの取る選択肢は「見ざる🙈聞かざる🙉言わざる🙊これでオッケー!」ただひとつ。
だけど、あやかんみたいな人って絶対に身近にいる。
かつて、私の中にもあやかんがいたし、周りにもおびただしい数のあやかん女子が生息していた。だから、あやかんとは概念なのである。
つまり、ここに書いてある内容はあくまでも『あいの里2』に出演していた「あやかん」というキャラクターを元に、「あやかんぽさ」を追求していく趣旨であるとご理解いただきたい。
35歳最年少メンバー・ルックス良し。あれ?
あいの里とは、「さまざまな経歴を持つ35歳以上の男女が田舎で共同生活を送りながらパートナー探しに挑む恋愛リアリティーショー」である。つまり、35歳で参加したあやかんは必然的に最年少メンバーということになる。
おそらく、我々はこの時点で疑ってかからなければならなかったのだ。
年齢的にも若いし、秘書って仕事も中年男性からのウケが良さそう。なにより、あやかんの第一印象は「かわいい子だな」だった。髪型や服装の野暮ったさは、それはそれで男性にとってはグッとくるポイントにもなるし。
初っ端から妊娠・出産や卵子凍結の話をブッこむのも、まあこの番組ならアリかなと考えていた。(シーズン1でもゆうこりんとたあ坊のくだりがあったし)自分自身、あやかんとそんなに世代が離れていないため、女性ならではの悩みは尽きない。いつも婦人科の先生としかしないような話を、恋リアのメンバーで語ってもらって問題提起になるならありがたい。
だけど、あやかんは語るというより爆泣きしていた。
自分の考えや経験を伝えるというよりは同情してもらうための話題だったように見えたし、出産経験のあるメンバーに教えを請うよりも先に「産んだことがある人にはわからない!」とやつあたりしていた。もちろん、ドン引きした。
正直、35歳という年齢で出産を考えるのであれば歳下という手もあるはず。30前後で堅実で結婚願望もある男子、実生活でぜんぜんいけたと思う。
だけど、あやかんはそれをしなかった。自分がいちばん若くいられる場を選んだのだ。若さしか勝負できる武器がなかったから。だから、あいの里だったのだ。
「理想が高い」という言葉の落とし穴
あやかんのように見た目に大きな欠点がなく安定した職についている適齢期の人間に対して、他人は「じゃあ、理想が高いんだね」という言い方をする。
良い相手はいくらでも居そうなのに、出逢いも求めているはずなのに、独り身なのはその人に問題があるわけではなく理想が高いからだと。
これって一見耳障りが良い言葉ではあるんだけど、真意は別のところにあったりする。
アドバイスをするほど仲が良いわけではないとか、本人が求めてなさそうだからとか、面倒くさいからとか。
理想が高いと言われた方は、「そんなことないんだけどな」と感じつつ少し安心する。自分は理想が高いだけで、まだまだいけるのだと。
だけど、本人が知らないところでは「紹介しても文句言われそうだからやめとこう」とか「上手く行ってほしいけど、恋愛相談に口を出すのはよそう」みたいな暗黙の了解が広まっていく。
どこかで聞いた話だと思いませんか?そう、『裸の王様』ですね。
ギタりんがくれるのは無償の愛じゃなくて性欲だよ
最終回の告白シーンの感想を追っていたら、ギタりんが「もう充分」と言ってあやかんの言葉やハグの提案を遮った場面に感動している人がたくさんいて泣いた。
あれって、「これ以上言葉はいらないよ、通じ合ってるよ」って意味だと本気で思ってるんですか?「告白の返事がNOなんだったら、正直お前がどう思ってるかなんてどうでもいい」ってことじゃないんですかね????
アフタートークのあいの里倶楽部で2人のその後を見ることができたけど、ハグは完璧に悪手だったなと感じざるを得なかった。
あやかんは「生涯の親友」だと思っている相手は、あやかんのことを「ワンチャンいける相手」だと認識している。こういうのって、対等なリレーションシップって呼べるんだっけ?
自信はギター弾きのおっさんにもらうものではない
ここまでのくだりが、悪口とか文句とかに見えた方がいればごめんなさい。私は、ただただ悲しいだけなのだ。
最終回にて、これまで着ることができなかったノースリーブで登場したあやかんの心意気は素敵だった。「きっと、ここにギタりんがいたら可愛い!って褒めてくれたはず」という言葉に、自分のこれまでの恋人たちの顔が浮かんで涙ぐんだ。
そうなんだよね、自分で自分を肯定することができなくて、全肯定してくれる誰かのおかげでやっと変われることってあるよね。
だけど、ちょい遅くない??????
その全肯定してくれる誰か、本当にギタりんだけだった?これまで本当にいなかった?一人も?友達でも?恋人も?
自分を受け入れてくれる存在って、自分にそれを受け入れる器がなければ認めることができない。たぶん、あやかんはギタりんのおかげで自分への「嫌い」を少し減らせたんだと思う。その経験は本物だと思う。
だけど、あやかんの中のプライドみたいな部分では自分のことを、顔も可愛いしまだ若いしぜんぜん細いはずだし女性である自分から行かなくても男性からアプローチしてもらうべき存在だったし惨めな想いなんてする必要なかったってきっと考えてる。
だから、ギタりんじゃ駄目だったんでしょ。
自分と同じくらい自分のことを大好きで自分推しの人が他にいないから、自分のことを嫌いになってたんでしょ。
だから、ギタりんを手放したくなかったんでしょ。
あの手の女はメンタルがバリ強
隊長が鐘を鳴らせばマヨネーズを握りしめ、せん姉が鐘を鳴らせば「私って残りものなんだ」とか言い始め、え!?!え!?なんで急に自分の話!?!?!?と周囲を戸惑わせたあやかん。
「笑った顔がかわいい、もっと笑ってほしい」とMCも視聴者もつい我が子のように応援してしまうあやかん。
「幸せになってほしい」と願う私たちから見れば、どう考えてもあいの里に来る前に済ませておいてほしいことがたくさんあった。
彼女は幸せになる準備ができていなかったから、彼女の理想とする恋はできないまま、ギタりんの謎の弾き語りを無償の愛だと錯覚して泣くはめになったのだ。
だから、私たちはもうこれ以上心配しなくていい。
仲間が「向き合う」宣言した直後にその相手を呼び出して平気で泣き続けられたり、気になる人に食パン2枚だけを重ねたものをプレゼントしたり、コンプレックスだったはずのノースリーブにチャレンジする時に女性メンバーに相談せずインナーなしで登場するような女は、どう考えてもタフでメンタルが強い。