彼女は死にたいと泣いていた。
先日、某配信アプリのLIVE配信で、『死にたいです。』というタイトルの配信があったので入ってみた。
コメントは0。
※ちゃっかり、過去noteを宣伝していくスタイル(笑)
1.そんな見えない壁を越えられずにいる。
配信主は、『死にたい』と泣いていた。
私は不謹慎になるかもしれないが、何気ないコメントを投げてみた。
配信主からは、『コメントしてくれてありがとう』と返事が来た。
コメントしているのは私だけのようだ。
『他にこの配信を聴いている人はいないのか?』と聴いてみたところ、
どうやら、潜って聴いている人が数人いたようだ。
私がそのコメントをすると、他の潜って聴いていた人がコメントしだした。
『死にたい』と泣いている人がいるのに、何も声をかけず、ただ見ている、聴いているだけなのか?
と、私は正直思ってしまった。※個人の感想です。
目の前で泣いていたり、苦しんでいる人がいるのに、声もかけずにただ見ているだけなのが、
この日本なのだ。
こんな風に書くと、見てるだけだった人らを批判しているように聞こえるかもしれないが、穿った見方で考えないで欲しい(笑)
でも、私はそう思ってしまったのだ。
掛ける言葉はなんでもいい。
ただ、『どうして死にたいの?』
『どうして苦しんでいるの?』
それが安易に聞けずに僕らはいる。
もしかしたら、安易に声をかけると、相手を傷つけてしまうかもしれない。
もしかしたら、自分が傷つけられてしまうかもしれない。
そんな見えない壁を越えられずにいる。
2.『ありがとう』という光の言葉
その泣いていた彼女は、うつ病で苦しんでいるようだったが。
『前のように戻りそうで、今のままじゃダメだ』と泣いていた。
『親が理解してくれない。』と泣いていた。
『わたしなんか、恋愛しちゃだめなのかな?』と泣いていた。
苦しんでいる人がいても、どこか触れちゃいけない雰囲気で。
なんて言葉をかけたらいいか分からなくて。
素通りしていく。
それでいいのかねぇ?って思う、今日このごろ。
しかし彼女は、『コメントしてくれてありがとう。』
『私の話しを聞いてくれてありがとう。』と、自分以外の誰かに、
『ありがとう』という光の言葉を放てる強さがある。
苦しんでいるのは彼女なのか?と、ふと疑問が出る。
救われているのは、もしかしたら、苦しんでいる彼女の話をあの時聴いていた、リスナーの僕らだったのかもしれない。
『ありがとう』という光の言葉を放たれて、それをnoteの記事にしている僕がいる。
彼女は病気で苦しんでいるのかもしれない。
けれど、自分の奥底にある、他人に『ありがとう」と言える、強い自分の軸に気づけたなら、
弱い自分と、強い自分を持ち合わせて、これからを歩んでいけるのではなかろうか。
自分が弱くなければ、もしかしたら「ありがとう」という光の言葉も、発することもできなかったかもしれないね(^^♪
それでは今回はこの辺で(^^)/
3.おまけ
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