四. 最悪な出来事の後に現れた救世主。
私が大学生だったある日、帰宅するといつものように些細なことから母と口論になった。その頃は毎日喧嘩ばかり。だけどその日は特別だった。口論の末、母からこんな事を言われたのだ。
「あんたなんか産むつもりなかったんだから!」
この言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。何も考えられなくなり、すぐに自分の部屋に籠った。最悪な気分だった。
何でこんなことを言われるんだろう。私が悪いんだろうか。どうすれば良かったんだろうか。
母からはその後、その件について何も言われなかった。でも私は謝って欲しかった。
子どもの頃からずっとイヤだった。うちの家族は、喧嘩をしても謝らない。仲直りなんて一度もしたことがなかった。さっきはごめんねが、一回もなかった。大喧嘩した次の日の朝、みんな何事もなかったように過ごしている。それが、私にとってはものすごくイヤだった。
でも、イヤだとか謝ってよとか言うことは出来なかった。なぜなら、もし自分の想いを正直に言ったら、5歳上の兄に「うるせーな。バカじゃないの?お前は黙ってろ。」とけなされてボコボコにされるだけだ。それがわかるから、私は自分の想いを大切にするよりも、家族に採用される意見を言えば良いんだと思うようになった。そうすれば、こんなに傷つかなくて済むんだと思った。
その癖は、今でもなかなか治らない。自分がどう思うかより、相手は(みんなは)どう思っているのか、この場で採用されるであろう意見は何だろうと、空気を読もうとする癖だ。
とは言え、私にも負けず嫌いなところがある。そんな家族の中で何とか「自分は悪くない!」と頑張った。兄にたたかれたら、お返しにビデオテープを投げて流血させたこともある。母に酷いことを言われたら、倍返しで酷いことを言った。そして、そのあとはすごくエネルギーを消耗して疲れたし、気分もとても悪かった。そんな毎日じゃ、そりゃ心も体も疲弊していくよね。
今思えばだが、この時の私に必要だったのは、周りとは程々にうまくやることと自分を大事にすることだったと思う。だけど周りと程々にうまくやることって結構技やコツがいるし、自分を大事にするというのも、自力で開発するにはとても苦労することだった。この年になってようやく出来るようになってきた位だ。
あの日の「あんたなんか産むつもりなかった」という母の言葉は、思いのほか私の心を傷つけた。1人で部屋にこもって泣いた。他にどうすれば良いのかがわからなかったので、泣くしか出来なかった。
翌朝、母は相変わらず何事もなかったように接してきた。私はまたがっかりし、モヤモヤした気持ちのままアルバイトへ向かった。
1人で休憩していた時に、珍しく店長から声をかけられた。
店長「どうした?元気ないんじゃないの?」
私「え?あ、あははは…。」
店長「何かあったのか?」
私は昨日の出来事を店長に話した。そしたら、店長から思いがけない返事が返ってきた。
店長「お前は悪くない。何があったとしても、そんなことは子どもに言っちゃだめだよなぁ。…ツラかったな。」
店長の言葉に優しさを感じた。店長は悲しい顔をしていた。そう言えば店長にも娘さんがいたんだった。
私は失礼なことに、それまで店長のことはナヨナヨしたおじさんだと思っていた。だから、どうせまた真剣には聞いてもらえないと思っていたし、そんな優しいことばが返ってくるとは期待していなかった。そして、本当に失礼な話だけど、当時の私はおとなを小バカにしていた。どうせおとなはわかってくれない、自分の身近にいるおとなは頼りにならない大したことない人たちばかりだ。立派なおとなは自分からは遠く離れた所にしかいないんだと思っていた。
私は店長の言葉が本当に嬉しかった。お前は悪くないと言ってくれた。お母さんが悪いと言って、私の味方になってくれた。そんな人は初めてだった。
私はそれまでにも、母のことを友達に相談したことがあった。「あんたなんか産むつもりなかったんだから」と言ってしまう母だ、それまでにも私にとっては嫌なことがたくさんあった。母との関係にはずっと悩んでいた。私が友達にどんな風に相談していたのかは忘れてしまったが、誰も私の味方にはなってくれなかったことは覚えている。みんなに言われたのは、「親のことをそんな風に言っちゃだめだよ。お母さんが正しいに決まってるじゃん。」
当時私は思った。あぁ、私の言ってることは通じないんだ。こんな家庭で暮らしているのは私だけなんだ。私の周りのみんなは、親に愛されて、笑顔で生活しているんだ。相談する私が悪いんだ。
自分のことなんて誰にも話せなくなった。誰かにわかってもらうために努力することは無駄だと思えた。わかってもらえなくて自分が傷つくということを、避けることの方が有効に思えた。再び傷つくことが何よりも恐かったからだ。「助けて」を言うことはエネルギーがいることなのだ。
だけど、店長に救われた。たった1人でも私の味方になってくれた人がいたというその事実のお陰で、私はつらい日々を何とか乗り越えることが出来たんだと思う。かっこ良いスーパーマンみたいな救世主もいるけれど、しがないチェーン店の一見頼りにならなそうな店長が私にとっては救世主だった。有名だったり地位やお金や権力を持つおとななんかより、他人の痛みのわかる、人の心を思いやれる優しいおとなに私もなりたい。私にそう思わせてくれた時点で、店長はもう明らかに最高にカッコいいおとなだ。
因みに、今は母とは普通に会話出来る様になれたのだが、先日母に聞いてみた。「あんたなんか産むつもりなかった」と言ったことを覚えているか、と。
母は全く覚えていなかった。
母が覚えていないことを知って、私は笑ってしまった。そんなもんなんだ。口喧嘩していたのだから、きっと母は勢いで言ってしまったんだろう。当時の私もきっと相当酷い言葉を使ったに違いない。私が気にしすぎだと言われたらそれまでなんだ。だけど、いくら大学生になっていたとしても、子どもの頃からずっと小さい傷をくすぶらせ続けていた私にとっては、母のあの言葉はとどめになってしまった。その日から私は、母を人間としてもっともっと嫌いになってしまったのだ。
そして、二度と人からそんなことを言われたくない、もう人から傷つけられる自分ではいたくないと思ってしまったんだ。