二.私がずっと求めていたもの。
職場で倒れて数か月後、予定していた通り私は彼氏と入籍した。
結婚することは、子どもの頃からの私の夢だった。それはウエディングドレスや結婚式への憧れからではなく、「ペア」になりたかったから。
私はずっと、たった1人の、私だけの完全なる味方が欲しかった。私の味方になってくれるのは、親でもなく兄弟でもなく、友だちでもなくいつか出会うはずのパートナーだけなんだと、子どもの頃の私はなぜか信じて疑わなかった。
確か中学生位から高校生位までだったと思う。毎晩寝る前に布団の中で祈っていた。私は特定の宗教を信仰していないので、具体的な神様像はないんだけれど、ぼんやりと自分の中で想像した神様に向かって「私を間違いなく、正しい相手と出会わせてください。」と必死に祈っていた。そして、どんな男の人かってことも、具体的にオーダーしていた。内容は忘れてしまったけど、私に怒鳴らない人とか寝る時に手を繋いでくれる人とかとにかく私を絶対に否定しない、私だけの味方になってくれる人物だった。
そうやってひたすら、いつか私は救われる、と毎晩しあわせな未来を夢見ていた。その時の私は、どれだけつらい「現在」を生きていたんだろう。
そのオーダー通りだったか今となってはわからないが、私はパートナーを見つけた。その人が、ずっと願って来た「その人」かどうかは、出会ってすぐにはわからなかった。ようやく最近になって、この人だったんだ、と感じるようになった。神様(なんと呼べば良いかわからないので、取り敢えず神様と言っておく)はちゃんと私の願いを叶えてくれたのだ、今はそう思える。
彼はずっと海外で暮らしていた。2011年の震災がきっかけで私の住む街へとやって来て、巡り合えた。それまで付き合ってきた彼氏とは長くて3年しかもたなかったのに、何人と付き合っても結婚まで行かなかったのに、夫とは出会って10年以上になる今でも仲良く一緒にいられる。
彼は全く私のタイプの男性ではなかったので、いまだに不思議だ。なぜ付き合ったんだろう。付き合っている間いろいろ問題は起こったけれど、私はなぜ彼を信じて付き合い続けられたんだろう。謎が多くて、本当に縁で結ばれたんだとしか思えない。どちらかの相手への思いが強かったということは考えにくい。本人たちの想いや意図ではなく、いろんな偶然が重なって気づけば結婚まで来ていた。それを縁と言うのかもしれない。
私はいつからか彼の前では自分を偽らずに、素の自分でいられるようになっていた。彼はどんな私も受け入れてくれるからだ。思っていることを正直に話せる。ケンカも出来るし、仲直りも出来る。何でも話せる親友みたいな相手が初めて出来た。心から安心出来る相手が、初めて出来た。これは私にとっては本当に本当にあり得ないくらいうれしいことなんだ。初めて理解出来た、「安心」の感覚だった。
今の私は間違いなく、これまでで一番の安心感の中で生活出来ている。本当に、私だけの最強の味方を見つけられた。
間違いなく夫は私の人生を変えてくれた。そして今も、きっとこれからも私の安全地帯で居続けてくれるだろう。だからこそ、私は自分をしあわせにすることを、自分が笑顔でい続けることを、やっと今自分に許可出来る様になったんだ。
しあわせは、当たり前じゃない。しあわせは、だれかにもらうものじゃない。しあわせは、自分で自分に許可しないと得られないものなんだ。
なぜ私は、最初から自分がしあわせになることを許可出来なかったのだろう。
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