【公式】臨済宗大本山 円覚寺

鎌倉にある臨済宗大本山円覚寺です。 YouTubeにてお届けしてます「毎日の管長日記と…

【公式】臨済宗大本山 円覚寺

鎌倉にある臨済宗大本山円覚寺です。 YouTubeにてお届けしてます「毎日の管長日記と呼吸瞑想」を中心に毎月の「日曜説教」、短い法話の「一口法話」などお伝えさせていただきます。 【公式ホームページ】https://www.engakuji.or.jp/

記事一覧

第1219回「バラは一輪でいい」

坂村真民先生に「一字一輪」という詩があります。 一字一輪 字は一字でいい 一字にこもる力を知れ  花は一輪でいい 一輪にこもる命を知れ という短い詩であります。…

第1218回「達磨の毒殺」

達磨大師は禅宗の初祖として崇められています。 しかし、そのご生涯については分からないことが多いのです。 南インドの香至王の第三王子であったと言い伝えられています…

第1217回「物我一体」

『岡田式呼吸静坐法』という本を読んでいると、 「岡田式呼吸静坐法はその静坐の結果が如何なる境界に至るかと云えば、要するに静坐は心身一致の修養法と云うことになる、…

第1216回「明るくいきいきと – 木鶏会百回 –」

「木鶏」という言葉があります。 『広辞苑』で「木鶏」を調べると、 まず「木製のにわとり」という意味があります。 文字の通りです。 更に「強さを外に表さない最強の…

第1215回「ゆったり心を落ち着けるには」

四月の最後の日曜日に、一般の方の布薩を開催しました。 いつも第二日曜日に行うのですが、四月は第二日曜日の午後から講演が入っていたので、月の終わりになってしまいま…

第1214回「季刊『禅文化』 – 南天棒老師の特集 –」

中学生の頃の愛読書のひとつに『禅に生きる傑僧 南天棒』という春秋社の本があります。 一九六三年に春秋社から発行されています。 こんな書物を、中学の頃に、実に「血…

第1213回「良い言葉が力を生み出す」

湯島の麟祥院で、榎木孝明さんの古武術の講座があると知って、先日受講してきました。 麟祥院でチラシを見て、ご住職にお願いして参加したのでした。 そっと会場の片隅で…

第1212回「よき友を得ることは道のすべて」

四月の末に上洛して、妙心寺に参りました。 河野徹山老師が、妙心寺に歴住開堂なされ、その式典に参列するためであります。 開堂というのは、初めて正式に説法することを…

第1211回「ZENエクササイズ」

いよいよ本日五月一日です。 五月となりました。 四月の下旬、修行道場の大摂心を終えて、次の日には京都に行きました。 その翌日に愛媛県宇和島の大乗寺の河野徹山老師…

第1210回「心を調えるには」

修行道場で、一週間にわたって、『天台小止観』の内容について講義をしていました。 実際に坐禅をするのに、いろいろな方法が説かれていて、初心の者にはたすかります。 …

第1209回「『無門関』に学ぶ」

はじめて禅の書物に触れたのが、『無門関』でありました。 忘れもしない小学生の頃でありました。 市内にあるお寺の坐禅会に参加して、そこで和歌山県由良町の興国寺の目…

第1208回「感動の二話」

知人から和歌山で開かれている修身教授録の読書会の案内のコピーを頂戴しました。 浅井周英先生が主催されている読書会だそうです。 浅井先生は森信三先生のお弟子でいら…

第1207回「坐禅の呼吸」

朝比奈宗源老師が坐禅について語られた言葉に、 「人間は誰でも仏と変わらぬ仏心を備えているのだ。 これをはっきりと信じ、言わば此処に井戸を掘れば必ず井戸が出来、水…

第1206回「どうしたらいつもニコニコしていられるか」

修行道場での入制大摂心では、坐禅もはじめてという修行僧もいるので、天台小止観に説かれている坐禅の心構えについて講義しています。 松居桃樓先生の『微笑む禅』は松居…

第1205回「仏心の中に」

人は仏心の中に生まれ 仏心の中に生き 仏心の中に息を引き取る 朝比奈宗源老師の『仏心』の中にある言葉です。 仏心というと、仏の心ですから、それは私たちの中にあるよ…

第1204回「よい条件を調える」

朝比奈宗源老師の『しっかりやれよ』という本には、こんな言葉があります。 「人は佛心のなかに生まれ、佛心のなかに住み、佛心のなかで息をひきとるのだ。 生まれる前も…

第1219回「バラは一輪でいい」

坂村真民先生に「一字一輪」という詩があります。

一字一輪

字は一字でいい

一字にこもる力を知れ 

花は一輪でいい

一輪にこもる命を知れ

という短い詩であります。

私の好きな詩のひとつです。

字でも、一字を書くのはとても難しいものです。

「花は一輪でいい」、その対極にあるように思うのが、

「百万本のバラ」であります。

私は昭和の終わり頃から、長らく修行僧の暮らしをしてきました。
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第1218回「達磨の毒殺」

達磨大師は禅宗の初祖として崇められています。

しかし、そのご生涯については分からないことが多いのです。

南インドの香至王の第三王子であったと言い伝えられています。

香至王は、お釈迦様から二十七代目の教えを受け継いでいると尊崇されていた般若多羅尊者に帰依していました。

香至王は般若多羅尊者に高価な宝珠を施されました。

般若多羅尊者は香至王の三人の王子に質問しました。

「この宝珠に匹敵する
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第1217回「物我一体」

『岡田式呼吸静坐法』という本を読んでいると、

「岡田式呼吸静坐法はその静坐の結果が如何なる境界に至るかと云えば、要するに静坐は心身一致の修養法と云うことになる、一歩進めて云えば心も体も共に悠揚たる人になると云うのである、即ち道に合した人になるのである。」

という言葉があります。

更に「物我一体」ということについて説かれています。

「物我一体」とは「物我一如」とも言います。

物我一如とは岩
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第1216回「明るくいきいきと – 木鶏会百回 –」

「木鶏」という言葉があります。

『広辞苑』で「木鶏」を調べると、

まず「木製のにわとり」という意味があります。

文字の通りです。

更に「強さを外に表さない最強の闘鶏をたとえる。」と解説されています。

これは『荘子』のなかにある木鶏の話がもとになっています。

講談社学術文庫の『荘子』全訳註にある現代語訳を引用してみます。

紀渻子(人の姓名)という人が、ある王の命を受けて闘鶏を飼育してい
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第1215回「ゆったり心を落ち着けるには」

四月の最後の日曜日に、一般の方の布薩を開催しました。

いつも第二日曜日に行うのですが、四月は第二日曜日の午後から講演が入っていたので、月の終わりになってしまいました。

今回の布薩では、礼拝を丁寧に行うことを意識してみました。

全体で、二十七回の礼拝を繰り返しますが、それを呼吸に合わせて行うようにしてみました。

基本的に、体を屈める、下に向くときには息を吐いてゆき、体を起す、起き上がるときに
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第1214回「季刊『禅文化』 – 南天棒老師の特集 –」

中学生の頃の愛読書のひとつに『禅に生きる傑僧 南天棒』という春秋社の本があります。

一九六三年に春秋社から発行されています。

こんな書物を、中学の頃に、実に「血湧き肉躍る」思いで読みふけっていたものです。

当時私が南天棒老師に抱いた印象というのは、恐ろしい禅僧なのであります。

写真を拝見しても大きく太い南天の棒を持って、今にも打ちかかってきそうであります。

中学生の頃から、公案をもらって
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第1213回「良い言葉が力を生み出す」

湯島の麟祥院で、榎木孝明さんの古武術の講座があると知って、先日受講してきました。

麟祥院でチラシを見て、ご住職にお願いして参加したのでした。

そっと会場の片隅で受講しようと思っていましたが、会場に入ると何と既に榎木さんがいらっしゃいました。

これはご挨拶しなければと思って、名乗りますと、既に私のことをご存じで、還暦ですねと言われたのには驚きました。

榎木さんは八つ年上でいらっしゃいます。
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第1212回「よき友を得ることは道のすべて」

四月の末に上洛して、妙心寺に参りました。

河野徹山老師が、妙心寺に歴住開堂なされ、その式典に参列するためであります。

開堂というのは、初めて正式に説法することを言います。

妙心寺の住持となって、法堂に上って説法をなされる儀式なのです。

住持となるといってもそれは形式的なもので、また大乗寺にお戻りになります。

ただ妙心寺の第七百十世という世代に入るのであります。

その開堂をなされた老師方
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第1211回「ZENエクササイズ」

いよいよ本日五月一日です。

五月となりました。

四月の下旬、修行道場の大摂心を終えて、次の日には京都に行きました。

その翌日に愛媛県宇和島の大乗寺の河野徹山老師の歴住開堂という儀式に参列するために、前の日に上洛したのでした。

その前日の午後から花園大学で、禅文化研究所理事長の松竹寛山老師が、ZENエクササイズという特別講座を開いてくださっているので、是非とも参加しようと思って受講させてもら
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第1210回「心を調えるには」

修行道場で、一週間にわたって、『天台小止観』の内容について講義をしていました。

実際に坐禅をするのに、いろいろな方法が説かれていて、初心の者にはたすかります。

また長年修行していても参考になるものです。

最終日には、呼吸と心の調え方を講義していました。

呼吸について『天台小止観』には次のように説かれています。

大東出版社から出ている『天台小止観』にある関口真大先生の現代語訳を参照します。
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第1209回「『無門関』に学ぶ」

はじめて禅の書物に触れたのが、『無門関』でありました。

忘れもしない小学生の頃でありました。

市内にあるお寺の坐禅会に参加して、そこで和歌山県由良町の興国寺の目黒絶海老師が『無門関』を御提唱なさるのを拝聴したのでした。

夏の坐禅会でした。

絶海老師は茶色い麻のお衣で、太鼓の合図で本堂に出て見えたのを覚えています。

なんとも小柄な老僧でありました。

その絶海老師がご提唱の前にご本尊に焼香
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第1208回「感動の二話」

知人から和歌山で開かれている修身教授録の読書会の案内のコピーを頂戴しました。

浅井周英先生が主催されている読書会だそうです。

浅井先生は森信三先生のお弟子でいらっしゃいます。

案内の文章を引用させてもらいます。

「子供が大人へと成長していくということは、ただ知識をどんどん吸収し、様々なことを知っていくということだけでありません。

他人の心を察することの出来る人になることも、とても大切なこ
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第1207回「坐禅の呼吸」

朝比奈宗源老師が坐禅について語られた言葉に、

「人間は誰でも仏と変わらぬ仏心を備えているのだ。

これをはっきりと信じ、言わば此処に井戸を掘れば必ず井戸が出来、水が出るという風に、信じ切らねば井戸は掘れぬ。
掘れば出ると思うから骨も折れる。

だから我々の修行もそれと同じだ。仏心があるとは有り難いことだと、こう思わねばだめだ。

そうしといて、井戸を掘るには井戸を掘る方法がある。

道具もいる。
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第1206回「どうしたらいつもニコニコしていられるか」

修行道場での入制大摂心では、坐禅もはじめてという修行僧もいるので、天台小止観に説かれている坐禅の心構えについて講義しています。

松居桃樓先生の『微笑む禅』は松居師が天台小止観を分かりやすく説かれたものです。

昭和五十三年四月から五十四年三月までNHKラジオで講話されたものがもとになっています。

私はまだ十三歳から十四歳にかけての頃でしたが、ラジオで勉強していたものです。

はじめに七仏通誡の
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第1205回「仏心の中に」

人は仏心の中に生まれ
仏心の中に生き
仏心の中に息を引き取る

朝比奈宗源老師の『仏心』の中にある言葉です。

仏心というと、仏の心ですから、それは私たちの中にあるように思います。

「仏心」とは、岩波書店の『仏教辞典』には、

「仏の心、大慈悲心をいう。

観無量寿経に「仏心とは大慈悲心是れなり」とある。

わが国では<ほとけごころ>と読んで、大慈悲心、卑近な言い方をすれば、優しい心を意味するこ
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第1204回「よい条件を調える」

朝比奈宗源老師の『しっかりやれよ』という本には、こんな言葉があります。

「人は佛心のなかに生まれ、佛心のなかに住み、佛心のなかで息をひきとるのだ。
生まれる前も佛心、生きているあいだも佛心、死んだ後も佛心、その尊い佛心とは一秒時も離れない」

これは、朝比奈老師がよく仰せになっていた言葉です。

そして朝比奈老師は、

「ただ多くの人はそれに気がつかないのです。

悟るということは、新しいことを
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