【公式】臨済宗大本山 円覚寺

鎌倉にある臨済宗大本山円覚寺です。 YouTubeにてお届けしてます「毎日の管長日記と…

【公式】臨済宗大本山 円覚寺

鎌倉にある臨済宗大本山円覚寺です。 YouTubeにてお届けしてます「毎日の管長日記と呼吸瞑想」を中心に毎月の「日曜説教」、短い法話の「一口法話」などお伝えさせていただきます。 【公式ホームページ】https://www.engakuji.or.jp/

記事一覧

第1330回「一休さん」

食べ物で苦手というものはほとんどありません。 長年修行道場で暮らしてきましたので、なんでもいただけるものは有り難く頂戴しています。 ただ禅僧の中でどうにも苦手と…

第1329回「学び習う楽しさ」

『論語』のはじめに、「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。」という有名な言葉があります。 岩波文庫の『論語』には、「学んでは適当な時期におさらいする、いか…

第1328回「イス坐禅の功徳」

東慶寺様にお招きいただいて、出張イス坐禅を行った明くる日は、毎月恒例となっている都内のイス坐禅の会でありました。 昨年の六月からはじめて早いもので、もう一年が過…

第1327回「イキイキとハツラツと」

五祖法演禅師は、禅の歴史の中でもとても重要な祖師であります。 『禅学大辞典』には、 「臨済宗楊岐派。 綿州(湖南省)の人。俗姓は鄧氏。 三五歳で出家受具し、成都(四…

第1326回「出張イス坐禅」

出張イス坐禅を行ってきました。 先日北鎌倉にある東慶寺様のご依頼で、イス坐禅の指導をしてまいりました。 東慶寺の今の和尚は、円覚寺の修行道場で長年修行された和尚…

第1325回「夢窓国師の最期」

夢窓国師七一歲の四月八日、天龍寺に法堂をひらきました。 八月には、後醍醐天皇の七周忌を修しています。 七十二歳で天龍寺の住持を退いて、雲居庵にお入りになっていま…

第1324回「夢窓国師の活躍」

八月のお盆には、棚経にまわる和尚様方が大勢いらっしゃいます。 円覚寺の修行僧も、僧堂がお世話になっている信者さんのお宅に棚経にまわっています。 私はというと、円…

第1323回「夢窓国師のおかげ」

禅宗は鎌倉幕府によって大事にされてきました。 日本に臨済の禅を伝えた栄西禅師も、九州で活躍なされていて、更に鎌倉幕府に迎えられたのでした。 北条政子に招かれて源…

第1322回「世界を見通す」

夢窓国師が後醍醐天皇の勅命で南禅寺に住されたのは、数え年で五十一歳の時でした。 正中二年一三二五年のことであります。 この年には、正中の変が起こっています。 こ…

第1321回「広い世界を我が寺とする」

「韜光晦跡」という言葉があります。 「韜光」は「光をかくして外に現さないこと。才徳をかくして外に現さないこと。」です。 「晦跡」は「あとをくらます。世間から身を…

第1320回「礼拝のよさ」

毎月開催している「布薩のすすめ」も好評で毎回多くの方がご参加くださっています。 これは体を使いますので、かなりの運動量であります。 体を動かすので、夏は汗をかき…

第1319回「根を抜く」

先日はじめ塾の茶畑で、ワラビを抜いているときに、気をつけていたのは、根から抜くということでした。 葉っぱだけをちぎっても仕方ありません。 すぐに根からまた生えて…

第1318回「死を思う」

八月になると死について考えることが多くなります。 なんといっても六日が広島原爆の日で、九日が長崎原爆の日です。 そして十五日が終戦記念日ですから、先の戦争で亡く…

第1317回「はじめ塾 夏の合宿 其の二」

先日はじめ塾の、夏の合宿に参加してきました。 午前中の作業を終えてお昼ご飯をいただきました。 お昼ご飯は畑で作った野菜を主にした精進料理でした。 はじめ塾では食…

第1316回「はじめ塾 夏の合宿 其の一」

はじめて、小田原にあるはじめ塾を訪ねたのは、二〇二二年の二月のことでした。 まだコロナ禍の最中で、マスクをしての訪問でありました。 初めて訪ねた時の感動は、二〇…

第1315回「夢窓国師の悟り」

二十九歳の夢窓国師は、鎌倉の万寿寺で仏国国師にお目にかかります。 問答をして、自分は本当に大安心の心境に達しなければ、再び仏国国師に見えることはしないと心に誓い…

第1330回「一休さん」

食べ物で苦手というものはほとんどありません。

長年修行道場で暮らしてきましたので、なんでもいただけるものは有り難く頂戴しています。

ただ禅僧の中でどうにも苦手と感じる方がいらっしゃいます。

それが一休さんです。

一休さんほど、その名が世に知られた禅僧はないでしょう。

臨済宗を日本に伝えた栄西禅師や、江戸時代に今日の臨済禅の礎を築いた白隠禅師よりも広く知られています。

子供でもその名前を
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第1329回「学び習う楽しさ」

『論語』のはじめに、「学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。」という有名な言葉があります。

岩波文庫の『論語』には、「学んでは適当な時期におさらいする、いかにも心嬉しいことだね。」と訳されています。

「学ぶ」というのは『広辞苑』で調べてみると、

「①まねてする。ならって行う。

②教えを受けて身に付ける。習得する。

③学問をする。勉強する。

④経験を通して身に付ける。わかる。」

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第1328回「イス坐禅の功徳」

東慶寺様にお招きいただいて、出張イス坐禅を行った明くる日は、毎月恒例となっている都内のイス坐禅の会でありました。

昨年の六月からはじめて早いもので、もう一年が過ぎたのであります。

いろいろの問題があって、果たして実際にできるのか、できたとしても継続できるのか、不安がたくさんありましたが、なんといっても多くの皆様にお越しいただいているので、継続できています。

始めた頃は、はたして人が集まるのか
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第1327回「イキイキとハツラツと」

五祖法演禅師は、禅の歴史の中でもとても重要な祖師であります。

『禅学大辞典』には、

「臨済宗楊岐派。
綿州(湖南省)の人。俗姓は鄧氏。

三五歳で出家受具し、成都(四川省)に往き、唯識を学び、南方に行き円照宗本に参じ、次いで浮山法遠に謁し、さらに白雲守端の提撕を受けてついに通徹し、その法を嗣いだ。」

と書かれています。

三十五歳で出家という、遅い出家であります。

唯識を学んで、それから禅
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第1326回「出張イス坐禅」

出張イス坐禅を行ってきました。

先日北鎌倉にある東慶寺様のご依頼で、イス坐禅の指導をしてまいりました。

東慶寺の今の和尚は、円覚寺の修行道場で長年修行された和尚であります。

熱心に毎日の管長日記も聞いてくださっているようであります。

管長日記を聞いてくれていると、当然イス坐禅についても十分ご存じなのです。

私がイス坐禅を始めるようになった経緯や、今どこでどのようなイス坐禅の会を行っている
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第1325回「夢窓国師の最期」

夢窓国師七一歲の四月八日、天龍寺に法堂をひらきました。

八月には、後醍醐天皇の七周忌を修しています。

七十二歳で天龍寺の住持を退いて、雲居庵にお入りになっています。

無極志禅師が天龍寺の二世となりました。

七十四歳の時、花園法皇が崩御されています。

七十六歳の二月、両太上皇后が受衣されます。

この年に足利直義と高師直の軍が戦い、観応の変がおこりました。

これは観応の擾乱ともいい、『広
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第1324回「夢窓国師の活躍」

八月のお盆には、棚経にまわる和尚様方が大勢いらっしゃいます。

円覚寺の修行僧も、僧堂がお世話になっている信者さんのお宅に棚経にまわっています。

私はというと、円覚寺の総代さんのお宅のみお参りしています。

円覚寺を出てすぐのところにあるので、てくてく歩いていくのですが、今年は日差しが強く、わずかな距離を歩くだけで汗が流れたものでした。

総代さんのお宅でお経をあげて、お茶をいただいていると、最
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第1323回「夢窓国師のおかげ」

禅宗は鎌倉幕府によって大事にされてきました。

日本に臨済の禅を伝えた栄西禅師も、九州で活躍なされていて、更に鎌倉幕府に迎えられたのでした。

北条政子に招かれて源頼朝公の一周忌の導師を務められています。

また鎌倉に寿福寺を開かれました。

そんな鎌倉とのご縁があって、二代将軍源頼家公が開基となって京の都に建仁寺を建てることができたのでした。

建仁寺が源の建てたお寺だというのは注目すべきことで
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第1322回「世界を見通す」

夢窓国師が後醍醐天皇の勅命で南禅寺に住されたのは、数え年で五十一歳の時でした。

正中二年一三二五年のことであります。

この年には、正中の変が起こっています。

これは、後醍醐天皇が北条高時を討って政権の回復を企てた政変のことです。

正中元年(1324)挙兵の計画がもれて日野資朝・俊基は捕らえられ、失敗します。

日野資朝は佐渡に配流されて殺されてしまいました。

後醍醐天皇はその意のないこと
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第1321回「広い世界を我が寺とする」

「韜光晦跡」という言葉があります。

「韜光」は「光をかくして外に現さないこと。才徳をかくして外に現さないこと。」です。

「晦跡」は「あとをくらます。世間から身をかくす。」ことです。

悟りを開いた夢窓国師は、そのあと、韜光晦跡の日々を送ります。

それは禅でいう「聖胎長養」にもあたります。

「聖胎」というのは、仏の種子を宿している神聖なる身体をいいます。

「聖胎長養」とは、師から認められて
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第1320回「礼拝のよさ」

毎月開催している「布薩のすすめ」も好評で毎回多くの方がご参加くださっています。

これは体を使いますので、かなりの運動量であります。

体を動かすので、夏は汗をかきますので、八月の布薩は空調の効いた信徒会館で行いました。

礼拝を全部で二十七回繰り返します。

二十七回の礼拝を繰り返しながら、はじめに仏様のお名前を唱えて、そして懺悔文を読み、三帰依を唱え、三聚浄戒、十善戒を唱えます。

最後に四弘
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第1319回「根を抜く」

先日はじめ塾の茶畑で、ワラビを抜いているときに、気をつけていたのは、根から抜くということでした。

葉っぱだけをちぎっても仕方ありません。

すぐに根からまた生えてきます。

根がどこにあるのかを探って、その根を抜くことが大事であります。

そんな作業を繰り返していました。

寺にいても、よく蔦や蔓がはびこってしまうのが、気になります。

蔦がよい景色や、日よけになることもありますが、あまりに茂っ
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第1318回「死を思う」

八月になると死について考えることが多くなります。

なんといっても六日が広島原爆の日で、九日が長崎原爆の日です。

そして十五日が終戦記念日ですから、先の戦争で亡くなった多くの御霊のために祈りを捧げます。

それに仏教のお盆が重なります。

もともとは七月十五日ですが一月遅れの八月十五日にお盆の行事を行うことが多いのです。

ご先祖の御霊を供養する時でもあります。

亡くなった御霊が帰ってくるのだ
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第1317回「はじめ塾 夏の合宿 其の二」

先日はじめ塾の、夏の合宿に参加してきました。

午前中の作業を終えてお昼ご飯をいただきました。

お昼ご飯は畑で作った野菜を主にした精進料理でした。

はじめ塾では食事を大切にしているとうかがっていましたが、前回訪ねたときにはコロナ禍で食事はできなかったので、今回楽しみにしていました。

いただくと、これがまた実においしいのであります

はじめ塾では「人は台所で育つ」という言葉を大事にされていて、
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第1316回「はじめ塾 夏の合宿 其の一」

はじめて、小田原にあるはじめ塾を訪ねたのは、二〇二二年の二月のことでした。

まだコロナ禍の最中で、マスクをしての訪問でありました。

初めて訪ねた時の感動は、二〇二二年二月十日の管長日記で、

「涙ぐましいまで清められる感動の一日 – はじめ塾を訪ねて」と題して書いています。

そこには、はじめ塾のついて、

「ただいまのはじめ塾は、十五名の中学生高校生が寄宿生活をしています。

そのほかにも小
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第1315回「夢窓国師の悟り」

二十九歳の夢窓国師は、鎌倉の万寿寺で仏国国師にお目にかかります。

問答をして、自分は本当に大安心の心境に達しなければ、再び仏国国師に見えることはしないと心に誓いました。

そして鎌倉を離れて奥州の白鳥に向かいます。

道友の誘いによるものでありました。

三十歳になって白鳥を離れて、内草山に入ります。

ここに一年ほど留まっています。

ある日の夕方、夢窓国師が炉端に坐っていると、突然火焰が薪か
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