第1328回「イス坐禅の功徳」

東慶寺様にお招きいただいて、出張イス坐禅を行った明くる日は、毎月恒例となっている都内のイス坐禅の会でありました。

昨年の六月からはじめて早いもので、もう一年が過ぎたのであります。

いろいろの問題があって、果たして実際にできるのか、できたとしても継続できるのか、不安がたくさんありましたが、なんといっても多くの皆様にお越しいただいているので、継続できています。

始めた頃は、はたして人が集まるのか不安でしたが、どうにかお集まりくださったのでした。

坐禅というと、お寺で畳の上で、座布団に坐って足を組んで行うものでありますから、こんな都内の会議室で、イスしかない部屋で、人は来るのか、来てくれてもがっかりして終わりではないかと思ったのでした。

それが、思った以上に好評でありまして継続しています。

それから更に有り難いことに、三十名では、すぐに満席になるとかで、なかなか予約が取れないという声があって、先月から五十名に増やして大きな部屋にして開催しています。

それでも皆様お集まりくださっています。

なんとも有り難いことなのです。

始めた私自身が驚いています。

また自分自身新たな可能性を発見することができました。

当たり前といえば当たり前なのですが、禅は、どこでもできるものであります。

昔の禅僧たちの暮らしに近いところで修行しようというのが、私たちが普段行っているものです。

しかし、現代の暮らしの中にも禅は実践できるはずなのであります。

ただ実際にどうすればよいのか具体的に指導する方法がありませんでした。

そこで、イスで坐るにはどうしたらよいのか、あれこれと工夫を重ねてきたのでした。

ただイスの上に坐るだけのことですが、これがただ坐るだけでは、待合室で坐っているのと同じようなもので、それで坐禅になるかというと難しいのです。

やはり姿勢を調えないといけません。

畳の上で坐る坐禅の場合は、足を組むだけで、坐禅になります。

少なくとも坐禅をしたような気になれます。

しかし、イスの上で坐るには、なかなか坐禅にならないのであります。

そこで今まで長年学んできたことを駆使して、あれこれ工夫して、肩や首を楽にほぐして、足の裏もよく刺激して、呼吸筋も調整して、腰を立てるように考え出したのでした。

毎回毎回、次のイス坐禅ではどうすればよいか、工夫していますので、我ながら毎回進化しているように思っているのです。

今回もかなり遠方の方もお見えくださっていました。

僧侶の方もいらっしゃいました。

関西方面からお見えになったお坊さんもいらっしゃって、お声をかけると、以前にお手紙をいただいたお寺の方でありました。

直接お目にかかるのは初めてでした。

上京する御用があって、ちょうどイス坐禅の日になったので、参加してくださったのでした。

毎日のYouTubeラジオ管長日記も聞いてくださっているようでうれしく感謝しました。

それからホトカミの吉田亮さんもお越しくださっていました。

吉田さんはいつも終わるとすぐにご自身のnoteに投稿してくださっています。

今回も新たな気づきがあったようで、何よりであります。

また、このイス坐禅ではアンケートを毎回書いてもらっていますので、みなさんの感想がよくわかります。

毎回初めての方もいらっしゃいますが、続けて参加される方が大半なのです。

ある方の感想に二回目らしいのですが、前回初めて参加したとき、ストレッチなどの体操のあと、まるで何事もなかったかのようにすーっと坐禅に入ることができて、その心地よさが忘れられずもう一回参加したのだということでした。

身体がすっかりほぐれ心地よく坐ることができたという感想が多くございます。

また足を組む坐禅よりも自分の心、体をみつめることができたという感想もありました。

もっとも足を組む坐禅がしっかり安定していいのは間違いないのですが、慣れないと足を組むこと、足の痛みに耐えることばかりに意識がいってしまいがちなのです。

初めて参加された方に「思っていたイス坐禅とは違い、体、心、共に元気になったようにおもいます」という感想もありました。

これはひとえに体をほぐす体操に長い時間をかけているからでありましょう。

「心地よい」という感想がおおいのですが、「これまで感じたことのない心地よい時間を過ごせた」というお言葉もいただきました。

体がほどけると心もほどけるということを初めて体感したという方もいらっしゃいました。

何度も参加してくださっている方からは「毎回違うことを学べる」という感想もございました。

基本は同じなのですが、どうしたらよいか、毎回工夫しています。

半眼のコツをはじめて知ったという感想もありました。

今回は、目をゆるめて半眼にするという方法も行ってみたのでした。

ほぼ毎回ご参加くださっている方も「ひとりではどうしても手を抜いてしまいがちですが、月に一度こうしてみんなと体を調える時間が本当に幸せです」という感想をくださいました。

これはまさにその通りなのであります。

簡単な動きとイスで坐るだけですので、いつでもどこでもご自宅でもひとりでもできるのです。

しかし、やはり一人でやると、どうしても簡単にすませてしまいます。

みんなで行うという良さはあるものです。

おそらく多くの方がそう感じていらっしゃるから、毎回のように参加してくださっているのだと思います。

今の時代のサンガだと思い、通い続けたいというお言葉もございました。

有り難いお言葉であります。

どうなるか心配しながら始めたイス坐禅ですが、思った以上の反響で、こちらが大いに学ばせてもらっています。

なかには、「森の中、深い森の中に入って空気と一体になったような感じがした」という感想もありました。

これはまさに私の目指していた会議室でのイス坐禅なのであります。

庭もない、草も木もない部屋ですが、森になるのであります。

参加された一人一人が自然と樹木になっているのです。

その中に自分も溶け込んでゆくことができるのです。

それから「イス坐禅のおかげでぐっすり眠れる」という感想もいただきました。

体調も気分もよくなるというのです。

これは私自身も感じていることです。

昼間あれこれ仕事に追われ、夜遅くまでやっていると普通なら疲れるのですが、イス坐禅は、指導している私自身が実にふかくくつろげるのです。

睡眠も深くなるのです。

ですからこれは疲れないのであります。

坐禅の功徳などは説くものではないのですが、自然とよい功徳を皆さんが感じてくれています。

それから、毎回お手伝いしてくださっている方からは「坐禅が終わった後老師がとても良いお顔をされていて、指導者自身が坐禅を楽しんでいるとその波動が波のように伝わっていくんだなと思いました」というお声を頂戴しました。

これはまさにその通り、教える者が一番よく学べるのであります。

いろんな方がイス坐禅に参加して喜んでくださっているのですが、イス坐禅の功徳を一番いただいているのは開催している私自身だと思っています。
 
 
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺

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