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『小さなことばたちの辞書』(毎日読書メモ(490))

ピップ・ウィリアムズ『小さなことばたちの辞書』(最所篤子訳、小学館)を読んだ。ずっしりとした読み応え。読みにくい内容ではなかったが、噛みしめながら喜び、悲しみ、怒りつつ読み進める。
この本の存在を知ったのは例によって新聞の書評欄。犬塚元さんの選ぶ本が結構好きなのかもしれない(前はアキラ・ミズバヤシ『壊れた魂』を、書評欄をきっかけに読んだ)。

物語は、エズメ・ニコルという女性の生涯。その生涯を、オックスフォード英語辞典(OED)の編纂の過程と並行して語る。1857年に編纂が開始されたOEDは、1884年に未製本の分冊版が発行され始め(分冊は最終的に125冊に及んだ)、1928年に全12巻に製本された完全版が再発行される。エズメは1882年生まれ、OEDの編纂作業と共に育つ。

エズメの父ハリーは辞典編纂者の一人として、編集主幹のジェームズ・マレー(この人は実在の人物)の元、編纂作業に従事。エズメが小さいうちに、母リリーが亡くなってしまったので、ハリーは編纂作業を行っている、マレー博士の家の庭にあるスクリプトリウム(写字室)という小屋にエズメを連れて行き、エズメは作業台の足元で育つ。マレー家の女中のリジ―にも面倒を見て貰いつつ、スクリプトリウムにある英単語の用例カードに触れながら育つエズメだが、はがきサイズの用例カードの逸失の現場に立ち会ったり、エズメのせいでカードがなくなったと編纂者から責められたりする経験もする。
父親の足元で育つのは教育環境としてふさわしくないと言われ、寄宿学校に送られるが、そこで辛い経験をしたエズメはすぐにスクリプトリウムに戻り、そこで父やマレー博士の手伝いをして暮らすようになる。
その後の物語は殆どスクリプトリウムと、お使いに行くオックスフォード大学出版局、そしてオックスフォードの街中で進む。
その中で、エズメは、OEDに取り上げられない、生きた女性の言葉を探すことに目覚め、その経緯の中で女性参政権運動にも関わっていくことになる。OEDに掲載される言葉は、出典のはっきりした、書き言葉として記録の残っている単語ばかりだが、エズメは、自分で、女性の言葉たち(多くがしゃべり言葉で、卑語も多く含まれる)を用例カードに書き留め、それを、迷子のことば辞典、と名付けたリジ―の部屋のトランクに収めていく。

サフラジェット、って、ポール・マッカートニーの「Jet!」という曲の中に出てくる言葉だが、この小説の中で、生きたサフラジェットを初めて見た感じ。作者ピップ・ウィリアムズはオーストラリアの小説家だそうだが、そのオーストラリアが、女性参政権を初めて認めた国(1894年)だったことが、この物語の伏線として、深くエズメと読者の心に響く。
そしてエズメの集めた単語たちを美しい活字本に組んだ活版工の物語を読み、ほしおさなえ『活版印刷三日月堂』シリーズを思い出したり、言葉というもの、書籍というものについて、ずっとずっと考え続ける読書。
OEDの編纂作業には、エズメという架空の存在以外、マレー博士の家族や、編集協力者であるイ―ディス・トンプソンという歴史家(実在の人物)など、多くの女性も関与しているが、歴史上、OEDはまるで男社会の象徴として成立したかのようになっている。19世紀末~第1次世界大戦時の、階級社会、男女差別、さまざまな生きにくさと、それをはねつけようとする力強い生き方が、ページの中で躍る。押さえつけられたままではいない、という力強さを感じさせるメイベルやティルダと言った登場人物の生き方が、エズメに大きく影響を与える様子もまた、この小説の読ませどころだ。そして、生涯マレー家の女中として生きる中で、常識的な物言いしかしないのに、エズメの生きる指針を指示してくれるリジ―、彼女が影の主役かもしれない。

巻末に掲載されたスクリプトリウム(スクリッピ―)の写真を見て、OEDのかげの、多くの人の人生を思う。


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