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伊坂幸太郎『ペッパーズ・ゴースト』(毎日読書メモ(396))

ようやく順番の回ってきた、伊坂幸太郎『ペッパーズ・ゴースト』(朝日新聞出版)を読む。書き下ろし作品。充実の読書。

図書館の本だが、元々本に挟み込んであったと思われるハガキを見返しに貼りつけてあった。自分が気になることを、良いことも悪いこともすべて盛り込んで、構築した小説ってことなのかな。そして、大きな主題はニーチェ。ニーチェはわからないな、読んだことないし、と思って読み進め、登場人物たちも、わからないと思いながら断片的に、ニーチェのことを考えている。
『ツァラトゥストラはかく語りき』からの引用で

この世界の嘆きは深い、
喜びのほうが、深い悩みよりも深い。
嘆きが言う。「消えろ!」と。
だがすべての喜びが永遠をほしがっている。

『ペッパーズ・ゴースト』p.376

登場人物たちのうちの一群は、人生に絶望していて、人生は同じことが回帰する、というニーチェの永遠回帰の考え方をどう転回すれば人生を喜びに変えられるのか、もがいている。そこに向かっての仲間たちの闘争が、この小説の大きな中軸になっているのだが、それは小説の導入部では明らかにされていない。

舞台は未来で、飛沫感染によるパンデミックが収束したずっと後の時代なのだが、主人公の「檀先生」は人の飛沫を受けると、その人の未来の映像が見える、という「先行上映」と名付けた超能力(?)を持っている。
檀先生の教え子が、自分で書いた小説を先生のところに持ってくるのだが、その小説では猫を虐待した動画を撮った人、それに賛同した人を突き止めてその人が猫にしたのと同じことをやり返す「アメショー」「ロシアンブル」という必殺仕事人みたいな人たち(これまでの伊坂幸太郎小説によく出てきた殺し屋的な?、でも殺人の場面はない)の仕返し譚がどんどん出てくるのだが、途中から檀先生のいる世界とアメショー、ロシアンブルの世界が絡まり合ってきて、ばりばりのメタフィクションになっていく。そこに、前述のニーチェにすがりながら世界への報復的なことを企てる人たちが絡んできて、檀先生の超能力と、アメショー、ロシアンブルの世間離れした不思議な力で、テロを未然に防ごうとする闘い(闘いなのか?)が繰り広げられる。

状況は何をしても詰んで、詰んで、という、これどうやったら収束するの、と読んでいて絶望的な気持ちになる袋小路の連続で、え、その状況を脱出してもまた一難かい、という、苦しくて痛い状況。
(伊坂幸太郎の小説は、いつもながら本当に「痛い」!)
登場人物たちの絶望的な気持ちとシンクロすると、どーんと落ち込みそうなのに、全体のトーンは明るく(アメショーとロシアンブルの力か)、敵のような立場の人から檀先生が長年抱えていた苦しみを解決する糸口を示唆されたり、上記のニーチェの引用から「人生で魂が震えるほどの幸福があったなら、それだけで、そのために永遠の人生が必要だったんだと感じることができる」と、永遠回帰を肯定的に解釈する糸口を与えられたりする。

この小説が終わるところで、登場人物たちは、みんな少しずつ前よりも幸せなところにいるような感じがする。それが、伊坂幸太郎の小説が人々に支持される由縁なのかな。

ニーチェ以外のキーワードは、野球(屋根のない後楽園球場で青空のもと野球観戦する光景が印象的)、谷崎潤一郎『痴人の愛』、カンフー、マンクス(尻尾のない猫)、クラッカーロープ、プライベート・ジェットといったところかな。あとはタイトルのペッパーズ・ゴーストか。


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