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毎日読書メモ(61)『52ヘルツのクジラたち』についてもう少し考えてみる

昨日に続き、町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』(中央公論新社)について考えてみる。

とりあえず、自分が書いた、『流浪の月』の感想を読み返してみた。精神的に健全とか不健全とか、線引きは難しいし、自分から見ておかしい、と思える人が、社会的には立派な人だと思われていることもある。そんな経験は誰にでもあるのではないかと思う。逆に、多くの人からヤバい人と思われている人が、誰かにとっての救いになる場合もある。そうした光景が、小説の素材になり、多くの読者を惹きつける。

自分とは違う価値観に触れ、考え、心動かされる。それが読書の力だ。この暑い真夏に、突如大分の田舎の古い家に移り住み、内装をいじりながら、特に仕事もしないで暮らしている貴瑚の物語に、汗をかきながら入っていく。ド田舎で、ひっそり暮らそうと思っているのに、意外と周囲の眼が光っていることを知り、ぞっとする若い娘の姿に「当たり前じゃん」と心の中で話しかけてしまう。情景描写のあまりない小説で、周囲の光景があまり見えてこず、観念的に貴瑚が感じていることだけが正面に出る感じで物語は進む。

これでもかとばかりに展開する悲惨な物語、一瞬の救い、それがどうやってまた崩壊したのか。貴瑚をキナコと呼び、毒家族から救い出してくれたアンさんに何があったのか。

キナコとアンさんの出会いのきっかけとなった美晴(貴瑚の高校時代の同級生)は、登場機会は多いのに、キャラが今一つ立っておらず、存在が弱い。しかし、物語は美晴の登場によって進む。偶然出会って、貴瑚が、その不幸な境遇からなんとしても救い出してあげなくてはと思う、口のきけない少年(親にムシと呼ばれ、それはあんまりだということで52という通り名をつける)、この少年の生まれ育ちについて解き明かされる過程で、貴瑚も、自分と母親との向かい方について改めて考える。親によって、承認欲求を満たしてもらえなかった子ども時代を送ってきたことの苦悩が、ずっと後を引くことを物語は描く。キナコの過去と、52の過去が物語の二本の柱となり、物語の中の現在、海辺にクジラがやってくるシーンで融合する。

その後のまとめが、ちょっと綺麗ごとになりすぎているきらいがあるが、ここで救いを持ってこなかったら、読者は絶望の中に取り残されてしまうかな。

同じ機能不全の家族がベースにある小説でも、瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』は、悲惨という印象を持つ人はあまりいなかったと思う。『52ヘルツのクジラたち』は、作者が、救いの手を差し伸べてあげないと終わらない、そういう小説だったような印象。

読ませる小説であったが、そうか、本屋さんはこういう小説をお客さんに届けたいと思っているんだ、という印象は昨年の『流浪の月』と同様。

本屋大賞については、また少し考えてみます。

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