『「死にたい」「消えたい」と思ったことがあるあなたへ (14歳の世渡り術) 』(毎日読書メモ(313))
検索窓に「死にたい」とか「消えたい」とか「希死念慮」とか入れると、「こころの健康相談統一ダイヤル」の電話番号が一番最初に出てくる。それだけ、つぶやくように「死にたい」「消えたい」って言う人が沢山いるということなのか。そんな番号が表示されるのを見てはっとする人が一人でも多くいれば、それは意味のあることなのだろう。
しばらく前に、若者の希死念慮についての新聞記事があって、その中で『「死にたい」「消えたい」と思ったことがあるあなたへ (14歳の世渡り術) 』(河出書房新社・編)という本について触れられていたので、読んでみた。
25人の人が、「死にたい」「消えたい」という気持ち、或いはその周辺にあるものについて語ったり表現したりしている。前書きで、編集部の方は、「この本に書かれている『死にたい』『消えたい』という気持ちに対する考えや対処法は、どんな人にも効き目がある魔法の薬ではありません。また、執筆者の方とは正反対の考えをもっている方もいるかもしれません。『共感できるかも』『自分に合っているかも』と思ったところだけを心に留めてみるというのもいいかもしれません」としている。
死生観方面に振っている文章もある。「死にたい」というのは、死を、今置かれた状況よりよい状態になる、という期待による場合があるが、死後の世界が今よりいいかどうかは誰にもわからないのに、今急いで死ぬことはないのではないだろうか、という考え方。逆に、死は終わりではなく、連綿と続く何かの途中でしかない、という考え方(磯野真穂さんの挙げた『ド・カモ メラネシア世界の人格と神話』という本が気になるが、近所の図書館にはなさそうだ…)。
「死にたい」と口にすることは、誰かにそれを伝えたいと思っているからだ、という考え方。
自らを殺すことは、実際には、自分を知っている人の一部を殺すということだ、という考え方。
死にたいのではなく消えたい、と思うこと。
自分ではない他者にとっての「善」に押しつぶされてはいけないということ。許せないことは許さなくていい、と思っていた方がいいこと。
誰かに否定されたとしても、別の誰かが肯定してくれることもある、と気づいてほしいこと。
逃げること。休むこと。逃げ道を自分で見つけられないときに、助けてくれる人を見つけること。
自己肯定感を育てる、というのは、自分を好きになる、というのとは違う、という水島広子さんの文章に驚かされた。
人によってアプローチは違うし、言っていることもばらばらだから、すべての人の言うことをうんうんと聞く必要はない本だが、でも、どの人も、魂の自由を失ってはいけない、失わないために自分を大切にする、ということを言っているように感じた。
人生は葛藤だらけで、難問だらけで、大きくなっても、年を取っても、悟ることも出来ず、なんだか苦しいことが多い気もするけれど、無理の上限(下限かな?)をよく認識して、自分をよく見つめて生きていくことが大切なのではないかと。色んな人がすごくいいことを言ってくれているのをすごくありきたりなまとめ方をしてしまって情けないが、とりあえず、明日まで生きて、明日になったらまたその次の日まで生きて、そうやって少しずつ長生きできるといいのかな、と。
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