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山崎ナオコーラ『母ではなくて、親になる』(毎日読書メモ(315))

ヨシタケシンスケの表紙そして挿画が実に愛らしい、山崎ナオコーラ『母ではなくて、親になる』(河出書房新社、現在は河出文庫)を読んだ。読んだきっかけは、先日読んだ花田菜々子『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』の巻末の「子どもとの関係性や家族問題について考えるための13冊」というブックリストの中に入っていたこと。
作家山崎ナオコーラが、書店員の男性と結婚し、一家の大黒柱として作家活動をしながら、出産・育児を目指す過程を描く。プロフィールに「性別非公表」と書き、創作家、生活者としてのジェンダーフリーを強く主張している方なので、子どもを持つにあたっても、自分は母になるのでなく、「親」になるのである、ということを強く意識し、新たな家族を迎えるにあたっての心構えを色々書き連ねている。
自分のそれまでの生き方を反映させるように、世間一般の常識に迎合しないで自分の筋を通して、子どもと向き合い、夫とともに育てていく。別にそれを人に押し付ける気は毛頭ないし、人が自分と違った方針を持ち、違った選択をすることを許容しないということではない。

3ヶ月くらい前に、松田青子『自分で名付ける』(集英社)を読んだときは(感想ここ)、作者の妊娠・出産の体験談を読んでいて、井戸端会議をするように、あ、わたしはこんなだったあんなだった、と作者に話しかけたくなるような感じがすごくあった。この、『母ではなくて、親になる』は、あまり、わたしはこうだったんだよ、とか、こう思ったとか、こんなこだわりがあるんだよ、とか自分の出張を訴えかけたくなるような感じがあまりなかった(いや、そもそも作者には届きませんが)。山崎ナオコーラが、仕事をする、子どもを見つめる、かわいがる、社会について考える、その一つ一つの道筋を聞いて、うん、うん、とうなずく感じ。本の前に正座して、ご意見を拝聴します、というような。
山崎さんは良いご家族に恵まれ、お互いがお互いを尊重し、相手を苦しめたりしないように、育児に臨めているのもよく伝わってくる。
この本に出てくる赤ちゃんは1歳までなので、まだ、本人が知性や言語をもって主張してくる段階にない。この先、どんな子どもになり、親のこだわりや願いをどんな形で受けとめるようになるのかも気になる。
保育が必要な状況、どちらの親も100点満点だったのに、保育園の入園選考に全滅する(保育園に入れるひとは加点があって、110点とか120点とかの人だそうだ)という驚き。

途中で作者本人が気づくように、作者は育児ではそんなに悩んだり苦しんだりしていない。それよりは、書き続けることに迷いはないのに、現実問題として、自分の作品がデビュー当時より売れなくなっていること、それに伴う生活不安(といっても、書店員の夫よりはずっと収入が多い)について思い悩んでいることが多い。このエッセイの途中で、5回目の芥川賞候補になって、賞を取れなかったというエピソードが出てきて、「このままだとわたしの代表作は『人のセックスを笑うな』(デビュー作)になってしまう、と書いているところで、ほんそれ!、と思った。わたし自身、山崎ナオコーラの作品は『人のセックスを笑うな』と『カツラ美容室別室』しか読まないまま、長く手に取ることがなく(芥川賞候補、という感じの淡々とした小説という印象だった)、『肉体のジェンダーを笑うな』で久々に読んでみたらその過激さに驚き(感想ここ)、今になって慌てて旧作を探しては読んでいるところである。

子どもの成長と共に親がどのように変わっていくのか、その姿を続けて読んでいければな、と思う。親のこだわりが強すぎると、子どもは反発したり、親の見ていないところで親の望まない行動をとったりするだろう。そのことも山崎さんは織り込み済だから、どんな風に塩梅を取るのか、そんなところが気になる。
相手を尊重し、かつ、自分の筋を通すこと。そんな人間関係の姿を、この本の中で重ねて感じ取った。
折りに触れて、自分が読んできた本から得られた知見が紹介されているのも愉しかった。飲み物のように本を吸収して、何かに悩んだり困ったりしたときに引き出されてくる。それもまた読書の醍醐味。

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