死んだ人の話が聞きたい

なにを言っても、なにをしても、なにを考えても、無駄だ。
原爆も医大入試も、ばかみたい。


この記事は今日の話です。
ダッハウ強制収容所のメモリアルミュージアムに行きました。



ドヤ顔で語るのもばかばかしいですが、魂のやり場がないので書きます。

無駄なんですよ。
世の中とか、社会とか。

自分の欲のままに、マズロー的にいうと3大欲求みたして、
「差別とかどうでもいいから、自分のことだけ考えて、規律とか倫理とかしらないから、ルールとか法律とか、ないから」
って気概で生きた方が、なんか、人間としてまっとうというか、本質なんじゃないか、なんて。

好き放題、ものを盗んで、他人を傷つけて、おおよそ許されないであろうことをしたって。
日本ならどうせ、そんなふうに生きても刑務所に行くだけです。

刑務所は、網走監獄の博物館以外は入ったことはないけど、どうせ精神科閉鎖病棟の保護室みたいなもんです。
他人と手紙のやりとりができるなら、むしろ閉鎖病棟より待遇はいいです。
相当やばいと思われて精神鑑定とかされるとしても、精神科の措置入院でもたくさんのテストを受けさせられるから。

地位とか名誉とか、どうでもいいから

お金を稼ぐのが好きな人たち、安定とかより良い世界とかに希望をもてる人たち、みんな勝手にがんばって。
資本主義とか社会主義とか、そういう仮面の全体主義を成り立たせるために。刑務所を成り立たせるために。

全体主義になんて迎合できなくていいって、亀井勝一郎も言ってるから、いや、誰かが言ってるからとかじゃないけど、とにかくわたしは無理だから。

意味なんて、ないから。

世のため人のためとか、立派だし、まねできないけど、ばかばかしくない?
どうせ人は人を殺すし、いつか滅びるんです。

ほかの強制収容所だけど、生き延びたヴィクトール・フランクル。
すごいと思うし、考え方は好きだし、敬愛してるけど、今日はどうしても
「おれは耐えたけど?」って言われてる気分になった。

受験のとき読んだフランクルの話で、すごく気に入って覚えたフレーズがある。

Man's main concern is not to gain a pleasure , or to avoid a pain,but to see a meaning in our life.
That is why we are even ready to suffer, on the condition, to be sure, that our suffering has a meaning.


すごく身に染みたけど、なんか、そうまでして、無理やりポジティブになってまで、生きる価値なんてあるの?この世界に。
今はそんな気分です。

わたしがフランクルだったら、負けて諦めて死んでたと思うし、もしがんばって生き延びられても、解放されたあとの突然の自由に適応できずに死んだだろうし、死ななくても死んだも同然になってたと思う。
あんなに偉大には、ぜったいなれない。

そもそも生き残った人たちって、すごく偉大だし、称えるべきだとおもうけど、強すぎてこわい。

だから生きてる人じゃなくて死んだ人の話が聞きたいんだ。
あんな環境じゃあ、ふと気を抜いたらきっとみんな死んでたんですよ。

それでも死ななかった人の話しか聞けない。
そのときに、もういいや、って思ってふと死を受け入れて、死んだ。そんな人の話が聞きたいんだわたしは。

無理だけど。

朗代、あなたはどうして死んだの。

賢くて、負けん気が強くて、みんなのこと考えられる、そんなあなたが大好きだったよ。



だからこそ、もしわたしがこれからまた死のうとしたとして、ほんとうに死んだときのために、書き続けようと思った。
生きる意味なんてくそだけど、あるとしたら、それくらいだ。
意味への意志とは、それくらいくだらない。

死んでないのに語れることなんて、あるもんか。



それでも、もし。
わたしが今後、そんなふうに、どういう意味でかはわからないけど、奇跡の生還者みたいに扱われることがあったとして

死なないですんだ経緯とか、語りたくない
それより、死んでも仕方なかったと、認めたい

できる人が、できない人にむかって、できるはずって言うのは、ちがうから

おかしいから







夜中に虫に噛まれて血が出るのは最悪だしウォシュレットほしいし湯船にもつかりたいし
人間の尊厳を保つためにはわたしも全体主義に加担しないといけないのかな
灰色の人間になんてなりたくないよ





ドイツのいいところは、歴史をオープンにして、なかったことにしないところ。
日本にいたら歴史なんて、ただの受験科目だった。
知ろうとすれば知れるかもしれないけど、少なくともわたしはぜんぜん知らない。

ただ。
知るにしても、むやみに知ったら。
こういうことがあった、でもぜったいだめ、なんて言っても。その史実の概念さえないのにそれを教えてしまったら。
おそろしいよ


「ひざ曲げるな」よりも「ひざ伸ばせ」のほうがわかりやすいんです。
「走るな」よりも「歩いて」なんです。

じゃあどうすればいいのかって、そんなの知るか。

There is no world that worth living.




人類なんて滅べばいいのにね、って気持ちです






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