見出し画像

僕の中の壊れていない部分/白石一文(2)

感想文を書くためにパラパラと再読しているわけですが、やっぱりすごい本だなあと思います。
だって、直人にも枝里子にも雷太にもほのかにも、大西夫人にも朋子にも拓也にも寺内にもパクイルゴンにも、どこかで共感できてしまうから。
共感というよりかは、私の中に彼らがみんな住んでいるかのような、そんな錯覚を起こす。そう感じるように、誰もが共感してしまうように書かれているのかな、なんて思ったりもするけれど、私はまだまだ選民思想を抜け出せていないので、「賢そうな登場人物に似ている私」とか「賢くはなさそうな人物にも肩入れするだけの想像力のある私」なんかを自分の中に見出して悦に入ってしまう。

直人は主人公だからやっぱり心理描写も多いし長々とした発言もたくさんあって、いちばん感情移入してしまう。なんでもこねくり回して考えてしまって疲れて自暴自棄になって、そんなのほんとうにばっかみたい!って思うし、お腹の中には新鮮で扱いづらい感情をたくさんたくさん煮えたぎらせているくせに感情なんてないみたいな顔して生きてるそんな態度が気にくわない、とも思う。でも外での私の態度ってほとんどそういうやつじゃん?とかも思うからやっぱり直人はかわいい。いやなやつだけど、一所懸命に生きてるのがひしひしと伝わってくるからどうしても擁護したくなってしまいます。あとすぐに文献を引用しちゃうのも、いじらしくて好きです。実際付き合ったらハイパーめんどくさそうだけど。

枝里子は大人の女性だなあと感じます。いや、そうでもない部分もたくさんあるんだけど、結局は直人を手なづけてしまうし、イライラしてもおかしくないような場面で「はいはいわかったわかった、いいですよー」みたいにできるのは育ちが良いからってだけじゃなくて、その美貌ゆえにモテてきたから、っていうのもあるんじゃないかなあ、なんて考えてしまいます。

それでも枝里子の発言と過去の私の発言に共通点をいくつかみつけることができて、ちょっとかなりだいぶ嬉しいので、二つほど紹介します。
一つ目は「元カレ」という呼び方を嫌うこと。本文の表記では「モト彼」ですが、どっちも同じように品がないなあと、私は感じます。なんなんでしょう、モトカレ、という響きがどうも私は受け入れられないようです。そもそも付き合っている男性のことを「彼氏」と呼ぶことも何となく抵抗があります。彼氏って響きに慣れていないのかもしれません。もう26歳なのに?!はい。
「モトカレ」という単語が似合うのはleccaくらいではないでしょうか。高校生の時に怪我をして国のリハビリ施設に通っていたとき、フットサルのおじさんが推していたのをきっかけに聴くようになったとかいう私の可愛すぎるエピソードでした。紅空とか好きでした、懐かしすぎる。
戻ります。
でもそうなると彼氏のことを知人に話すとき困りますよね、どんな呼称がいいか全然わからなかった頃は私も大人ぶって「彼が〜」とか言ってましたけど、なんかそれもそれで「彼」ってなんだよ、heかよ、みたいにごちゃごちゃしてしまっていました。私は日常生活で知人男性のことも「あの人」とか「あの方」と同じように「彼」って呼んだりするので、やっぱり付き合っている人のことを「彼」はしっくりきませんでした。
「彼」呼びはもっともっと大人にならないと似合わないのかな、とも思いますが女子大生が大人ぶって「うちの彼さ〜」とか言ってるのを想像すると微笑ましいので過去の私も可愛かったということにしておきます。「彼ピッピ」とかいう呼び方も一周まわってかわいいです。本命っぽくなさはすごいけど、照れちゃってるのかな〜っていうのが伝わってきていいですね。
まあそんなこんなで最近は「今付き合ってる人」とか「恋人」って表記したり呼んだりすることが増えました。色々と誤解がなくて今のところ好きな人の呼称としてはベストを発見できたのではないかな〜と思っています。はやめに「旦那」って言えるようになりたいところですけどね!私の未来の旦那さま〜どっかに目印を〜つけーて、って!

長くなりましたが、二つ目のご紹介です。
それは

「やっぱり女は、本業に精出すと違ってくるのよね」
 一度しみじみ言うので、「なんなの本業って」と聞き返すと、
「馬鹿ね、男に決まってるでしょ」

というところです。
私も半年ほど前にやたらと単発の副業もどきが舞い込んできた時、Twitterで「今月は副業月間〜〜、でもそもそも私が今やってることなんて全部副業みたいなもんだわ、じゃあ私の本業ってなんですか?恋愛?!?!」みたいなことを呟いた覚えがあります。
ほんとうにほんとうにほんとうに、女の本業は色恋なんじゃないかなあと、私も感じるのです。誤解を恐れずに言いますが、女性はやっぱり愛されているという確証があるとないとでは全然パフォーマンスが違ってくるなあと思うのです。男がどの程度だかはわからないけれど、女性は安心できていないと何事もいい方向に進みづらいような気がしています。私も、私の周りの女性も、女の子も、みんな。
だから世の男性陣は女性を愛そうね!大事に仕方がわからないなら女性作家の小説でも読めばいいんじゃないかな!あとはハフポストさんの記事とか!仕方ないからモテマニュアル本なんかでも許してあげるから、とにかくセクハラなんてしてる暇があったら「いつもがんばってるね〜!」って5億回言ってください!主に私に向かって!!!!!

疲れてきましたが、どうしても書きたいことがあるのでもう少し続きます。
直人が枝里子の言葉に勝手にキレて「とっとと消え失せてしまえ」と毒づく場面があるんです。それが私にはどうしてもどうしても苦しくて。
この場面は100%直人が悪いし、枝里子は災難だなあとも思うのですが、それでもなぜか直人の肩も持ちたくなってしまいます。
直人が自分の感情を処理できなくてどうしようもなくなって、枝里子に批判めいた口調で意見をするんですね、そうしているうちに枝里子はしょんぼりと、「いたたまれないような表情」になって、それを直人は「隠微な暴力」と感じてしまって、また激昂してしまう。枝里子はなんとか作った歪んだ微笑で「私、先に行くね」と言って、とってもがんばって大人になろうとしているのに直人はあろうことか先ほどのセリフを枝里子の背中に投げつけるのです。サイッテー!って感じですけど、私にもきっとそういう面があって、ほんとうに感情の処理が追いつかないと乱暴な物言いをしてしまって、それに対して悲しい表情なんてされるとそれはそれで強く非難されているような気になってしまって、泣きたくなりながらもトゲトゲした言葉を吐くしかなくなってしまったり、そういう自分がすごく気持ち悪いなって思ってるけど、それを認識しているからこそ「息を詰めて、胸の中に押し寄せてくる不安と後悔に耐えながら」でも「とっとと消え失せてしまえ」なんて暴言を吐く直人を擁護したくなってしまう。
それなのにその言葉はまるで精巧なブーメランかのように自分に戻ってくる。そうだよね、私が消え失せちゃえば、それがいっとう手っ取り早いよね、みたいに。
自分の中に直人を飼うっていうのは、ほんとうにほんとうに疲れるし面倒だし、自分でも愛想を尽かすほどなのに自己愛は強いし承認欲求も自己顕示欲も半端じゃなくて、ぜんぜん良いことがない気がします。枝里子みたいな強くて純粋なだけの人間でいられたら、よっぽど楽な気はするけれど、飼ってしまった以上は直人のことも気遣ってあげないと、私の中の直人が私を噛み殺してしまうから、だからどうにかバランスを保ちつつ、生きていこうと思います。
ほのかや雷太たちについても言いたいことはあるけれど、それは今の私にとってそんなに重要ではない気がするので割愛。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

読書感想文

お読みくださりありがとうございます。とても嬉しいです。 いただいたサポートがじゅうぶん貯まったら日本に帰りたいです。