vol14 "文字にできない想い"との向き合い方
人は常に何か考えている、何も考えていない時間なんて、厳密に言うとないだろう。でも、それを改めて文字に起こそうとすると、思っている以上に何も考えていない事に気付く。
「あー、自分は何も考えていないなー」これが文字に起こす作業をしての感想。ただ、最近そうでもないように思えてきた。
僕はパソコンで執筆しているが、文字に起こす際、たまに何か思考というか、脳みそがつっかえる時がある。書きたいことはあるし、考えていることはある。でも、タイピングが進まない。
僕はこの現象を、「考えきれていない」と捉えていた。考えていないというより、考えきれていない、という表現がしっくりくる。
もっと考え込んで、自分なりに納得できる意見がまとまれば文字になって出てくる、そう感じていた。これは個人的なやり方だが、考えるをまとめるには考えるのを辞めるのが一番。足掻けば足掻くほど、沼にはまっていくように、考えようとするほど、考えられなくなる。
寝かす、それが考えることのコツ。ただ、自分なりに考えが深まったと感じ、書き始めると、またつっかえる。その時に気付いた「つっかえるのは、考えきれてないからじゃない、言葉を付与できてないんや」と。
当たり前だが、思考と言葉の付与は別モノ。思考を深めるのを縦軸とすると、言葉を付与するのは横軸、そんな感じ。いや、そもそも座標が違うかも。
ひとまずジャンルが違う、性質が違う作業なんよ。だから、違う部分に焦点を当ててもつっかえ続ける。思考を深める、考えきるには時間が大事。先ほど言った「寝かせる」と同じ。
しかし、言葉の付与は放っておくだけでは、相手からやってこない。思考は相手がやってくる、言葉の付与はこちらから歩み寄る必要がある。
これは、自分の内面と向き合う感覚に近い。自分の思考と向き合い、どの言葉が伝えたいニュアンスに最も近いか、この作業が必要になる。
これも一部時間の要素はある、ふと忘れてた時に「あ、この表現が一番しっくりくるわ」みたいなこともある。でもこれは、思考とは違い、こちらから歩み寄っている時、脳内シェアをその事柄が占めている時に発生する事象。
なので文字に起こすというのは、考えきるという、相手から近づいてくるものと言葉を付与するという、こちらから歩み寄るもの、その間に存在する絶妙なポイントになる。
逆に言うと、文字は思考とイコールではない。そのまま表現することはできないって意味でも、個人的にしっくりきていて、おもしろい。
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