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すき好きノートはどこへ。

今日は、昨日のnoteを書きながら考えたことの続きです。

そう、最近は、即決のように思える買い物でも失敗が少なくなりました。
それは、自分の「好き」の基準がはっきりしてきたせいなんだと思います。

思えば20代の頃は、
好きなもの=自分がどんな人間かを表現するためのもの
という方に意識が向きがちだったように思います。

だから、ちょっと背伸びしたり、人とは違うものを語ろうとしたり。
「好きな映画は?」と聞かれたら、「パトリス・ルコントの…」とか答えてました。
思い返すとちょっとくすぐったくなります。
(もちろん、今でも好きには違いないです。)

でも、その背伸びがあったからこそ、いろいろな世界に興味をもって接することができた。
そして、「好きなもの」にあげていたものに、本質的に憧れを抱いていたんだと思います。

今なら、うーん。
『ホリデイ』と『ラブアクチュアリー』。 
なかなか2時間じっくりとって映画を見ることが最近はなく、それでもこの2つは12月が近付くと必ず見てる。(年に一度…笑!どちらもクリスマスものです…)
かわいくて、みんな幸せになって、自分も幸せ。そんな作品が好きです。



年齢を重ねるにつれ、自分に素直になれるようになった気がします。
皆さんそういうものなのでしょうか?

何か、というはっきりとしたきっかけや原因があるわけではないのですが、いろいろな人と出会い、考えを知り、そんな中で以前より自然体でいられる気がします。
自分を認めてくれる人たちに出会えたからかもしれません。


「好き」は、人から見られる自分をつくるものではなく(もちろん多少はあると思うけど)、自分のためのものでありたいですもんね。


自分の心から沸いてくる感情を素直にキャッチできるようになりました。
そう、ドキドキ胸の高鳴る感じ。
はぁー、って満たされたため息が出る感じ。
何度もただ繰り返し見たいと思うもの。


そして新しい出会いを常に求めていても、「これに影響を受けるべき!」センサーがうまくはたらくのです。
うれしいし、楽しい。



そういえば、5年くらい前かなぁ。
谷川俊太郎さんの『すき好きノート』を買いました。

右から開くとこどものページに、左から開くと大人のページになり、それぞれ「好きなもの」に関する質問に答えて本を作り上げていく、というもの。

でもそのとき私は、谷川さんの質問に対して、自分の「好き」を全然具体的に書けなかった。
それが割とショックで、自分がすごくつまらなく思えて、それきりどこかにしまいこんだ。

子どもたちは、好きなものの絵を描いたりしてページを埋めていたから、それを捨ててしまったとは考えにくい。
でも、探してもどこにも見当たらないんです…。


今なら、もっと書けるのに。

いつかどこかから出てきたら、そのときは全部の質問に答えられたらいいな、と思っています。

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