さぁ、自分に期待しよう。
なんとか無事、スタートしました。
あいにくの曇り空の朝、ゴミ出しのために外を歩く。
どうやって目を凝らしても青空は透けて見えない、でも、雨が降らなくてよかった。
むしろ、ちょうどいい。
あんまり盛大な春の晴天だと、それ、なんだかちょっとプレッシャーだもの。
あぁ嫌だなぁと、でもそんなに深刻そうでもなくつぶやく長男。
そうだよね、嫌だよねぇ、
遠いし、緊張するし、面倒くさいしねぇ、、
否定するでも、励ますでもなく、ただ同意する私。
だって正直、おめでたいとかありがたいとかよりも、不安の方が大きいもの。
私も個人的に、自分の中学生の頃をあまり思い出したくないしなぁ、なんて。
小学校入学のかわいさ華やかさと違って、この子どもから大人へと変わっていく狭間のような入学式は、全く違う門をくぐるようだ。
ちょうど先日、同じくらいの子どもを持つ男の人と話していたことがある。
中学生になる頃は、まさに親との関係を再構築するとき。
そこで距離感を間違えてしまわないように、親の方が配慮しなければならない、いつまでたっても子どもは子ども、と思わないように……
あぁ確かにそうか、間違えるとそうなるか…なるほどねぇ…と彼のその頃のはっきりとした記憶に基づく話を聞きながら、妙に理解できたのだった。
他にも、大切だなぁと思うことを再確認する。
以下、自分のための書き留め、である。
否定しない。
ありのままを受け入れる。理想の人格にしようとしない。
(そうだよねぇ…社交的じゃない私の、社交的じゃない子に、もっと社交的になれ、なんて言ってもつらい話でしかないよねぇ)
親は子どもに対して、導く、影響を与える、育てる、などと思うより、見守る、裏方でフォローする、くらいのつもりでいる方がいい。
(今の時代、いろいろなハウツーや情報があふれすぎているのもつらい…人と比べちゃうし)
親は、子どもにあれこれ言うより、まず自分のことを、自分の目の前のことをがんばる!
(その姿が、いつかわずかでもいい影響を与えられたらラッキー、くらいの気持ちで。)
そういえば、先日読んだ「村上さんのところ」で、春樹さんも言っていたっけ。
中学校はちょっと遠いので、足元はパンプスではなく、スニーカーにして歩く、歩く。
桜はまだ咲く気配もないけれど、あちこちで、白や、赤や、の梅が咲いている。
木にも、地面にも、ささやかに、でも鮮やかに花たちが咲いている。
あぁもっと花の名前を知っていたら、といつも思う。
息を吸い込むと、確かな香り。
少し甘く、少し爽やかな。
さぁ今年は、もっと。
自分に期待をしよう、と思う。
人に期待をする前にね、そう、自分に。
長くなりました、読んでいただいてありがとうございます。
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