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公転ではなく、自転を基本に。


こんばんは。

昨日、MISIAの歌い始めたところまでは覚えているのに、寝落ちして、次気付いたときはゆく年くる年でした。
明けるまえ、ギリギリセーフ。


はやくおせち食べようよ、おせちおせちコールで起こされた今朝。

帰省しないため、親戚から送られてくるおせち。
去年は高級すぎたのか(笑)珍味みたいなのばっかりであんまり食べられなかったし、冷蔵だし、あんまり期待はしてなかったのだけど。

今年は自ら選ばせてもらって、これが大正解でした。


私が作ったのは黒豆だけ。
だけど。

ママが作ったほうのがおいしい。
甘さと固さが絶妙。
食べ物は食感が命、だからね。

と、長男。

そう言っていただけて、母は光栄です。

去年まではあまり食べていた印象のない次男も、今日は二人いっしょになって、おやつにもぱくぱく食べていました。

今年のおせち


午後は、サッカーの蹴り初め。

いや、何も元旦じゃなくてもいいでしょ、とぶつぶつ言いながらも(親)、子どもたちは楽しそう。

今日は日が出てあったかくていいわ~、なんて言ってたら、あっというまに弱々しくなる真冬の日差しと、強風。
帰るときは、親子ともに半泣きでした。


いつもの休日と変わらない一日。

今年はこんなことがんばりたい、こんなことやってみたい、を考えてみたい気持ちも、あるにはあるのだけど。
一年の計は元旦にあり、なんてことは思わなくなって、ゆるりとぼちぼちやっていこう、という気持ちです。

そういえば、今日の「ほぼ日刊イトイ新聞」の、糸井さんのコラムがすごくよかった。

人間は、地球の自転を我がことのようにして生きている。公転で決まる「年」やら「月」やらは比べものにならない。「日」を基本にして生きるんじゃよ、と思ったんだ。

ぼくらは「ほぼ日刊イトイ新聞」からはじまっている。毎日、一日一日の自転を繰り返してきたんだ。「ほぼ日手帳」にしても一日ずつを基本にしてる。先が見えない時代とか、何十年も言われ続けているけど、一日ずつを生きるということだけは変わらない。

「今日のダーリン」より


一部しか引用できないので、もしよかったら、サイトを見てみてください。

ちなみに、この糸井さんの毎日のコラム、まさに一期一会で、noteのように遡って記事を読むことができないのです。
だから、好きな言葉に出会ったら、大事にコレクションしています。


そういえば!
まだ今年の手帳、出してなかった~。
(めんどくさがり、ここにも。)

去年の手帳の最後にくっついてる1月のページの予定を、今年の1月のページにうつして、明日からの仕事にのぞみましょか。



今年もこんなふうに、放っておけば消えてなくなりそうな日々を、拾って書いていこうと思っています。

読んでいただいて、ありがとうございます。






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