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初めての恋人との子を流産した話④

2021年5月
 仕事に適応できない日々が続きながらも、休みの日は彼に会い、支えられながらなんとか続けていた。彼も春から晴れて社会人となり、会える頻度は減ってもお互いに仕事終わりに時間を作ったり、関係は良好だった。この頃私は、都内の店舗にヘルプで借り出されることが増えた。接客数が多く忙しい店舗のため、勉強にもなるだろうということだった。ただ、これは失敗だった。主な仕事が一緒でも、少しずつ違う接客手順や商品、仕様、ルールに適応できるほど臨機応変な人間ではなかったし、そもそもこの仕事に自信もなかった。その店舗で初めから働いていた同期との実力差も実感した。ただでさえ家から遠い店舗なうえ、残業で退勤時間も遅くなり、彼と会う頻度はぐっと減った。
 心の支えにしていたバンドが解散を発表したのもこの月だった。コロナ禍でライブが減っていたとはいえ、まさか解散するなんて思わなかった。数年応援し、毎日曲を聴いていた。悔しさも虚しさも、幸せも、ぜんぶ歌って、自分でもわからないような感情も言葉にしてくれる存在だった。絶対や永遠がないとつくづく思わされた。
 
2021年6月
 解散ライブが終わった日、空虚を感じながら、この先のことについて考えていた。
 また、生理がこない。確実にストレスだ。ヘルプの出勤ももう行きたくない。何も食べなくても空の嗚咽がよく出るようになっていた。吐き気でごはんを食べる気も起きなかった。いつまでこんな日々が続くのだろう?いつまでこの仕事ができるだろう?もう限界じゃなのか?向いてないじゃないか、でもずっと夢だった仕事なのに?うまくいかないのはなぜ?心の支えにしていたバンドは解散、楽しみに生きていたライブはもう二度と行われない。彼との未来だけが人生の楽しみで、道しるべだった。そうだ、そろそろお互いに貯金も溜まってきた、予定通り何月になったら同棲をして、そしたら―…。
 はやく結婚したいな、
ふと妊娠検査薬を手にとった。わかってる、どうせストレスで遅れてるだけ、どうせ陰性なんだから。
 
2021年6月28日
でも子供ができたら、人生は幸せになるだろうな。ああ、何かの間違いでいいから、命が宿ってくれたら。
家に着き、検査薬を試す。
 
うっすらと、陽性に線が入る。
 
「え?」
 
でも、検査完了の線よりも明らかに薄い。なにかの間違い?検査失敗?だってそんなわけない、だって―…
ぐるぐると思考して、ネットで調べる。きちんと検査完了と同じだけの濃さででなければ陰性と同じ。検査失敗の例としてあげられている。
 
なんだ、そうだよね、そうだよね。
 
安堵すると同時に、残念な気持ちも少なからずあった。もし子供ができたら、結婚して、思い描いた未来に手が届くかもしれない、一気に未来が開けるかもしれない。そんな幼稚な考えがよぎっていた。
 
 
2021年 6月29日
翌日、やっぱり不安になる。念のためもう一度検査薬を試してみよう、それで諦めがつくならそれでいい。
彼にも報告した、いまからもう一回検査するね、と。
 
結果、ハッキリと陽性に線。
 
嬉しかった。嬉しくて泣いた。彼にメッセージを送る手は震えて、不安が一気に募った。彼からの返事を見るまもなく押し寄せる現実。現実的に、産めるの?育てられる?貯金してたっていってもまだ同棲もしてないのに?
 
社会人1年目と2年目の私たちが、やっていけるの?
 
冷静さを取り戻し、母に報告しにいく。言葉にしたら一気に、今度は不安で涙が止まらなかった。やっていけるの?産むの?私?母は驚き、慰めながらも、明日産婦人科にいくことを勧めてくれた。「まだ気を大きく持たないほうがいいよ、初期は不安定だから。相手はなんて言ってるの?産む気なの?明日、相手の人と話せる?お父さんにはまだ言わないでおいたほうがいいね。」そういうようなことを言っていた。動転していてほとんど記憶はない。
 
2021年 6月30日
 産婦人科。入口まで母についてきてもらう。感染対策のため、本人以外の立ち入りは出来なかった。
 尿検査や問診を淡々とこなす。「お相手の方とは、入籍は?」という質問、「することになると思います」なんて答えた。あたたかい薄ピンクの空間、お腹の大きい人が待合室にあふれる。自分がとんでもなく子供なような気がした。この人たちは、産む覚悟を決めているんだもんな。
 診察室で服を脱ぎ、診察台に乗るのに恥じらいすらなかったものの抵抗はあった。「尿検査の結果、やっぱり陽性なので妊娠の可能性はあります。エコーで見てみましょうね。」と、機械を当てられモノクロのモニターを見つめる。初めてみるエコー、なにがなんだかわからないモザイクの中で、ひとつ、白点。それが映った瞬間、私にもそれが何かわかった。
 
妊娠、してるんだ。
 
ただ医師の顔は険しいのが気にかかる。台から降りて説明を受けるに、「切迫流産」とのことだった。
「いま6週2日、たしかにエコーで陰は確認はできるんだけど、この週数にしては小さくて、心拍の確認も取れない。成長が遅いだけって可能性もあるけど、もしかしたらもう既に…」
エコー写真を受け取る。その命が既に愛おしかった。絶対に守りたいと思った。
「切迫流産といっても、その診断後に妊娠継続している方がほとんどなので、ひとまず今は安静にして、一週間後またきてください。」
 
診察が終わると母と合流し彼を待った。「切迫流産」と聞いて、母は動揺する様子もなく「そう、やっぱりまだ不安定だから期待しすぎちゃいけないし、お父さんには言わないでおこうね、もし知ったら相手の家に殴りこみにでも行きかねないし」と、昨日と同じことを言い多くは語らなかった。彼が到着し、3人で話をした。
「私は、まだ早いと思う。」母は言った。「まだ若いし、これからいくらでもチャンスはあるから、今じゃなくてもいいんじゃないのかな、って思う。どうしても産みたいならもちろん反対はしないけど、報告してきたとき、あなたあんなに泣いていて、今もそんな顔で、本当に産みたいの?」
 
私は正直、自信がなかった。産んで育てること、現実的に考えて、金銭的にも厳しいと分かっていた。母の言うことは正しい。でも、エコーを見て、愛おしいと思ってしまった。絶対に守りたい、生きてて欲しい、絶対に、と、思ってしまった。だってここに命がある、この吐き気も、違和感も、ストレスなんかじゃなかった。つわりだったんだ。命がここにあったから起きてたことなんだ。だったらその痛みごと全部愛おしい。
 
「お金とか、あるの?子供を産んで育てるのだって、すっごいお金かかるんだよ。まだ社会人になりたてで、やっていけるの?」母は、不安に思っていることを全部ついてきた。気持ちだけじゃどうにもならない、現実の話。
彼は「僕は、結さんのことが好きで、結婚したいと思ってます。ただ、うちの実家はまだ弟たちも小さくて、こちらに金銭的な援助とかは出来ないと言っています。僕も、まだ奨学金の返済ができていません。」と言う。「そうなの、ありがとうね、でもそしたら…うちもそんなに余裕があるわけじゃないのはわかるよね、とりあえず今日は、あとは二人でゆっくり考えて」と母。

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