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心の壁を越えるために

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岡山県にある長島愛生園をフィールドに,ハンセン病問題について,その歴史的過程(排除・排斥・隔離の歴史)と実態(なぜ差別されたのか)の解明などを通して,我々が将来に向けて何を学ぶべ…
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#長島愛生園

光田健輔論(43) 不治か完治か(3)

ここ数年、入所者への「解剖承諾書」が問題となっている。入所の条件であったという証言も、意…

藤田孝志
1か月前

光田健輔論(15) 権力と人権(8)

光田健輔のハンセン病対策は「ハンセン病患者の絶滅」である。 患者の「死」をもって「根絶」…

藤田孝志
6か月前
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光田健輔論(1) 独善性

私は他者の人格や人間性を軽率に批判することは愚かしいと思っている。 その人物を論じるなら…

藤田孝志
8か月前
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光田健輔の「患者観」(3):善意と誠実

光田健輔の自伝を読みながら,彼の考えと行動を軸に,日本のハンセン病政策-絶対隔離政策の歴…

藤田孝志
2年前

対岸から

長島を対岸より初めて眺めた。 先日,友人と「岡山いこいの村」を訪ねた。このレジャー宿泊施…

藤田孝志
2年前
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光田健輔の「患者観」(1)

―全国にはどのくらいの病者がいるのか見当もつかない。おそらく十万人くらいはあるとさえ考え…

藤田孝志
2年前

光田健輔の「患者観」(2)

『島は語る ハンセン病市民学会年報2010』に集録された「総括座談 島の当事者の声を聴いて」より,徳田靖之氏と内田博文氏の発言から光田健輔の考えを検証してみたい。 1 「孤島隔離論」1915年,光田健輔は内務省に「癩予防に関する意見書」を提出する。その中で,光田はハワイのモロカイ島のような絶海の孤島にハンセン病療養所を設置して患者を収容すべきであるという考えを明らかにする。翌年,内務省は光田の考えを正式に採用する。 徳田氏は,なぜ光田が「島」を選択したかについて次のように推

「砂の器」と「悲の器」

年末に行った「本の断捨離」は,思わぬ効果もあった。大量の文庫本に埋もれてしまっていた本が…

藤田孝志
2年前