日本の自殺率が高い理由 ~海外で生活してみて圧倒的に感じた「違い」~

自殺は色んな要因が重なって起こるので
ヒトコトではとても表せないものなのだけど

日本が世界でも自殺者数が多い理由を
考えてみたときに、突き詰めていくと

「人目を気にしすぎること」

が大きなトリガーに
なっている気がする…

と感じた理由とエピソードを
今日は書きたいと思います。

**

まず前提として・・・**

この前、こんな記事を書きましたが

もちろん、何でもかんでも
「社会」=環境のせい
だと言いたいわけではありません。

**その人自身がこの世界を見る
視点(認知)や心の在り方が
変わらなければ、

どんなに環境が変わろうと
永遠に苦しいままだ**

ということも、重々理解しています。

つまり個人の特性の要素も
あわさって自殺という結果に
至るものだと思います。

しかし、それは、その人の

「心が弱いせい」
「頑張りが足りないから」

ということではなく、

ただただ、この社会の中で
生きていく上で自殺に至りやすい
心の癖や考え方、性質がある、
ということ。

例えば、

人に頼るのが下手
完璧主義
真面目すぎる
繊細すぎる
想像力が豊か
思い込みが強い
自意識が強い(周りの目を気にする)

などなどなど…

本来生まれ持った特性だったり、
生育環境の中で後天的に身についた
ものだったり、その両方だったりします。

また、普段は元気で
普通に暮らしている人でも、

失恋、離別、リストラ

大きなケガや病気にかかる

受験や就活、仕事での
大きな失敗やプレッシャー

家族、友人、恋人、同僚
といった人間関係のいざこざ

などなど、

突然の大きな出来事を機に
心がキャパオーバーを起こし
絶望の淵に立たされてしまう
ことだってあり得る話です。

あるいは、

ただただ漠然と
この世で生きることに
意味を持てないという

「希死念慮」

をずっと抱いていたりする
ケースもあると思います。

自殺に至るか至らないかは別として
人間が感じる「生きづらさ」というのは
どちらか一方にだけ原因があるような
単純なものではなく、

「周りの環境」と、「個人の性質」の
両方が相互作用して起こるものなのだと
思います。

この2つの大きな要素が大前提としてある上で、今日は「環境の影響力」についてお話しします。


「生きやすい場所」を求めて、日本を出てみた

なぜ、こんなことを
専門家でもないのに
つらつら述べているか
というと、

私は高校生のときに
父が自死しており、

私自身も繊細過ぎる性格と
波乱万丈な出来事が重なり、

何度も死にたくなっては
生かされて…
を繰り返してきたので、

おそらく人並み以上には
このテーマについて考え
長いこと向き合ってきた
と思っています。

**どうしたら、
生きやすい自分、

そして

生きやすい世界に
なるのだろう?**

特に、なぜこの平和な豊かな
先進国である「日本」という国で
自殺が多いのか、ということは
私の中でずっと疑問でした。

私は、その「答え」を調べるだけでなく
実際に体感してみたいと思い、
日本の外に出てみることにしたのです。

選んだ国は、ニュージーランド。

世界幸福度ランキングでは、
毎年上位に君臨するフィンランドなど
北欧諸国に続き、トップ10入りしてます。
(2020年の結果では8位)

だから選んだというわけでは
なかったのですが、結果的に
そこで私は日本との暮らしの
違いを圧倒的に体験します。

ニュージーランドに
ワーキングホリデーで
行っていた1年半と、

その後東南アジアを放浪
していた3ヶ月の間。

**この間は、「死にたい病」を
よく発症してしまう私でも

見事に「死にたい願望」から
無縁になれた時期でした。**

海外での生活が
順風満帆だったわけではなく
むしろ日本にいたときよりも
ある意味、波乱万丈でした。

車で事故ったり、
急に仕事がなくなって
ホームレスになったり、
たまたまバケーションで訪れた
ロンボクという小さな島で
M6.9大地震に見舞われたり…

それでもなぜか、
一度も「死にたい」病が
出てこなかったのです。

しかし、そのときはまだ
その理由が、はっきりと
わかっていませんでした。

帰国後、日本で感じた圧倒的な感覚

しかし、日本に帰ってきて
その理由がはっきりとわかったのです。

それが

「人の目が刺さる」

でした。

なんというか、

**"お互いが監視し合っている"

ような息苦しさを強烈に感じたのです。**

日本で生きづらいと感じていたのは
もしかしたらこの「監視の目」なのでは
ないかという、ひとつの答えが出ました。

思い返せば、海外では

「人は人、自分は自分」

という雰囲気がそこら中に漂っていました。

どんなブランドの服や
小物を持っているかとか

どんなメイクやスキンケアが
施されているかとか

どんな大学を出て、
どういう仕事をしているかとか

いま何歳なのかとか、
未婚なのか既婚なのかとか

ほとんど気にすることはありません。

例えば、ニュージーランドでは、
大人でも、裸足でスーパーマーケットに
行ってる人をよく見かけました。笑

お腹が出っ張り、お尻も胸も垂れているような
中年のマダムも、そんな体型も気にせず
ビキニを着て、思う存分ビーチを楽しんでいました。

そのいきいきとした笑顔は、
なんと美しかったことでしょう。

ニュージーランドに移住した
日本人の知り合いは

「日本だと、子どもを保育園に迎えに行くだけでも
 一応、"それなりの格好をしなきゃいけない"
 みたいな気持ちにさせられるけど、
 ここでは本当に多様なバックグラウンドを持つ人が
 たくさんいるから、そういうのをいちいち気にしなくて
 いいのが、すごく居心地よくてね~~」

と話してくれたことも印象的でした。

**大切なのは、人目を気にすることではなく
目の前の自分の人生を楽しむこと、

もっと大切なことや人に
時間やエネルギーを注ぐこと

なのだと教えてもらいました。**

コロナで「自粛警察」なんて
呼ばれるものが多いのも、
日本で顕著に出てくる特徴の
ひとつだなぁと思います。

テレワーク中、サボっていないかを
監視するために、社員のパソコンの
ビデオカメラをずっとオンにして
中継しなければなかったり、

テレワークできる業務の人にも
監視の目が届かなくなるという
理由で出勤させたり…(驚愕)

帰国直後は、人目を気にせずのびのびと
過ごしていた海外での生活を思い出しては、
よく逆ホームシックになっていました。

日本にいながら、海外にいたときの
ような「人目を気にしない自分」を
貫こうと試みましたが、

やっぱりどうしても貫き通せない壁があり、
日本に帰国して1年ちょっとが経った今は、
私もだいぶ淘汰されてしまったなぁと感じます。

それでも、一度海外で自分を取り戻せたおかげで、
だいぶ日本でもマイペースに生きられるように
なったと実感しています。

まとめ

そんなわけで、単一民族得で
「村八分」なんて言葉があるような
同調圧力の中で暮らしてきた
歴史の長い日本で、

一朝一夕に、この風潮や社会システムを
変えることは、かなり難しいと思います。

「みんな同じでなければならない」
という自制心によって、むやみに
争いごとやトラブルが起こらない
という長所もあるからです。

しかし、
自殺をよぎってしまうくらい
繊細過ぎる人は、今いる場所で
自分を変えようと頑張りすぎて
疲弊してしまうのではなく

**一度でいいので
「環境の力」を借りて
「息がしやすい場所」に避難し、

子どもの頃のように人目を気にせず
無邪気にただ目の前の世界を
楽しんでいた

「本当の自分を取り戻す」

という感覚を再び思い出すことも
大事なんじゃないかなと思うのです。**

とはいえ、そう簡単にしょっちゅう
海外に行って気分転換することも
できないだろうし(特にコロナ禍の今)

いまの日本という国の中で
いかに自分らしくいられる
「避難場所」を持てるか
ということが

キーポイントになってくると思います。

次回は、私が日本にいながら
やってきたそんな「避難場所」
の作り方についてご紹介できたら
と思います。

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他にも、海外で色々と気づいた経験を
たくさん記事に残してあるのでぜひ
読んでいってください^^


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