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26.上昇感(1) - ii

「25.上昇感(1) - i 」にて、上昇感は、人物たちの視線やポーズから生まれるとお話しました。

ティツィアーノ<聖母被昇天>では、そうしたいくつもの細かな「上昇感モチーフ」を際立たせるために、構図そのものは幾何学的に単純明快に作られていました。また、色彩によって作られている縦長の三角形も上昇感に貢献していました。

今回は、この作品の設置場所での実際の「見え方」象徴的な上昇感についてご紹介いたします。


1.フラーリ聖堂


地図上の左側、ヴェネツィア西岸にあるかなり大きな教会です。

フランチェスコ修道会の所有です。元となる聖堂の建造は1200年代に由来しますが、現在の大きな建物への大規模改築が始まったのは1330年頃です。

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1492年に献堂式(建物の完成式)が執り行われました。
この聖堂は「栄光の聖母(サンタ・マリア・グロリオーザ)」(=被昇天の聖母)に捧げられており(ゆえに主祭壇画の主題は「聖母被昇天」となります)、正式名称は「サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂」と言います。

建物が完成して20年以上たってようやく主祭壇が完成しました。
1516年、大規模改築の締めくくりとして、その主祭壇を飾る祭壇画が、フラーリ修道院長ジェルマーノ・カザーレによって画家ティツィアーノに注文されました。ティツィアーノは高さ約7mもある巨大な板絵を完成させ、1518年5月19日、無事、この祭壇画の除幕式が行われました。

26、Frari_(Venice)_-_Main_altar, wikiより、引用を書く - コピー4m

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2.「ティツィアーノ美術館」


フラーリ聖堂のプラン(平面図)です。

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1.入口です。

15.ティツィアーノ<聖母被昇天祭壇画>です。

5.は、ティツィアーノの<ペーザロ家祭壇画>です(下の図の左)。
<聖母被昇天>の出来栄えに感心したペーザロ家が、<聖母被昇天>完成の直後にティツィアーノに注文しました。1519年に制作が開始され、途中、制作中断期間が入り、完成は1526年です。

30.は、ティツィアーノの墓(壮麗な大理石墓碑彫刻)です(下の図の中央)。
主祭壇の<聖母被昇天>が巨大な浮彫彫刻で再現されています。
実は、ティツィアーノはこの自分の墓に飾るべき作品として<ピエタ>(下の図の右)を最晩年に描いていました。しかしここに飾ってほしいという彼の願いは聖堂側には是認されませんでした。<ピエタ>は現在はアカデミア美術館に展示されています。

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フラーリ聖堂は、このようにちょっとした「ティツィアーノ美術館」の様相を呈しています。


3.聖歌隊席入口の飾り衝立

(1)聖歌隊席

プラン(平面図)を再度ご覧ください。

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11.「聖歌隊席」で、ここには繊細な木彫彫刻の施された椅子が並んでいます。下の写真は、聖歌隊席から入口側を見た写真です(プランで言うと、11の数字の書いてあるあたりから、下(入口)側に向かって見ています)。

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(2)聖歌隊席入口の飾り衝立

この聖歌隊席の入口(プランの11の数字の下の青いライン2本)には、大理石の立派な飾り衝立があり、たくさんの浮彫や彫刻で飾られています。1475年にヴェネツィアの彫刻家トゥッリオ・ロンバルドとその工房によって制作されました。中央は、出入口としてアーチ型開口部となっています。

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聖歌隊席入口の飾り衝立の写真です。

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この飾り衝立の中央の出入口をご覧ください。
その形状に見覚えはないでしょうか。




お気付きになったでしょうか。

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飾り衝立の出入口の形は、
ティツィアーノ<聖母被昇天祭壇画>の枠組と絵の形状と、同一です。


(3)「コーディネイト」


<聖母被昇天祭壇画>は、飾り衝立の有する縦長の長方形、およびその下のアーチ型を、意図的に繰り返しています。

ティツィアーノが祭壇画注文を受けた時にはこの飾り衝立は既に設置されていました。ティツィアーノは、このアーチに合わせて、自分の祭壇画の形状を決めたと推定されています。聖堂内の「コーディネイト」の発想です。
観者は、入口から入って奥に向かって歩みを進める途中で、聖歌隊入口の飾り衝立アーチがティツィアーノ聖母被昇天の枠組アーチとちょうど重なる位置を必ず通りながら、このコーディネイトの妙を楽しむことになるのです。

b, フラーリ大聖堂内観、障壁

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さらに、祭壇画の枠組にあるアラベスク文様(唐草模様的植物文様)も飾り衝立のそれを真似た浮彫で施されており、聖堂内空間全体での統一感を持たせようとしています。

26、キャプチャ、アラベスク文様、枠


4.<聖母被昇天祭壇画>の見え方


(1)奥へ

聖堂入口から見た写真です。

26, frari のHPから、Basilica_interno-1024x683、不明

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飾り衝立が観者の視線を遮るので、聖堂入口からは、その先にある奥の内陣の全貌は見えません。飾り衝立のアーチは、そこがまるで「のぞき穴」のように開いています。
そこからだけ内陣の様子が垣間見えるので、聖堂入口に立つ観察者の視線は、そこに強力に引きずり込まれます。

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観察者は、自分の視線を真っ直ぐ、真ん中に、固定されたまま、前へ進みます。

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絵の図柄が何となく認識できるような距離まで近付いたときには、観者の目は、祭壇画の主人公、否、聖堂全体の主人公、被昇天で宙を舞う聖母マリアを、最も明瞭に認識できることでしょう。

歩みを進めるその間、観者の目は、奥の祭壇画枠組アーチと手前の飾り衝立アーチとの相似形を絶え間なく楽しむことができるでしょう。

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飾り衝立のある場所から奥は、三段高くなっています。

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かつて女性は、飾り衝立よりも奥へ入ることは許されていませんでした。

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(2)上へ:象徴的な上昇感

聖歌隊席の向こう側まで辿り着くと、祭壇画を近くから眺めることが出来ます。

この巨大な祭壇画は縦長で、高さのある土台に載せられているので、観者はこの祭壇画を仰ぎ見るように顔を上へ向けて眺めます。

26、Frari_(Venice)_-_Main_altar, wikiより、引用を書く - コピー4m

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祭壇画の絵の中に仕掛けられた、視認できる「上昇感」の工夫については、既にご紹介した通りです。

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ちなみに、以下のサイトでは、2012年に行われたティツィアーノ<聖母被昇天祭壇画>およびその枠組の洗浄・修復作業の写真を見ることが出来ます。作業中の人たちが一緒に写っているので、この作品がいかに大きいか感じることができると思います。


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最後に、「象徴的な上昇感」についてお話します。

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祭壇画の上には、三体の彫刻が載っています。
中央に置かれているのは「復活したキリスト」の肖像です。
(左右は「聖フランチェスコ」と「パドヴァの聖アントニウス」で、フランチェスコ修道会の二大スターです)。

一方、祭壇画の下には、なにやら四角い箱があるのが見えます。ピエタの図像の刻まれた「聖遺物箱」です。
ピエタの図像とは、この場合は、両側から天使によって支えられた処刑後の死せるキリストのことです。半身像のキリストがおへその前で手をクロスさせて正面向きに立っています。

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この祭壇画の前に立つキリスト教徒は全て、出来事の時系列を知っています。つまり、キリストが処刑されて、一度死に、そして復活したと、知っています。

この時系列の流れは、この祭壇画の枠組において、
下から上への上昇の流れとして表現されています
(下の図の赤色矢印)。


観者は、キリストが死んでそして復活するという時間軸を、下から上への方向性として感じながら絵を眺めることになります。
ここに、「象徴的な上昇感」が作り出されています。観者は、まるでその時間の流れに沿って、聖母マリアが上昇してゆく、そのようなイメージを、受け取ることになるのです。

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これは、目に見えるタイプの上昇感ではなく、知的に理解する(キリスト教の知識を必要とする)タイプの象徴的な上昇感です。
本来、ここはキリスト教徒の場所ですから、ティツィアーノの想定していた観者はすべて、この上昇感を理解したことでしょう。

マリアは、イエスを身ごもったため、しばしば「容器」にも喩えられます。死せるキリストはただの絵ではなくわざわざ「聖遺物箱」に刻まれているわけですから、この死せるキリストは、一人ではなく、必ずやマリアを伴って上昇する、ということが、強く暗示されているわけです。

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この枠組は、イストリア産の石で出来ており、古代ローマの凱旋門の形式をモデルとしたアーチで「聖母の勝利」を象徴しています。ティツィアーノとの共同設計の中で、彫刻家ジョヴァンニ・バッティスタ・ブレーニョとロレンツォ・ブレーニョの兄弟によって制作されたとされています。


5.まとめ


まとめます。

聖堂内を横から見た模式図です。

キャプチャ、模式図


まず最初に、観者の視線は、聖堂入口に入った瞬間から、飾り衝立のアーチの「のぞき穴効果」によって、ティツィアーノの祭壇画に釘付けになります。視線は聖堂全体を縦に刺し貫くようにまっすぐ進み、一番奥の祭壇画にまで届きます。

次の段階です。観者は、やがて祭壇画の中に描かれるモチーフが判別できるほど近くまで辿り着き、巨大な祭壇画を下から見上げます
祭壇画の絵の中に仕掛けられた数々の「上昇感」の工夫のほかに、「象徴的な上昇感」によって、観者は聖母マリアの力強い「上昇感」を体感します。


この作品は、聖母被昇天を信奉するフランチェスコ修道会にとって非常に喜ばしい抜群の「上昇感」と、聖堂内のコーディネイトを伴う考え抜かれた巧みな視線誘導の演出によって、評判を呼び、画家ティツィアーノの出世作となりました。

ティツィアーノ作<聖母被昇天祭壇画>は、
聖母マリアに栄光に満ちた被昇天の姿を与えるとともに、
素晴らしい作品を所有することになったフラーリ聖堂に栄光をもたらし、
聖母被昇天を信奉するフランチェスコ修道会に栄光をもたらし、
そして、画家ティツィアーノに栄光をもたらしたのです。


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(参考文献紹介)

遠山公一、高階秀爾監修、『西洋絵画の歴史 I : ルネサンスの驚愕』、小学館、2013年。(特に、第2章、奇跡を体験するための装置としての祭壇画―ティツィアーノ“聖母被昇天”、53-72頁。)

Rona Goffen, Piety and Patronage in Renaissance Venice: Bellini, Titian, and the Franciscans, Yale U.P., New Haven and London, 1986.(邦訳:ローナ・ゴッフェン、石井元章ほか訳、『ヴェネツィアのパトロネージ:ベッリーニ、ティツィアーノの絵画とフランチェスコ修道会』、三元社、2009年。)


最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。


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