なぜ人はつらいときこそ、いいモノが作れるのか
人は、つらいときのほうが、
いい文章、
いい音楽、
いい絵、
いい写真、
いいモノが作れるってよく言う。
私も、たしかにそうかもしれない。
厳密に言えば、
ほんとうにつらいときは、
まだ何も手を動かせない。
けれど、
心の奥底で、
消化できそうで、できなくて、
なんだかマグマのように、湧いてきて、
それが心を弾き飛ばすほどになったら、
必然と、手が動く。
頭はほぼ真っ白状態で、
心と手だけが繋がったような、
不思議な感覚。
心のままを描く。
カタチにする。
そうしてできたものを、
自分で眺めてみると、
やっと消化できそうになったり、
またできなそうになったり、
突然照れ臭くなったり、
恥ずかしくなったり、
する。
けれど、
変に取り繕ってない
ありのままの自分を描いたものだからか、
なぜか、納得できてしまう。
なぜか、ほっとする。
手を動かせたことにも。
そして、
そのありのままの自分を描いたものは、
いずれか、誰か他のひとが
見てくれることがある。
見てくれたひとは、
きっと、自分と似たような、
もしくは似てなくても、
どこかで、つらい思いをしたことがあるひと。
ありのままを描いたものだから、
その見てくれたひとにも、
きっと、すっと入りやすい。
そして、そのひとは、
見えない糸を感じて涙を流してしまったり、
見えない光を感じてエネルギーをもらったり、
見えない温かさを感じてほっとしたり、
見えない寒さを感じてなぜか安心したり、
する。
ひとが、
つらいときに、
ありのままを表現したモノは、
どこかに力強さがある。
そして、つらいものを描いたはずが、
どこかでは誰かに、ちょっとした
安心やエネルギーをプレゼントしている。
だから、
いいモノと呼ばれることが
多いんじゃないかなと思う。
もちろん、
幸せな気持ちを
素直に表現したモノも、
みんなを明るくすることができるし、
笑顔にすることもできる。
けれど、
つらいものをそのまま表現したモノは、
どこかに秘めたすごいパワーを持っていて、
「つらさ」以上に、
「つらさ」を打ち消すほどの、
生きる力や、強い魂みたいなものが
あるんだろうな。
そして、
つらいことをカタチにできたことで、
見てくれたひとがエネルギーを得て、
少しハッピーになってくれたり、
「ハッピーになれたよ!」って伝えてくれることで、自分もいつのまにかハッピーになってる。
つらいものが、ハッピーを生み出して、
あれ、不思議だなぁ。
口で話すよりも、
書いたり、描いたり、弾いたり、踊ったりするものは、そういう力や感情の循環を、
全部吸収してくれる。
いいモノを作りだそうとしてもできないけど、
ひとは生きている限り、
いろんな経験をして、
ちょっとしたところで
いいモノが生まれていくんだろうなぁ。
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