私には両親もいて、猫もいて、いわゆる“家族”の一員である。それは血の繋がっている関係。 けれど、“家族”はそれだけじゃない。 血の繋がりはなくても、 本当に心から信頼できて、いつでも迎え入れてくれるようなコミュニティ。それも“家族”だ。 *** 私はたしかに小さい頃からピアノを習っていたし、 ある程度は弾けるとは思っていた。 中1から副科として始めたチェロもまぁなんとか。 でも、楽理科というところに入って、そもそも自分の技量にそんなに自信がなかった私は、もっと演奏す
4年ほどぶりにnoteを開いた。 それがこれがきっかけになるなんて思いもしなかった。 私にとって唯一の兄弟である、愛猫の陸が逝ってしまった。 7月20日生まれの陸は、18歳あと少しだったけど、17歳立派に生きて、 いつもいつもそばにいてくれた。 17年以上一緒にいた家族を失うなんて初めてで、 受け入れているようで、受け入れられていないような、 陸がいない日常に慣れるのにどれくらいかかるんだろうか。 どこかで慣れたくない自分もいるみたいだ。 写真や動画を見返すことしかでき
すこしあたたかくて すこしさむくて ほっこりとしている。 落ち着いていられるとき。 秋。 わたしの心の四季は、 秋からはじまる。 ちょっぴりわくわくすると、 葉が赤やオレンジに染まるのと同じように、 わたしの心も染まってゆく。 そして、ちょっぴり悲しいと、 葉のあいだを冷たい風が通りぬけるように、 わたしの心もさっと揺れる。 でも、この風は優しいんだ。 さっと吹いて、さっと心を救ってくれる。 そして、撫でてくれるんだ。そっと。 そんな優しさに包まれて、 ほっこり過
私は、中高生の頃なんて、 まったくフッ軽じゃなかった。 校則も厳しいし、 家と学校の往復だけで、 ほとんどの時間は、机に向かって真面目に勉強。 それが、大学生になって、 突然フッ軽になった。 きっかけは、普段から関わっている 学生音楽団体で、いろいろと地域に新幹線や飛行機で度々行くようになったことだけれど、 自分からどんどん動いてみたほうが、 いろんな地域の人と繋がったり、 知らない世界を見れたり、 同じ価値観を持った人と出会えたり、 いいことづくしだってことに気づけ
高校生の頃、 毎朝、毎放課後、 いつも一緒に登下校した親友がいる。 今でも、もちろん親友だ。 いや、冷静に考えて、 毎朝、毎放課後、 なんびゃくなんじゅうにちという毎日を、 よくもそんなに話すことあったなと思う。 何を話してたっけ。 小テストの話とか、 ちょっと変な先生の話とか、 たまーに真面目に将来の話とか。 毎回、大嵐の日は、セーラーの肩の布と、 かたーい生地のスカートが、 ぶぁぁぁっと巻き上がってしまうだけで、 大笑いしながら歩いてた気がする。 たまに、下ネ
今日、こんな台詞に出会った。 『一週間フレンズ。』の中で、香織のお母さんが、香織の唯一な大切な友達となる祐樹に言う台詞だ。 友達って大切だよなぁ。 度々そう思うけど、「きっかけを作ってくれる」のも、たしかに友達だったな。 そう思い出させられた。 ✳︎ 高校2年制の頃、とある私立の音楽大学附属の音楽教室に通っていた。音楽の道には進みたいけれど、プロのピアニストを目指すようなピアノ科には行きたくない。しかも、私立には行けない。でも、国立なんて無理だ。たとえ行くとしても、楽
今日、先輩から教わった言葉。 出会い直し。 すごく素敵じゃないか。 捉え直す ではなくて、 出会い直し。 すごく可能性を感じる。 ✳︎ もちろん、 今、とても仲良しの人、 好きな人、気になる人、 好きなモノ、集めてるモノ、 そんな人やモノともう一度出会い直すのは 想像もつかないかもしれない。 けれど、そのあいだに 強い信頼や愛があれば、 出会い直しても、 きっと、またその関係は続くだろう。 むしろ、強くなるかもしれない。 一方で、 今、すごくキライなモノ、キライ
そっと優しくて、落ち着く声。 どこからでも響く声。 ちゃんとお腹の底から出せる声。 「いいなぁ。」 いつも人の声を聞いて思う。 ✳︎ 私の声は、 自分で思っているよりも、ものすごく高くて、 どこか震えてるようなピロピロしていて、 大きな声を出さなきゃと思うと、 無理やり地声スイッチに切り替えるもんだから、 頑張って低く平らに出そうとしたがすがすな声で、 それを続けると、途端に喉を壊す。悲しい。 録音した声を聞くときが一番恥ずかしい。 なんでこんなへろへろしてる
あったかい。 全身に一気に何かが流れる。 なんだろう。 電気かな。 普通に、血の流れかな。 目に見えない、ものすごくアツいものが走る。 ほてり。 なんだか、あったかいからアツいに変わる。 一気にアツくなりすぎる。 こころもからだも、全部。 ふんわり。 アツさからまたあたたかさに戻る。 心も身体もふわっと包まれて、 ふわっと飛んでいきそうになる。 だけど、 飛んでいきたくもない。 ずっとここにいたくなる。 しあわせ。 いいにおい。 全身で吸収したくなるにおい。 くん
今日、居酒屋で初めて出会った言葉。 「豚さがり塩焼き」 ぶたさがりしおやき。 なんだか言葉のリズム感と響きが スキになってしまった。 しばらく笑いのツボから出てこれなかった。 わたしの中のイメージ図は、こんな感じ。 豚のおしりが下がっていて、 なぜか塩を焼いてる様子。 意味不明だけど、なんだかいろいろおかしくて、 楽しくなってしまった。 あとから調べてみると、 https://matome.naver.jp/m/odai/214715905714478330
昨日、久しぶりに会えた。 大学生協の売店にいるおばさん。 いつ頃からだろう。 昨年くらいから、突然仲良くなった。 なんでかも覚えてない。 けど、いつも私の顔を見ると、 「あら〜!元気にしてるのー?」 と優しくとってもとっても素敵な笑顔で 話しかけてくれる。 大学なんて、高学年になればなるほど、 授業も減って、同期にも、先生にも、 会う回数は少なくなる。 毎回、「久しぶりー!」とか、 「お疲れ様!」って、決まり文句みたいになってしまった挨拶を交わし、どこかで励ましあい
せっかく感じたことがあるなら、 消えないように、どこかに残しておこう。 そんな気持ちで始めたnote。 実は、私は書くことなんて苦手だった。 別に詩的な文とかに限らず、 単なる報告文とか、単純な文も書くのは 順序がぐちゃぐちゃになって下手くそだったし、 人を感動させる文章なんて、到底書ける人間でも、 書ける技術もなかった。 だから、うまく書こうとは全く思わずに、 なんだか言葉では話しづらいこととか、 あえて人に言わないだろうなってこととか、 そんなことが書けたらいいなと
私はついこのあいだまで 自転車に乗ることができなかった。 正直に話せば、 小学校3年生くらいの頃、 またがって、 誰かが後ろからすごいパワーで押し出してくれれば、 その勢いでまーーっすぐに爆速で走らせる ことはできていた。 けれど、 一人では、 漕ぎ出せない。走れない。 片方を踏めば、そっちに倒れて、 もう片方の足はぴょこっと1cmもあげられずに、 その場でカタカタと揺れるだけ。 両足を上げるのが怖かった。 もし、倒れたら、 もし、バランスを崩したら、、、。 そんな
私は、すぐ誰かに考えを合わせてしまう。 基本、否定はしないし、批判もしない主義だから。 もし、それが自分にとって初めてのことであれ、 挑戦してみたいし、知りたいとも思う。 だから、よっぽど生理的に受け付けないわけでなければ、基本相手や周りに合わせる。 相手に頼ってしまってるのかもしれない。 あえてプラスに言えば、 いつも共感しようとしているという感じ。 共感ベースの人生 と、私は呼んでいる。 私は、“どうしても”◯◯したいという思いが、 きっと絶えず薄い。ないに等しい。
人は、つらいときのほうが、 いい文章、 いい音楽、 いい絵、 いい写真、 いいモノが作れるってよく言う。 私も、たしかにそうかもしれない。 厳密に言えば、 ほんとうにつらいときは、 まだ何も手を動かせない。 けれど、 心の奥底で、 消化できそうで、できなくて、 なんだかマグマのように、湧いてきて、 それが心を弾き飛ばすほどになったら、 必然と、手が動く。 頭はほぼ真っ白状態で、 心と手だけが繋がったような、 不思議な感覚。 心のままを描く。 カタチにする。 そうし
最近、 「将来、どうしたいのか」 ということについて、 聞かれることも多いし、 自分でも考えなきゃなぁと思うときがある。 だから、 このあいだ友人とランチに行った時、 参考までに聞いてみた。 「◯◯は、将来、どうしたいとか、 どうなりたいとか考えてることある?」 私より少し歳上だから、 何かしら、少なくとも私自身より、 しっかりとビジョンが見えてそうな答えが 返ってくるだろうなと思っていた。 けれど、 返ってきた言葉は、 「うーーーん、今、こうして普通に生きて生活で