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韓国の古代遺跡コインドルと夫

韓国語で「星を見る事がない奴」という言葉がある。上手く行かない芽が出ない人の事だ。数年前のある日、私の夫は急に「星を見る人」になった。夫の話をさせて頂きたい。




それまで上手く行ってなかったわけではない。ただいつも目が星じゃなく地に向く地理学者だった。15年前にソウルから故郷に移ったが、学者が田舎で生きていくには何でも屋にならざるを得ない。頼まれ事をこなすうちに仕事が広がり、地元の郷土歴史編纂に関わり出版社運営までするようになった。




年輩の人と忍耐強く付き合えないとやっていけないのが田舎だ。夫は初対面の田舎のお祖母さんの寄り合い場にずんずんと入っていく。夫の地域研究が全国的にみても非常に高いレベルで進んだのは、地域のお年寄りからの聞き取り調査と検証を深くやれた点が大きいと思える。



ダウンジングで水脈探し、が何のことだか分かるだろうか。L字型の金属棒を手にもち地下に水脈があるかどうかを探すのだ。夫はこれが出来て色んな所に呼ばれ、家相を見たり墓の位置を決めたりしてきた。水脈のある場所では人は深く眠りづらいらしく、また韓国の風水で特に土葬だと場所の選定が最も重要となる。お金はもらわず奉仕だが長年色んな人に頼まれてきた。つまり何を言いたいのかというと、夫はずっと地を見つめ続けてきた、ということだ。



夫が星を見るようになったのは、そうして地域の隅々まで歩いて回っていた夏前のある日の事だった。私の住む町には韓国語でコインドルと呼ばれる古代ドルメンがある。既に世界遺産認定されているが、数が多すぎて管理されてないものが多くある。組立てられた巨石なのだが、夫はそれに出会うとまずは岩の蔦掃除から始める。偶然であったものだから道具もなく素手だったそうだが、岩の上に何かの窪みを指が感じて手を止めたという。草を全部取り払って窪みの全体像を眺めてみると、それは星座の形をしていた。



星穴が彫られたコインドルの存在は既に確認されていたが、夫はそこで止まらなかった。その星穴のあるコインドルと近隣のコインドルの位置を結んでみると、そのコインドル群の立地が空から見て北斗七星の形になっているのをを見つけた。韓国のコインドルに関してここまで明確にこういう検証をした人は今までいなかった。実はコインドルはあまり活発に研究されている分野ではない。考古学会では夫の意見は異端だったが、近くの国立大学の歴史科の教授が「それはすごい事だ!」と賛同してくれ、急いで論文にしてその年の冬、全南大学の研究誌に掲載した。ほどなくテレビにも出た。



とにかくそれを契機に夫は星空を眺め始め、天文学の本をどっさり購入し、星とコインドルの関係を調べ始めた。首の角度だけが違うが、地を見ていた目が星に向いただけのように見えた。そうしているうちに、ソウル大の天文学科の教授が夫の意見を支持してくれた。



コインドルにも様々な形がある。夫は調べていくうちに、立地方向に規則性を見つけた。このコインドルは春分と秋分に合わせて立っている、こちらは夏至冬至だという風に。



春分に合わせて立てられたコインドルには、春分の日の出の朝陽がコインドルの支え石の間にまっすぐに入ってくる。あまりにも神聖で美しいその光景に、居合わせた人達はなんとも言えない気持ちになる。誰も何も言わなくなったり、逆に歓声があがったりする。



夫のコインドル研究が少しずつ知られて、今では春分や冬至のコインドルに人が集まるようになった。ソウルからもお客さんが来始めた。天候次第なので空振りの日も多い。コインドルに日の出や日没が綺麗にはまった写真は奇跡の一枚だ。



このコインドルと星や太陽との関係を聞くと、人の目に灯が灯る。それまでただの遺跡だ古代の墓だと思っていたものが、生きて迫ってくるからだろう。星と地上を結ぶ古代人の知恵や、また数千年前の遺跡に今も変わらず季節の太陽が真っ直ぐ入ってくる事に心躍る。私が本当にいいなと思うのは、それまでただの岩くれだとみていたコインドルを人が価値視しはじめ、近隣に住む人たちが自分の住む土地に誇りを持ち始めることだ。夫は流石に「地」を長年愛してきた人で、星の光と日の光で「地」を照らしたのだと思う。



「朝鮮は元々星との繋がりが濃いのですよ」と数年前ソウル大の工学系の教授が教えてくれた。「だってサムソンのスマートフォンの名前だってギャラクシーでしょ」たしかに、納得。



今、夫は日々コインドル調査に出ている。この冬、ある大学のプロジェクトの一環で精密なコインドル調査が急に夫の仕事になった。帽子かぶって水筒にお茶を詰めて遠足に行く小学生のように元気よく出ていく夫を毎朝見送っている。「本日のコインドル」の土産話が楽しい。数日前に夫がコインドルから落ちて足を引きずって帰ってきたが、その日から雨続きだ。少し休みなさいとの事なのだろうと夫婦で笑っている。



星の研究を始めるようになってから夫が言った言葉が印象的だ。
「地球で一番真っ暗な時は、宇宙からみると一番明るい時なんだ」
「日が沈む時が一日の始まり、宇宙では全てが逆なんだ」
「黒は宇宙では一番明るい色なんだ」
「死は天に戻ることだから、還る時にも還る道から還してあげたんだろうね、ここに並ぶコインドルの配列は葬列のためだと思う」



夫は私の推しだ。推しだから全肯定できるのではなく、推しだから辛い部分もあり悲喜こもごもだ。越路吹雪さんと岩谷時子さんの関係を御存じだろうか。歌手越路吹雪さんの才能を誰よりも認め、しかし時には強く突き放すことで支えてきた岩谷時子さん。ご本人が卓越した才能溢れる作詞家でありながらも、一生全力で越路吹雪さんを推しつづけた人。岩谷さんが越路吹雪さんに書いた歌の中に「ろくでなし」という歌があるのが、非常に感慨深い。




夫のコインドル研究は、誰でも出来る事ではないと思うから頑張ってほしい。夫は文章が上手くないと自分で言う。しかしコインドルの事を話す夫の声はトランペットように高らかに弾んでいる。言葉にはならなくとも夫の撮るコインドルと太陽の写真だけで伝わってくるものがある。



3000年前のコインドルの時代は部族はあっても、まだ国境や国の概念は無かっただろう。コインドルに日の出がすっぽり入った瞬間、人々は眩しい朝陽を浴びながら歓喜しうっとりする。その恍惚とした表情をみていると、今も昔もこうやって人は生きてきたのではないかと心暖まる思いがする。お日様を見て「明日も頑張ろう」と思えるのは、きっと昔から人がそうしていたからだ。色んな意味でこの春分のコインドルの写真を多くの人に見て頂きたいと思った。




コインドルの建立は3000年~4000年前と比定されている。今も昔もその岩の中に昇る太陽を迎え沈む太陽を収め、今も変わらず立っている。夫はここ数年、春分秋分夏至冬至の前後一週間はずっとコインドルの太陽を追いかけている。コインドルももちろん素晴らしいが、そこに心躍らせている夫が素晴らしいと心から思う。是非このことを更に解明し世に知らせてほしい。頑張れ夫。



専門的な事は分からないが、夫に連れられコインドルに昇る陽や沈む陽を目にするだけで心満たされるものがあり、何だか前より心穏やかになったような気がする。夫を推したいなんて以前は絶対に思わなかったのだから。


















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