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【写真日記】白山神社を求めて、奥美濃・郡上白鳥をゆく②長滝白山神社へ

岐阜県郡上ぐじょう白鳥しろとり町をゆく、第二弾。

道の駅「白山文化の里 長滝」でランチを済ませた後、私達夫婦は、本日の目的地の一つ、長滝白山神社へ向かうことにしました。

〈前回のお話〉

「この道の駅から長滝白山神社までは、どれくらいかかるのかな?」と思い、調べてみたら、なんと!すぐそこ!…ではありませんか。

車で2分、徒歩で7分。メッチャ近っ!
歩いてでも余裕で楽々行ける距離でしたが、後々の移動のことも考えて、車で行くことにしました。

長滝白山神社へ

長滝白山神社の参道口に駐車場があるので、まずはそちらへ向かいます。

あっという間に駐車場に到着。

駐車場の片隅にあった石碑。大きくて立派なものでした。

車を停めて、ちょっと歩いてみましょう。

ここが参道の入口。

長良川鉄道・白山長滝駅に立ち寄ってみた

…と、参道に入ろうとした時、ふと右手の方を見てみると、こんな建物がありました。何だろう?

小さいけど「駅」のようです。
気になるので、覗いて見てみたら、長良川鉄道白山長滝駅でした。

長良川鉄道とは、岐阜県美濃加茂みのかも市の美濃太田駅から、郡上市白鳥町の北濃駅までをつなぐ第三セクター鉄道です。

長良川鉄道ホームページより。水色で〇をつけた駅が「白山長滝駅」です。

神社の参道口にある小さな駅。
昔、この駅の周囲は、白山神社の参拝者で賑わったていたのかもしれませんね。

興味が惹かれたので、階段を上り、ホームに行ってみました。

誰もいない無人駅。
一日に8本。
道の駅からは約100m、道の駅の端にある白山文化博物館からは約200m。近いはずだわ。
駅舎の裏はこんな感じです。のどかな風景。

そういえば昨年の夏、私たちは長良川鉄道の郡上八幡駅に立ち寄り、駅舎カフェで一休みしたのです。

この時も今回も、私たちはマイカーで行きましたが、長良川鉄道さんは面白い企画を立てて、様々な観光列車を走らせていることで有名なんですよね。

更に、なんと!ふるさと納税で「観光列車ながら」のチケットが購入できるそうです。

いつか長良川鉄道の電車の乗って、沿線の町をブラブラ歩く鉄旅をしたいなぁ~と思いました。

さて、参道に戻ります~。


長滝白山神社の参道を歩く・郡上一揆の義民碑

日陰では、まだ雪が残っていました。

参道の途中に、昔、江戸時代にこの地で起きた「郡上一揆」で命を落とした農民たちを祀る碑がありました。

そういえば、私は以前、この郡上一揆を描いた映画を見たことがあります。

飛騨でも、江戸時代に「大原騒動」という大きな百姓一揆があり、地元では今も代々語り継がれています。

私達の先祖が暮らしと家族を守るために命がけで戦ったという…まさに大事な「郷土の歴史」なんですよね。

山裾に建てられてある碑が、「宝暦義民碑」だそうです。

雪が深くて近くまで行けませんでしたが、碑に向かって合掌しました。

宝暦義民碑
碑の手前にあった建物。古いですが、装飾の色が鮮やかできれいでした。


白山登拝の岐阜県側の拠点「美濃番場」と美濃禅定道

実は、今回の白鳥訪問は、白山信仰の拠点の一つ、岐阜県側の馬場・美濃の白山神社を参拝するのが目的でした。

霊峰白山は、石川県・福井県・岐阜県にまたがる霊山ですが、白山には古来から三つの登山道がありました。
一つが石川県からの「加賀禅定道」、二つ目が福井県からの「越前禅定道」、三つめが岐阜県郡上市白鳥町からの「美濃禅定道」です。

「三馬場と禅定道」白山比咩神社ホームページより

もともと山は神の聖域として仰ぎ見る存在でしたが、6世紀に大陸から仏教が伝わると、山の霊気に触れ、超人的な力を身に付けようとする修行の場として開拓されていきました。
白山においても、泰澄の開山後、山岳信仰の高まりから修験の霊場として登拝する修行僧が増え、修行登山路=「禅定道」として発展していきます。
『白山記』(白山比咩神社所蔵)によれば、泰澄が白山を開山してからおよそ115年後の天長9年(832)には、加賀、越前、美濃に登拝の拠点となる「馬場」が開かれたと記されています。
馬場という呼び方には、白山へ登る際、馬でそこまで行き、馬をつなぎとめておいた場所、あるいは馬がそれ以上進めない神域への入口だからそう呼ばれたという説が残っています。
加賀馬場(石川県)の中心が現在の白山比咩神社越前馬場(福井県)は現在の平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)、美濃馬場(岐阜県)が現在の長滝白山神社で、山伏のみならず白山の水の恵みを受けて生活する農民から霊峰に憧れる都人まで、多くの人が馬場から白山を目指しました。

「三馬場と禅定道」白山比咩神社ホームページ

岐阜県側からの禅定道(登山道)は、この長滝白山神社を起点に、途中、白山中居神社を経て、白山山頂を目指すというコースです。

ちなみに私達夫婦は、過去に「加賀馬場」の白山比咩神社、「越前馬場」の平泉寺白山神社を参拝しています。

でも、こちらの「美濃馬場」の長滝白山神社は、まだ訪れたことが無かったのです。

一番近い所に住んでいるのに、なぜか、こちらが一番最後の訪問となりました。

神仏分離はしたけど、廃仏毀釈には至らなかった聖地


現在の長滝白山神社は、かつては「白山中居長滝寺」と呼ばれ、神仏習合の寺院でした。

ところが、明治時代に入り「神仏分離令」が発せられたため、長滝白山神社と長瀧寺に分けられたのです。

…と、ここまでは全国でよくある話なのですが、この神社のすごいところは、廃仏毀釈に走らず、仏教に関するものが大事に守られ、保存されてきたことなんです。

前に訪れた越前馬場の白山平泉寺では、廃仏毀釈で首を切られた仏像がゴロゴロと転がっていて、歴史の深い闇を感じましたし、加賀馬場の白山比咩神社では、寺院の名残や仏の雰囲気は全くかき消されていました。
しかし、ここ美濃馬場だけは、(神仏分離はあったものの)お寺が建てられ、規模は小さくなったものの、仏教の名残もしっかり残されてきました。

その点が、他の馬場とちょっと異なる点なのです。

参道の途中に、昔、修験者たちが護摩を焚いて祈願をしたという場所がありました。

修験者たちは、ここで護摩を焚いたそうです。

今はこじんまりとした境内ですが、昔、白山信仰が全国規模で盛んだった頃は、かなりの賑わいだったようです。

左側の古地図によると、広大な境内だったようです。かつての隆盛ぶりがうかがい知れます。

長滝白山神社と長瀧寺

最後の石段を登りきると、目の前に大きな社がありました。

長滝白山神社の拝殿です。

白木でできた立派な拝殿。

同じ境内(拝殿に向かって左側)の山裾には、長瀧寺があります。
本堂まで、ちょっと行ってみましょう。

長瀧寺。こちらは山影だからかな?雪がたくさん残っていました。
雪の中を歩いて何とか本堂に到着。仏様にお参りしました。
本堂の足元はこんな感じです。すごい雪の量。

同じ敷地内に、隣り合わせで神社とお寺が並んで建てられています。

奥の方で屋根が光り輝いているのが長瀧寺。左側に鎮座しているのが長滝白山神社。

神仏分離のための苦肉の策なんでしょうが、でも、あの「廃仏毀釈」の激しい嵐の中で、よくぞ守って下さったなぁ…と、当時の信徒さんや地元の人々の覚悟の強さをひしひしと感じたのでした。

次は長滝白山神社の拝殿に行ってみましょう。
後ろに見えるのが本殿です。
拝殿の中。広い上にとても立派な建物でした。圧倒されました。
拝殿では、宮司様がちょうど何かお勤めをしていらっしゃいました。

今まで、私たちが訪れた白山の三つの馬場の聖地(白山比咩神社・白山平泉寺・長滝白山神社)の中で比べた時、この長滝白山神社が最も荘厳で重厚な感じがしました。

きっと、昔の白山信仰の雰囲気を、今も頑なに残しているからでしょう。

ここに呼んでいただいたことに、心から感謝したのでした。

③につづく


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