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不満足な蜜

僕は負けやすい。

だから、できるならば競争から降りたい。

だからずっと競争=マウンティングについて考えている。


競争は渦みたいに近くにいる人を巻き込んでいく。

SNSで友達と遊んだことを報告するのはマウンティングだと思う。公にしないでグループラインででも「楽しかったね」と言えばいいのにSNSに投稿するということは、こちら側に見せているんだろう。

そういうふうにこれはマウンティングか否かという、マウンティング審判みたいな視点で物事を見ていると辛い。

マウンティングに無意識に巻き込まれるのも、勇気を持って覗き込むのも、とても疲れることだ。

でもそうやって一歩引いたような目線で、マウンティングのダメージをずらさないと憂鬱になってしまう。マウンティングから逃げたい人なのに、どうしても巻き込まれてしまう。

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僕は社会を嫌っている人間ではない。社会という仕組みがあることで僕は今、パソコンでブログを書いているし、ブログサイトが存在してるし、生きていける。だからむしろ感謝している。

だけど群れになると動物にはリーダーが必要になる。上下関係が必要になる。誰が上で誰が下か、決めないとモヤモヤしてしまう。社会のそういうところは嫌いだ。

上昇志向は素晴らしいなんて言われるけど、相手の上に立とうとする上昇志向は厄介だ。

世界平和だ、地球環境だなんて言っているから気づかないだけで、人間は地球を保護できるほど凄くない。こんな小賢しい戦いをネチネチとしているんだし。

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あのドラマのせいでマカロニえんぴつの『青春と一瞬』という曲を最近よく聴いている。

その曲を聴くと一番輝かしいタイプの青春が頭の中をグルグル回る。

その世界側の人間とそうでない自分。秤にかけた時に負けるのは僕だ。

高校時代は青春なんてものを早々に諦めて、どうにかこの先を良くしようと勉強した。

良い大学に入って、金持ちかどうかという世界で勝ちたいと思った。あの時は未来に逃げた。中途半端に。

希望のある人は未来に邁進していく。

でも僕は今から逃れるための未来だったから、『今』に未練たらたらだった。

だからそんなにすごい大学には入れなかった。まあどうせ文化祭に真剣になっていてもロクな青春を送れなかっただろうし、それでよかったんだけど。

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ある時、友達に「俺は30代でやっと人生を楽しめるように頑張りたい。俺みたいな人にはその方法しかない。」と言ったら「それは遠回りな気がするよ(笑)」と言われた。

その友達は「それより今から陽キャになる方法を調べて実践していけば?」とも言った。

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陰キャ、陽キャという分け方はマウンティングが土台になっている。

僕は30代になって誰かより上にいたいとは思わない。

なぜならマウンティングは何も楽しくない。今を凌げた安心感しかない。

だから僕は陽キャになりたいとは思わない。ただ人生を楽しみたい。

「楽しむ」というのはマウンティングを回避する方法だと思う。

好きという感情、没頭はマウンティングから遠くにある。

誰と比べる必要もない、楽しさや没頭の中には自分と好きなものしかいない。

だから僕は自分の人生を誰かと比較するのではなく楽しみたい。

自分が磨き上げてきた能力、貯めてきた経験値、知恵。そういったものでマウンティングから遠く離れた場所で人生を楽しんでやりたい。

そうやって競争から降りるために僕は頑張りたい。

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僕はこの先も競争の中に組み込まれてしまう。

だから負けのダメージをズラし続け、自分が正当に評価される場所を探し、経験値を貯め込み、毎日着実に進んでいかなければならない。

それが一番難しい。だけど急がば回れなんじゃないかと思う。

そうやっていたら神様にチャンスをもらえたりしないかなと思う。


そうして、来世は森七菜と青春できる陽キャにしてください。


結局羨ましい。

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