えんぴつロケット

いつもあれやこれや考えてます。ピチピチの2001年生まれ。 自分の自分による自分のため…

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いつもあれやこれや考えてます。ピチピチの2001年生まれ。 自分の自分による自分のための自己啓発

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    これまで書いてきた内面の話の中で誤解されたくないものたち。

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モンクレールの服売り場とマレコン通りの潮風 【表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬 感想文】

僕は小学生くらいの男の子が、モンクレールのキッズ服売り場で冬物を物色しているのを見て初めて経済的な格差を感じた。 高級な”家庭用品”が並ぶショッピングモールの中、グレーのダウンジャケットに落ち着いた色味のパーカーを着て、ブラウンのチノパンを履いている5歳くらいの男の子を見て、その子の家庭の裕福さを感じた。 僕はそれまで本当に視野の狭い人間だった。 同年代の間でのマウンティングやら、陽キャ、陰キャみたいなことばかり考えていた。 経済的に困窮していて、社会のなかでのし上が

    • LIGHTHOUSEでの若林さんの「飽きちゃったんですよ」という言葉がやっとピンときた

      • 自分の隣にあるやりたいこと

        最近、引っ越した。 寂れた田舎から都会に、と言い表せそうだけれど言い表わせなさそうな引っ越しだ。これでめでたく初の一人暮らし、自由の身だ。 とはいえ、実際には自由ではない。 隣人にも階下の人にも気を遣う。身体的な制約もお金の制約も社会的な制約もある。 別に大金を使いたいとか、仕事をしたくないとかそういう大層な話ではなくて、ちょっとした不自由さを感じる。 もしバルコニーから飛び降りても全く問題がないのなら、ブワッとジャンプして散歩に出かける。けれど現実には上着を羽織り、戸

        • 困惑!社会規範探求記

          ここ最近書いていることはここに書いてあることから始まっている。本当はもっとまとまった形にしたかったけど、あまりうまくまとめられなかったので困惑をそのままに公開してみる。 最近、僕はこれまでの自分の価値観を解体している。 僕の価値観の中心にあるもの、それは社会的なステータスだ。僕はさまざまなことを社会的なステータスを中心に考えてしまう。 その悪癖はその人が何人兄弟かといったことにまで及ぶ。 どういうことかというと、僕はその人が例えば三人兄弟だとしたら、出生率の向上に寄与して

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        モンクレールの服売り場とマレコン通りの潮風 【表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬 感想文】

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          リテラシー探求記

          最近関心のある「Quiet Quitting」をYouTubeで調べ、動画を見ていたのだけれど、本題とは関係なくインターネットでの情報収集はストーリーと演出にかなり煽動されると感じた。 上の動画はアメリカ的な上手いYouTuberの動画で、下は日本でもよくあるコント的な動画だ。 これらの動画のヤバさは、ともに演出が上手いということだ。 一つは語り、編集のテンポ、素材の使い方など、色々な面で視聴者を釘付けにし、動画の内容がより視聴者に刺さるように作られている。 もう一つは

          リテラシー探求記

          若林さんのエッセイが極まりすぎている。引用して色々書くことができないのが辛い

          若林さんのエッセイが極まりすぎている。引用して色々書くことができないのが辛い

          【感想『夜明けのすべて』】夜明け前の暗さをこの身で知る

          とても良かった。 見ている最中も映画館を出てからもとても充実した気持ちで心が一杯になった。 優しくて、でも重くない。見守っているけど、寄り添ってはいない。 それはこの映画がケアを自然なこととして描いたからこそだと思う。 山添はドキュメンタリーのインタビューで職場でお菓子を配る様子に不満を抱いていたと告白する。勝手に想像すると、その頃、彼は「ぬるいことやってるな」とか思っていたんだろう。 彼はそういう人だった。おそらく大企業で働いていただろう山添は、能力主義やエリート主義、

          【感想『夜明けのすべて』】夜明け前の暗さをこの身で知る

          「「自分で自分の機嫌を取ろう」とはいうけれども、そのような耳障りのいいフレーズが、そもそも「機嫌」が悪くなる原因である社会構造を批判したり、改変したりする意欲を削ぐように目を背ける要因になっていないだろうか。」 https://ohtabookstand.com/2023/10/selfcare01/

          「「自分で自分の機嫌を取ろう」とはいうけれども、そのような耳障りのいいフレーズが、そもそも「機嫌」が悪くなる原因である社会構造を批判したり、改変したりする意欲を削ぐように目を背ける要因になっていないだろうか。」 https://ohtabookstand.com/2023/10/selfcare01/

          仕方なく戦う論

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          不適切にもほどがあるものたち!

          『不適切にもほどがある!』って意識が高い人からすると全然ダメなコンプラ批判に見えるけど、世間では大抵の人があれくらいの感覚なんだろうなと思う。で、その「コンプラ!?はあ!?」みたいな人たちに寄り添い、その人たちを共感させ、一緒にアップデートしていこうぜって呼びかける試みがこのドラマなのかなと思う。 『哀れなるものたち』においてのベラと『不適切にもほどがある!』の小川先生は物語の構造上、同じような役目を担っている。彼女と彼はその時代の常識や社会規範に全く塗れていないからこそ可

          不適切にもほどがあるものたち!

          ここまで書いてきたものとこれから書くもの

          この記事が2024年初めての記事です。書き初めです。遅いです。 2023年はさまざまなことを見て考えた一年でした。その中でも特に文章、広い意味で言えば表現に関しては色々と考えました。 それはあちこちオードリーのオンラインライブから受けた衝撃やLIGHTHOUSEなどの少しドキュメンタリー的な作品の影響でもあり、北野映画や芸術、特に美術に触れたことによるものでもありました。 僕は基本的に自分の考えや日記的なものを文章にしてこのnoteに投稿しています。なので、ここではそう

          ここまで書いてきたものとこれから書くもの

          【いちばんすきな花・感想】いちばん好きな四枚の花びらについて

          『いちばんすきな花』11話を見た。 今回は「勝手に何かをあげる」シーンがよく目に止まった。 冒頭から、紅葉のために椿は風呂を入れ、ゆくえはシーツを洗う。このみは赤田を連れてくるし、楓は純恋を連れてくる。紅葉のバイト先の調子に乗った大学生二人組も謝罪のプレゼントを持ってきた。セクハラされる夜々を嘘の用事で助け出す同僚(相良大貴という名前らしい)まで描き出される。 (言われてもいないのに)勝手に何かを(して)あげる行為は喜ばれることもあれば、うざがられることもある。そしてそ

          【いちばんすきな花・感想】いちばん好きな四枚の花びらについて

          日本における批評についての謎

          日本において批評をしているのは誰だろうと思ったとき、ふと思い浮かぶのは批評される側だ。お笑いを考えてみればわかりやすい。M-1だろうがR-1だろうがキングオブコントだろうがThe Wだろうが2023年においては全員がお笑い芸人だ。 2001年のM-1はお笑い芸人だけでなく、放送作家や落語家、劇作家なども審査員として参加している。けれどこの20年近くで立川志らくのような例外はいつつも、お笑い芸人がお笑い芸人を評価するのが当たり前になった。芥川賞と直木賞も同様に選考委員は全て小

          日本における批評についての謎

          個人的日プ女子総括

          デビューメンバー決定後から、とにかく日プの結果が気に入らない奴らの身勝手な批判にむかついていた。 その人たちの感想や感情に共感し、まあそう言う意見もあるよなと思えはしなかった。彼女たちの歩みを3ヶ月近く見てきた人たちが発する言葉とは思えないからだ。3ヶ月強見てきて、顔のことばかり言うやつは自分はまともな鑑賞能力を持ち合わせていませんと言っているのと同じだ。そして人間への共感能力もありませんと言っているのと同じである。 これだからただのオタクを勘違いさせてはいけないと思う。

          個人的日プ女子総括

          すみません、私の文章は汚染されています!!

          この前、卒論を提出したのち、先生とミーティングをした。僕の提出した卒論原稿の中で修正するべき箇所や先生が疑問を抱いた箇所を話し合った。その中で、何ヶ所か言いたいことを詰め込みすぎていると指摘された。 すみません、それは多分僕の文章能力がYouTubeのコメント欄やTwitterのタイムラインに最適化してしまっているからです。 ここで一つの疑問が浮かんでくる。文章能力がYouTubeのコメント欄やTwitterのタイムラインに最適化してしまっているとはどういう意味だろうか。

          すみません、私の文章は汚染されています!!

          日々は点というより線だ

          私の推しというのは基本的にトップランカーだ。お笑いにしろ音楽にしろスポーツにしろ何かを成し遂げ有名で聡明な人たちを私は推している。その人たちは大抵ハードワーカーだ。ワーカホリックでもある。私がSpotifyで最も聴いたアーティスト2年連続1位の星野源はまさにワーカホリックで、病気で倒れる前に書かれた彼の書籍『働く男』の初版の帯は”どれだけ忙しくても、働いていたい。ハードすぎて過労死しようが、僕には関係ありません。”だ。病気から復帰した後も依然として(本人は否定するかもしれない

          日々は点というより線だ