語学の才能と頭の良さは別物だという話

「頭の回転の速さ」や「地頭の良さ」という言葉がよく使われるが、もうこの言葉自体古いのではないかと考えている。


頭の良さにもいろいろ種類があって、例えば勉強だけでも5教科に分かれていて適性が異なる。文系と理系という大まかな分別に加えて、文系の中でも現代文、英語、歴史、地理などでも全てが違ってくる。


自分の得意科目といえば英語だったのだが、実はもともとは英語は自分にとって最大の苦手科目から始まった。そして逆にもともと得意科目だったはずの歴史や地理が徐々に点数が取れず不得意になっていった。

更に現代文に夢を見て集中的に勉強していたものの、結局現代文や古文漢文の偏差値はそこまで上がらず「結局自分って英語だよなぁ」という結論に行きついている。

更にさかのぼれば幼少期の頃は理科や数学が得意だったはずなのに、なぜかいつごろか自分は文系寄りの人間になっていった。小学校の頃はできたはずなのに中高以降、数学は完全に苦手で嫌いな科目になっていく。


もともと得意だったものがそのまま得意だとも限らないし、好きで極めたいと思ってる教科が思い通りに伸びるわけでもない、つまり才能や適性とやりたいことは異なるという当然の結論の行き着く。


頭の良さは学生時代の勉強だけでもこれだけ差があり、またこれはスポーツや身体能力にも共通することでもある。

例えばスキージャンプの高梨沙羅はあれほどのアスリートであっても、実は球技が全くできず非常に不器用だということがテレビ番組で取り上げられていた。

その球技の中でも、バスケやテニスはできないのになぜかサッカーだけはできるという女子サッカー選手をみたことがあるし、例えばリオネル・メッシにサッカーがなければアスリートにすらなっていなかっただろう。

クリスティアーノ・ロナウドや本田圭佑が別競技で活躍する姿は思い浮かんでも、アンドレス・イニエスタや香川真司が他の競技で活躍する姿は思い浮かばない。しかしそのジャンルの中ではまさにシンの天才なのだ。


似たような話でいえば「ゲームをすると馬鹿になる」というのはもはや前時代的な考えで、今の時代ゲームには頭の良さが必要だという研究データは無数に存在する。


これからは万能の天才ではなく、特殊なジャンルの専門家というものが求められているのだろうしこれは仕事や芸術でも共通する。

つまり現代人にとって、自分の適性をどう見つけるかということが人生の質を左右する決定的な要因だと言えそうだ。

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