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古書堂の殺人 (4)


 古書堂前での禍々しい事件から一週間が経過した平日の午後、串間警部補は、百瀬奏多が借りていたオフィスで放心したように宙を見つめていた。
 主人(あるじ)を失ったオフィス内の家具は物悲しく見え、以前訪れたときよりも表面の彩度が著しくさがっているように錯覚してしまう。南側の窓の外は曇天で薄暗く、入室直後に灯された蛍光灯は注意して見なければ気づかない点滅を繰り返している。閉め切られた室内には、西側の壁一面を覆っているウッドパネルから漏れだす香りが充満しており、たえず鼻孔をくすぐっていた。
「ありました。見つけましたよ、串間さん。写真に新聞の切り抜き、ネットニュースをプリントアウトしたものも挟まっていますね」
 机のひきだしを探っていた若い警察官が、薄いクリアブックを手にもって近づいてくる。
「金庫に入っていた写真の別カットのようだな」
 窓際に立っていた別の警察官が低い声でいって、若い警察官と同様に歩み寄った。
「写っているのは、山下ケイショウなのか?」
 串間が問うと、金庫にあった写真を手にもった警察官は眉間と額に深いしわを寄せる。
「そう……ですね。眼鏡をかけていますが、山下ケイショウで間違いありません。髪の長さから推測するに、失踪直前に撮られた写真でしょう。捜索依頼を受けたわけでもないのに、山下ケイショウに関する資料をこんなにも集めていたことから考えると、やはり百瀬は、なんらのかたちで関与していたと疑わざるを得ませんね」
 名前の挙がった山下ケイショウとは、鶴羽(つるは)大学の元学生で、在学中に行方不明になっている。死亡した百瀬も鶴羽大学に通っていたが、山下ケイショウが失踪した直後から休みがちになり、翌年の三月に退学届けを提出していた。
「写真があった場所を再度重点的に捜してみてくれ。山下の名前が記されていないものも抜かりなく、とくに手書きのメモは注意してチェックするように。一見無関係のように見えて、実は核心に触れた記述であるとも限らないからな。人名や日付はもちろん、地名なども気をつけて見てくれ」
「その場所に、山下ケイショウの遺体が埋められているかもしれないと?」
「いいから、はじめろ」
「わかりました。調べてみます……にしても、串間さん。どういった経緯で思い至ったんですか? 今回の、この家宅捜索に」
「思い至るもなにも、自然な流れでだ」
「流れ、ですか? 流れといっても——」
「いいから、早くはじめろ。なにひとつ見落とすなよ」
「はい」
 串間の言葉を受けて、若い警察官が机のひきだしを再度調べはじめる。
 しかし、日が落ちるまで続けられたオフィス内の捜索で、山下ケイショウに関するほかの資料や手がかりは発見できなかった。


 捜索を終えて、オフィスをあとにする前に、出入り口の扉を手で押さえた串間は、物憂げな目で室内をゆっくり見回した。百瀬のオフィスには頻繁に立ち寄っていたので、目に映るものすべてが感慨深い。
「本当に残念に思います。百瀬さんの捜査協力が、もう、二度と、得られないのだと思うと……」
 先に通路へでていた若い警察官が嘆くように呟き、その思いを背中で受けとめた串間は顎をあげて、再びオフィス内をゆっくりと見回す。
 ふいに宮地病院南病棟四階の特別病室に入院している瀧川ソウヘイの姿を思い浮かべて、串間は下唇を軽く噛んだ。瀧川は幅の狭いベッドのうえで医療機器に繋がれ、虚ろな目で理解し難い虚構の世界を旅していた。瀧川との会話が成立していたのは古本屋の前までであり、会話らしき会話を最後に交わした人物は串間である。
 正気を失ってしまう直前、息子の名前を連呼していた瀧川は、ある〝瞬間〟から魂が抜けたように〝表情〟を失い、以降、不可解な言動と呆けたような沈黙とを、繰り返し周囲に見せている。
「本当に……本当に残念です。百瀬さんにはたくさんお世話になりましたし、いくつもの事件を解決へと導いてもらいましたからね。できれば最後に教えて欲しかったですよ。毎回、一体どのように推理していたのか。あの天才的な閃きはどこからくるものなのか。亡くなる前に、ヒントみたいなものでも教えて欲しかったんですけどね」
「知らないほうがいい」
「……はい?」
「知れば、試してみようと考えるのが、人の常だろう? 知らずにいるのが身のためだ」串間は振り返って、若い警察官を見つめ、明らかに作っているとわかる笑みを顔に貼りつけた。
「え……どういうことですか。ひょっとして、知っているんですか? 串間さん」
 串間はオフィス内の明かりを消し、通路へでて、うしろ手に扉を閉めた。
「警察官であり続けたいのなら、詮索するな。知れば必ず心が揺れてしまうからな。だが、まあ、なにも話せないというわけでもない」鍵をかけて小さく嘆息し、串間はやけに大きな靴音を響かせながら通路を進みはじめる。「百瀬は悪魔に魂を売ったんだよ——学生時代にな」
「は? は……はあ」
 エレベーター前で串間は足をとめて、無言でボタンを押す。
 カゴはすぐにフロアへ到着して、ゆっくりと扉を開く。
 誘われるように串間は扉の中へ。急いで背中を追った若い警察官の頭上で照明が点滅する。見あげた若い警察官は、ライトのパネルに載った小さな虫の死骸を目にとめて、顔をしかめた。
 開ボタンを押して、捜索に参加した捜査員全員が乗り終えるのを待つ。
 串間はエレベーター奥で壁に凭(もた)れかかり、視線を下げている。
「……正直、おれは揺れてるよ」
「はい? なにかいいましたか」
 その場にいた全員が乗り終えたと同時に扉が閉まる。
 カゴはスパークするように激しく瞬き、不快なノイズを発しながら下降をはじめた。



 『古書堂の殺人』——了


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 梗概

 神がかった能力によって〝名探偵〟の地位と名声を得ていた百瀬奏多は、刑事課の串間警部補の依頼を受け、宮地町を震撼させている連続殺人事件の囮捜査に協力する。

 捜査当日、古書堂で店主に化けていた串間は、現場に連続殺人事件の第三の被害者である瀧川カイトの父親がサバイバルナイフをもって現れたと耳にし、さらには現場を離れて公園を散策していた百瀬が屠殺銃で殺害されたと聞かされる。
 驚いて店外にとびだした串間の前に、篠原と名乗る老人が姿を現す。老人は自身が連続殺人事件の犯人であることを告白すると、百瀬から〝時間を遡る能力〟を継受したと告げて逃走を図ろうとする。
 駆けつけた警察官らによって老人の身柄は確保されるが、そばにいた瀧川カイトの父親の襲撃を受け、百瀬から継受した〝時間を遡る能力〟を使用する間もなく、老人は絶命する。
 老人の告白を聞いていた瀧川カイトの父親は、老人から奪った〝時間を遡る能力〟を使用すべく、繰り返し時間を遡り続ける。



引用・参考資料 敬称略

『ノーカントリー』ジョエル・コーエン、 イーサン・コーエン 監督
『エンゼル・ハート』アラン・パーカー 監督


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